姉妹たちが長老に関する訴えを直接支部に送った場合、通常であれば、その手紙は巡回監督に送り返され、巡回監督がその問題を扱うことになっている。(巡回監督とは約20位の会衆を監督している兄弟のことである)
しかし今回の場合は、初めから都市の監督と巡回監督が承認して直接支部に訴えを送っている。こういうことは、支部の指示がなければあり得ないことなので、最初から支部が事件に介入していたと考えられる。つまり事件を起こす、より大きな動機は日本支部の方にあったと判断せざるをえないのである。
いったい何故このような事件を起こしたのか、なぜ一つの会衆を犠牲にするようなことまでしなければならなかったのか、いろいろな理由が考えられるが、正確なところは私たちにもまだよく分からない。できれば詳しい事情は支部に聞いてみたい。
1985年8月初旬、東京世田谷会衆の長谷川兄弟から加藤姉妹宅へ電話があった。それによると金沢兄弟は、3年程前から目をつけられており、内々に調査が進められていたということであった。3年前というと、金沢兄弟には次のこと位しか思い当たることがないらしい。
1982年3月、金沢兄弟は神奈川県海老名市にある日本支部を見学した。ものみの塔協会は法人団体として独自の印刷施設を持っており、事務棟、工場、そこで働く人々のための宿舎を総称してべテルと呼んでいる。その時友人の大越兄弟の世話で、べテルの昼食会に招待された。大食堂で偶然となりに腰掛けたのは織田S兄弟であった。
「兄弟はどちらの方からおいでになりましたか」
「北海道の広島からです」
「北海道の出身ですか」
「いいえ任命で広島に行きました」
「ああそうですか。じゃ特開か何かで」
「ええ、その時はそうでしたが今は降りてます。ところで兄弟はべテルでどんな奉仕をされているんですか。あっ、そういえば、聞いたらよくなかったんでしたか」
「いやーかまわないですよ。翻訳の仕事をしています」
「それはお忙しいでしょう。早く新しい聖書が出るといいですね。大変じゃないですか。用語が変わったところもありますし」
「例えばどんなところですか」
「たしか…コリント第一9章27節の“打ちたたく”が“pummel”になってましたね」
「詳しく調べているんですね。もとはどんな語でしたか」
「えーと何でしたでしょうか」
「ビート(beat)ですか」
「いや確か、単なるbeatではなかったと思いますが」(browbeatがすぐ出てこなかった)
ここで大越兄弟がしきりに目で合図を送ってきた。
「まずい、まずい」
彼の目はそう語っている。そこで話題を変えた。
「そういえば、どうやって日本語にするんだろうと思うような表現がたくさんありますものね」
「どういうところ、そう思いますか」
「やはりヨブ記ですね。あそこは本当に大変だと思いますよ。日本語訳が出るのが楽しみですね」
この後、会話は途切れた。食事が終わって皆が席を立っても、織田兄弟は座ったまま押し黙ってじっと前を見つめ、何事か考え込んでいる様子であった。
大越兄弟は部屋に戻るとすかさず言った。
「あれはまずいよ」(これくらいのことで何故「まずい」のか、おそらく外部の人には分からないであろう)
「どうして」
「彼を知らないの?べテル一の切れ者と言われているんだよ」
「誰なの」
「織田兄弟(日本支部の代表者)の弟さんだよ」
「そうか…」
大越兄弟によれば、織田S兄弟に睨まれるとべテルにいるのは難しくなるとのことであった。
長谷川兄弟の電話からもう一つ分かったことは、金沢兄弟が統治体に出した手紙が事件の原因になっているらしいということであった。これを裏付けるような幾つかの発言がある。
1985年7月11日の木曜日、藤原兄弟は金沢兄弟と話し合った際、本部からの返事を見て、「これですか。これが問題だったんですね」と語ったという。
さらに1987年3月赤平会衆の監督、石黒兄弟は押切姉妹への電話で次のように述べた。「金沢兄弟が本部に手紙を書いたのは非常に悪いことである」。
しかし、表向きはそうではない。組織の取り決めでは本部に手紙を書いても良いということになっている。たとえば、1980年の開拓奉仕学校で巡回監督の葛西兄弟は、「本部に手紙を書いて質問することもできますよ」と述べ、返事をもらった人の経験まで紹介している。
金沢兄弟はそれに励まされ1982年12月、預言と教義に関する七つの質問を統治体宛に送った。
<その中の一つ>
「ダニエル12:1の“その時”には、どのような意味があるのでしょうか」
ダニエル12:1は、次のように述べている。
「その時に、あなたの民の子らのために大いなる君ミカエルが立ち上がる。そして、国民が生じて以来その時まで起きたことのない苦難のときが必ず臨む。」
このすぐ前のダニエル11:40〜44には、北の王と南の王の最後の抗争が預言されている。ものみの塔協会はミカエルが立ち上がった年を1914年とし、北の王と南の王との最後の抗争は今後も続くと説明している。しかし“その時”という言葉が前の説を受けているとすれば、これは時間的に矛盾することになる。なぜなら、ミカエルの立ち上がる時は北の王の滅びる時であり、それは同時に大患難をも意味しているからである。だが1914年には大患難も北の王の滅亡も生じなかった。この時のズレをどのように説明するのか、知りたいと思ったのである。
この時の統治体からの返事について金沢兄弟は、
「上記のダニエル書に関しては、納得のゆく説明は得られなかったが、一見矛盾していると思えることの多くは観点や地点を変えることによって説明可能になることが示唆されており、聖書理解の視野を広げる点では大いに役立った」と述べている。
ところで、最近号の1987年7月1日号には、ダニエル書に関する最新の注解が掲載された。それによるとダニエル12章1節には「立つ」という語が2回用いられているので、イエスは1914年に立ち、さらに将来の大患難の時に立つ、という具合に説明されている。この記事が金沢兄弟の手紙を念頭に置いているかどうかは定かではないが…。
事件と関わりがあると思われるので付け加えると、金沢兄弟が統治体からの返事を日本支部経由で受け取った時、封筒がすでに開けられており、その表には赤エンピツでチェックした跡が付いていたということであった。
それから間もなく、彼は日本支部に質問を送った。それはものみの塔協会発行の「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の2つの点に関するものであった。
(1)p.138、16章12節には次のように述べられている。
「しかし、サタンはいつ天から追い出され、『短い時』のあいだ、地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか。わたしたちは聖書が答えを与えてくれると期待できるはずです。…」(下線はものみの塔協会)
p.138を見ると「神の政府が支配を始める時」という副見出しがあり、そこを読んでいくと神の支配は西暦1914年に始まったと記されている。12節の並行記述からすると、神の王国が1914年に始まったのであれば、サタンの天からの放逐も1914年に始まったことになる。そのように理解してもよいのでしょうか、というのが第一の質問であった。
(2) p.148、18章1節には次のように記されている。
「イエス・キリストが、サタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時、それはサタンとその邪悪な体制の終りが近づいたことを意味しました。(啓示12:7‐12)」
ものみの塔協会は、イエス・キリストの王国支配とサタンが天から追い出された時間的関係を次のように説明している。イエス・キリストは1914年10月頃に天で王国支配を開始した。その最初の仕事として天の大掃除を行い、数ヶ月から遅くても1918年までには、サタンを天から追放した。この説明は、啓示12: 5‐12節の記述とも一致している。ところがp.148、1節の記述では、まずサタンが天から追い出され、その後イエスが王国支配を開始したことになってしまう。この通り受け取ってよいのだろうか、というのが2番目の質問であった。
支部からの返答はまったく期待はずれのものだった。
ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会
SE:SJ1983年2月12日
北海道広島会衆
金沢司兄弟
親愛なる兄弟
あなたから、「永遠に生きる」の本の解説に関するご質問の手紙をいただきました。それによりますと、138ページ、12節にある、サタンが天から追い出された時と神の王国がその支配を開始した時期を同じ時期と取ることができるかどうかについて尋ねておられます。この章は、厳密に何年何月何日頃といった時間的な要素に注目する代わりに、むしろ神の王国の支配の開始とそれが天および地にどのような影響をもたらしたかについて、啓示の預言を解説したものでした。従って、12節で「サタンはいつ天から追い出され、短い時の間地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか」と質問が提起され、141ページの上段に説明されていますように、「神の天の政府の王として、キリストは西暦1914年支配を開始」したことが答えとして述べられています。従って、148ページの第1節に述べられている「イエス・キリストがサタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時」という記述も、時間的な要素に注目したのではなく、啓示12章に記されている一連の出来事について言及したものと理解することができるでしょう。なお、啓示12章の13節および17節についての説明は、「秘儀」の本の21章の中で詳しく論じられていますので、是非お調べ下さい。なお、天の王国の成員となる第一の復活を経験する人々の時期については、その聖書的な根拠が「ものみの塔」誌1979年10月1日号の第3研究の中で解説されております。これらも共にお調べいただきたいと思います。上記の通りお答えし、エホバのご祝福をお祈りいたします。
この解答によれば「永遠に生きる」の本の解説は「時間的要素に注目したのではない」となっている。しかし、その本の16章12節には、「サタンはいつ天から追い出され…神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか…」とあり「いつ」の下にアンダーラインが引かれている。
このアンダーラインは明らかに時間的要素に注目させたものである。そうでなければ引く必要がない。しかもそのあとには1914年の意味と、その重要性が強調されている。この章の主題とその流れからして、12節のこの質問の答えを1914年と考えるのはごく自然なことである。それを「時間的要素に注目したのではない」とは、答えにも何もなっていない。全くの詭弁であった。
さて本部から返事をもらって半年位たったころ、金沢兄弟はある友人から次のように言われた。
「べテルじゃ評判悪いよ。もうブラックリストにのってるんだよ。少し気をつけたら」。
さらに巡回監督をしている友人からは次のような忠告を受けた。
「支部は頭越しにやられることを一番嫌う。本部へ手紙を書くのは危ない。やめた方がいいよ。巡回監督はかなりの権限を持っているし、会衆の記録には残らない書類もある。良くないことを報告されたら、まずもう特権はこないよ」
そう言われてみると、金沢兄弟もこういう秘密の手紙にはずいぶん嫌な思いをさせられたことがあった。ある時、支部から「緊急に移動するように」という通知を受け取り、非常に驚いた。半月ほど前の巡回監督との話し合いで、健康上の理由や会衆の状況から移動する必要はないということになっていたからである。
それでまず巡回監督に直接尋ねてみたところ、「協会には早急に移動させたい事情ができたのではないかと思います。兄弟の状況や希望は良く分かりましたので、協会にそのように伝えてあげましょう」という返事であった。そこで金沢兄弟も自分の事情を伝える手紙を支部に出すことにした。
それに対する返事で事の成り行きがすべて判明した。協会の手紙には、「巡回監督は熱心に移動を勧め、緊急にそうする必要があることを知らせてきています」と記されていた。つまりその巡回監督は金沢兄弟に話した事とはまったく異なる報告を支部に送っていたのである。
普段日本支部はこのような秘密の手紙のやり取りをしているので、「手紙」に対しては異常なほど神経質になるのかも知れない。
こうした様々なものみの塔協会の問題点に気付きながらも、当時金沢兄弟は組織から出ることはまったく考えていなかった。「いつか時期が来ればものみの塔協会の体質も改善されるだろう、エホバが何とかするまでとりあえずおとなしくしていよう、じっとしていたほうが良い」と思っていたからである。
しかしその後、どうしても統治体に尋ねてみたいことがあり、1985年2月、金沢兄弟は2回目の手紙を本部に送った。今までのように日本支部経由で返事が送られてくれば、ますます睨まれることになるので、返事は求めないことにした。ものみの塔誌上で答えてくれれば最善だと考えたのである。
ところが3月下旬、予想に反して本部は返事を送ってきた。組織の取り決め通り日本支部経由で。おそらく支部が動き出す直接のきっかけとなったのは、この返事ではないかと思われる。
WATCHTOWER
BIBLE AND TRACT SOCIETY OF NEW YORK,INC CABLE WATCHTOWER
WRITING DEPARTMENT
25 COLUMBIA HEIGHTS, BROOKLYN, NEW YORK 11201 U.S.A. Phone (XXX)-XXX-XXXX
EF:ESA March 21, 1985
Mr. Tsukasa Kanazawa XXXXXXXXXXX, Hiroshima Town, Sapporo-Gun Hokkaido, Japan
Dear Brother Kanazawa:
Thank you for your kind letter of February 9, 1985. We were pleased to learn that our letter to you about two years ago was of much assistance to you in resolving the questions that had come up in your mind and heart.
As you indicate in your letter, there is a need for all of Jehovah's people to grow spiritually and to continually grow in their relationship with our heavenly Father, Jehovah. Of course, as we do, we want to continually let our love for Jehovah cause us to share extensively in preaching the "good news" and in aiding sheeplike ones to learn the way that leads to life. We rejoice with you in seeing the fine progress and increases that are being experienced in Japan, as well as in all parts of the world at this time. Jehovah is certainly blessing his people as they go forward with the work which he has for us to do.
May Jehovah continue to bless you and your dear wife as you serve him faithfully and continue to walk with his people on the roadway that leads to life in his new system of things.
(事件簿原典にはこの手紙の和訳は含まれておりませんが、参考までに簡単に訳します。)
ニューヨークものみの塔聖書冊子協会
1985年3月21日
金沢司様
親愛なる金沢兄弟
1985年2月9日のご親切なお手紙をありがとうございました。約2年前の私どもの手紙が、兄弟の心に浮かんだ問題の解決に大きな助けになったとのこと、喜んでおります。
兄弟のお手紙にもありますように、すべてのエホバの民は霊的に成長し、我らの天の父であるエホバとの関係において成長しつづける必要があります。もちろん、この際、私たちのエホバへの愛ゆえに、私たちがこれからもますます「良いたより」の伝道と、羊のような人々が人生を導く道を学ぶのを援助することに熱心に努めるようでありたいと思います。私たちは、現在世界中のいたるところで経験されているのと同様に日本でも経験されているすばらしい進歩と増加を見て兄弟と共に喜びます。エホバは、確かに、ご自分の民が私たちにゆだねられた働きにおいて前進するのを祝福しておられます。
エホバが、兄弟と、兄弟の奥様が、忠実にエホバに仕え、エホバの新しい体制での命に導く道をエホバの民と共に歩むことを、これからも祝福してくださいますように。