エホバの証人とは「エホバを証しする人」という意味である。彼らは宣べ伝えることにより、また日常生活で聖書に従った生活をすることにより、神性を他の人々に証しする責務を負っている。
以前は「ラッセル信奉者、ラザフォード派、ものみの塔派、国際聖書研究者協会及び一般伝道者協会」等で呼ばれていたが、その名称はふさわしいものではないとして、J・F・ラザフォードの提唱により、1931年から「エホバの証人」という名称が採用された。
この名称の根拠はイザヤ書43章10,11節で、その聖句の中で神はご自分の民イスラエルを「私の証人」と呼ばれている。したがって、現代の神の民が「エホバの証人」と呼ばれるのは妥当なことであり、この名称は神ご自身が命名されたものであると、ものみの塔協会は主張している。
本来「エホバの証人」とは神を証しする人のことなのだか、最近では神のみ言葉を何よりも優先して神に仕えようとする真のエホバの証人と、み言葉より組織の取り決めを優先する自称エホバの証人(すなわち、ものみの塔の証人)がいるようである。
エホバの証人最高指導機関、定員は18名('87年現在13名)。
油注がれた14万4千人からなる忠実で思慮深い奴隷級(マタイ24:45〜47)の代表と称している。
統治体は6つの委員会を構成している。
執筆委員会 | … | 出版物の作成とその監督 |
教育委員会 | … | 各種学校(牧羊、伝道の面でエホバの証人を教育するため独自に設けた学校)、集会、大会などで用いられる資料を準備する |
奉仕委員会 | … | 伝道に関する一切を取り扱う、審理問題の最高責任機関 |
出版委員会 | … | 印刷作業及び業務関係をすべて扱う |
人事委員会 | … | ものみの塔協会の職員の人事を扱う |
司会者の委員会 | … | 議事の討議の司会を交代で務める |
ものみの塔協会は国の許可を受けて宗教活動を行うため、C・T・ラッセルにより1881年に設置された非営利団体である(法人化は1884年)。理事7名、会員500名('82.10.2の時点では464名)からなる。エホバの証人のほとんどは、法的にはものみの塔協会の会員ではない。
組織支配の仕組みのカギは、忠実で思慮深い奴隷級、統治体、ものみの塔協会の関係にある。
忠実で思慮深い奴隷級とは、キリストが再臨するときすべての財産をゆだねられる人々のことである。エホバの証人の教義ではその代表が統治体ということになっている。したがってエホバの証人にとっては、統治体こそがキリストの是認を得た唯一の管理機関になる。その統治体の用いる法人団体がものみの塔協会ということになっている。
通称「組織の本」の28ページには、この組織上の流れについて次のように記されている。
「組織内のすべての人は神の神権的な管理の仕方を認めます。諸会衆は、すべての人の益のために組織上の取り決めを定める統治体の導きを受け入れ、それに従います。彼らは、支部、地域区、巡回区、会衆などを監督するために年長者たちに対してなされる任命を受け入れます。」(支部、地域区、巡回区、会衆はものみの塔協会の管轄下におかれている)
神権的な管理の頂点に位置するのが統治体、統治体はものみの塔協会を通して全地のエホバの証人を導く、ということになっているが、歴史的な背景からすると実際は逆である。忠実で思慮深い奴隷級、統治体、ものみの塔協会という流れではなくて、その反対、つまり、ものみの塔協会、統治体、忠実で思慮深い奴隷級なのである。
最初にものみの塔協会を設立した、そして組織の拡大に伴って、協会の幹部たちが自らの聖書的根拠を確立しようとして考え出したのが、統治体、思慮深い奴隷級の教理なのである。
事実ものみの塔協会の初代会長、C・T・ラッセルの時代は彼が忠実で思慮深い奴隷であると考えられていた。奴隷は一人ではなく奴隷級、その数は14万4千人、その代表が統治体というのは、C・T・ラッセルの死後かなりの年月を経て作られた教理である。
この点はものみの塔協会の定款にもよく表れている。1972年3月15日号のものみの塔誌、「法人団体と異なる統治体」という記事の欄外には、ものみの塔協会の定款が載せられているので、その一部を以下に挙げることにする。
「当協会の目的は次のとおりである。すなわち、エホバの証人として知られるクリスチャン団体のしもべおよびその世界的な合法的管理機関として働くこと、キリスト・イエスの治める神の王国の福音を全能の神エホバの名前とことばと至上権に対する証として諸国民すべてに宣べ伝えること。聖書を印刷、頒布し、キリスト・イエスの治めるエホバの王国の樹立に関する聖書の真理と預言を説明する情報および注解を収めた文書を作成、出版することにより各種の言語で聖書の真理を流布すること、世界のあらゆる場所に出かけて行き、喜んで耳を傾ける人々に前述の文書を配布し、それら文書に基づいて聖書研究を司会し、公に、また家から家に聖書の真理を宣べ伝え、かつ教える代理行為者・しもべ・要員・教師・教官・福音伝道者・宣教者・奉仕者を認可し、任命すること」(下線は発行者)
この定款にある通り、実際は最初からものみの塔協会がすべてを管理し、組織内の役職の設定、任命権のすべてを牛耳っていたのである。権力の頂点に位置するのは、ものみの塔協会の幹部たちである。
組織の発展 | 年代 | 預言 |
---|---|---|
C・T・ラッセルを含む6人はペンシルバニア州アレゲーニー市で聖書研究を始める | 1870 | |
1876 | キリストの目に見えない再臨が1874年に始まり、異邦人の時が1914年に終わると述べた(クリスチャンは天へ帰還し、この世はハルマゲドンで終了する) | |
1878 | キリストの教会を構成する忠実なクリスチャンはこの年に復活すると考えられていたが、そうしたことは生じなかった | |
「シオンのものみの塔とキリストの臨在の先ぶれ」創刊号を出す(5000部) | 1879 | |
天に行く人の最終的な人数は14万4千人であると発表する | 1880 | |
忠実で思慮深い奴隷は一個人ではなく一つのグループであるとする C・T・ラッセル、ものみの塔冊子協会を設立 |
1881 | |
7月号のものみの塔誌で、「三位一体」を否定する | 1882 | |
ものみの塔冊子協会を法人化する | 1884 | |
ペンシルバニア州アレゲーニーに「聖書の家」が完成する(20年間協会本部となる) | 1889 | |
ブルックリン・コロンビア・ハイツに新しい本部を建設する | 1909 | |
世界中で1200の会衆が機能する | 1914 | ハルマゲドンは起きず、クリスチャンが天に上げられることもなかった 「ハルマゲドン−1915年説」、さらに「ハルマゲドン−1918年説」が提唱される |
C・T・ラッセル死亡する 年次総会にてJ・F・ラザフォードが会長になる |
1916 | |
5月7日 ものみの塔協会の会長を含む幹部8名に逮捕状が出される | 1918 | ハルマゲドンは来なかった |
5月14日 8人が釈放される 9月1〜8日 シーダーポイントで第一回、全国大会を開く(7000人出席) 「黄金時代」(現在の目ざめよ誌)創刊 |
1919 | |
野外奉仕の報告を伝道者すべて(8052人)が出すようになった | 1920 | |
このころから、1925年にハルマゲドンが来るという期待が高まっていった(1925年は70回目のヨベルの年に当たると考えられていた) | ||
グループで初めてものみの塔研究が組織される | 1922 | |
羊と山羊に関する例え話を説明し、羊はハルマゲドンを生き残って神の新秩序へ入る人々を表すと述べる | 1923 | |
すべての組織を「神の組織」「サタンの組織」に分ける極端な見方を採用する 啓示12章の「女」と「男子」の説明を試みる |
1925 | ヨベルの年の預言は外れ、「終わり」は来なかった |
聖書の翻訳にエホバの名前を使用することの重要性が強調される | 1926 | |
日々の聖句と注解を載せた最初の年鑑が出る 米国にて寄付と引き換えに、本や冊子を配布する業が毎週日曜日に行われる |
1927 | |
十字架の使用はふさわしくないとの見解を明らかにする(1931年 使用禁止) キリストは十字架の上ではなく一本の杭にくぎ付けされたと主張する 誕生日、クリスマスの祝いが禁止される |
1928 | |
「エホバの証人」という名称を採用する | 1931 | |
長老の選出制が廃止される | 1932 | |
「大群衆」「他の羊」は地上の楽園で永遠に生きる人々であると発表する 国旗敬礼を拒否する 「王国会館」という名が用いられるようになる |
1935 | |
J・F・ラザフォードが死亡し、N・H・ノアが三代目の会長となる 「神権宣教高等課程」開校(神権宣教学校) 巡回区が設けられ巡回訪問、巡回大会が始まる |
1942 | |
ギレアデ聖書学校開校 (宣教者を養成する学校、100名が入学) |
1943 | |
「統治体」を強調しはじめる | 1944 | |
輸血を禁止する | 1945 | |
「目ざめよ誌」発行 | 1946 | |
排斥の取り決めが設けられる | 1952 | |
1966 | 人間創造の6000年は1975年に終了する、同時にその年はヨベルの年になっているのでキリストの千年統治は1975年に開始されると考えられた | |
統治体の成員を7名から11名に増員する | 1971 | |
1975年狂想曲、組織全体に鳴り響く | ||
統治体の成員を11名から18名に増やす | 1974 | |
1975 | 「終わり」は来なかった (かなりの成員が組織を去る) |
|
統治体に6つの委員会が設けられる | 1976 | |
N・H・ノアが死亡し、F・W・フランズが会長となる | 1977 | |
組織支配が一段と強化される | 1987 |
年 代 | 伝道者数 | バプテスマ数 | 記念式の出席者数 |
---|---|---|---|
1885 | 約300 | ||
1914 | 5,140 | ||
18 | 3,868 | ||
25 | 90,434 | ||
26 | 89,278 | ||
39 | 71,509 | ||
48 | 230,532 | 376,393 | |
58 | 717,088 | ||
70 | 1,384,782 | 164,193 | 3,226,168 |
74 | 1,880,713 | 297,872 | 4,550,457 |
75 | 2,062,449 | 295,073 | 4,925,643 |
76 | 2,138,537 | 196,656 | 4,972,571 |
77 | 2,117,194 | 124,459 | 5,107,518 |
78 | 2,086,698 | 95,052 | 5,095,831 |
87 | 3,237,751 | 230,873 | 8,965,221 |
※ 1914年、1925年、1975年、終わりの預言はずれる。