"Watchtower Presidential Era Summaries", the following is an excerpt from the new book,Thus Saith the Governing Body of Jehovah's Witnesses by Randall Watters, Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/history/5_eras.htm
当時の宗教的見解:終末思想が世にはびこり、寄せ集め教理を掲げる大きな宗教グループがいくつか発生。「神は4世紀に背教した主流派キリスト教会を退け、新たな預言者、代弁者、忠実な使者を選び、永く失われ、人の手に届かなかった聖書の真理について世界を再教育する」と主張する。永遠の命を得るためにはこの使者の説く新たな福音に耳を傾けよ、と。この世紀は、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン)、再臨派およびその多くの分派(エホバの証人を含む)、クリスチャン・サイエンス、キリストアデルフィアン、その他小規模なグループが誕生し、それぞれ自分こそが現代の預言者であり、新たな、または忘れられた啓示を持つと主張し、新たな思想を求めつつも教会に幻滅した人々に訴えた。
シナリオ:神学を歴史発展的見地から理解できない若者が、自分はキリストの体に与えられた「第7の使者」(啓示3:14)であると思い始め、(キリストの時代以後、彼の前の世代がすべてそう思ってきたように)人の世の「終わりの日」に生きていると信じるようになる。キリストの「目に見えない」帰還(アドベンティスト)、エジプトの大ピラミッドや他のオカルト的象徴の予言的性質(フリーメーソン、占星術、数霊術など)、「異邦人の時」説の亜種(ジョージ・ストアズ他)など、当時の神学思想から多くを借用しつつ、聖書の伝統的解釈、たとえば三位一体、責め苦の場所としての地獄、肉体を離れた魂の存在などを否定する。自分の考えが受け入れられる宗教がないのを知ると、自ら一派を起こす。発言手段としてものみの塔とキリストの臨在の告知者が1879年7月に発刊される。
風変わりな信条:終わりの時は1799年に始まり、キリストは目に見えない形で1874年に帰還し、40年にわたる収穫の時は1914年に終了し、人間による支配は転覆(ハルマゲドン)して神の支配にとって替わられる。その他、知性、黒人、奇跡の小麦、数霊術、人の脳の大きさに関する風変わりな言説。おそらく彼特有の年代予告以外は当時さほど珍しい考えではなかったのだろう。
今ならラッセルが排斥されるであろう理由:反組織的な教え、誕生日を祝うこと、クリスマスと祝日の習慣、兵役参加の許容、食物から血を抜かないこと、自分を「忠実で思慮深い奴隷」と見なしたこと、「奇跡の小麦」を売ったこと、オカルトをかじったこと、著書にサインしたこと。
進展した宗教的見解:ラッセルは依然「第7の使者」だが、あまりそのことに囚われないようにしよう。彼の写真を下ろし、年代予告を調べ直し、派手な服を着て、酒をがぶ飲みし、罰当たりな偶像破壊主義者として疎まれよう。ラッセルに忠実で、我々の大げさなものの言い方を好まない聖書研究者たちとは縁を切ろう。そのためには十字架を拒み、名前をエホバの証人に変え、ピラミッドや数霊術といった「異教」の影響を排除し、諸教会を攻撃し、カトリック教会や国際連盟/連合に対する敵意あるメッセージを戸別訪問やラジオで流そう。禁酒法を敵と見なし、自国のために戦うことを拒み、ヒトラーのご機嫌を伺おう。
シナリオ:ラッセルは自分の活動をどのように続けるかについて遺言を残し、1916年に死去。ラザフォードは法律的知識を生かし、権力をかすめ取り、ものみの塔会長の地位の強奪を図り、これに成功する。「堅く立つ者たち」はラッセルへの忠誠を保ち、その他にも多くの分派が形成される。たとえば黎明聖書研究者たちは現在もラッセルとその教えに従っている(これらのグループの幾つかは現在も存在する)。ラザフォードはアイデンティティの危機を招き(彼を好んで崇拝する人はいなかったので)、ラッセル崇拝のあらゆる痕跡を根絶するべく、ゆっくりとした政治的プロセスを開始する。彼は、聖書の基本的メッセージを素朴な福音(キリストの死、埋葬、復活)から「エホバの主権」に変えることさえ行う (ラザフォード「それで、神に対してこのような訴えが持ち上がり、悪魔が、自分の方が人間が分かっていると主張し、それを周りで聞いている天使が大勢いて、神としてはそんな風に非難されるのは面目が立たないことで…もちろん、その気持ちは分かるよ…それで神は何もかも好きにさせて証明するようにしたんだ。神もなかなかやるねえ。私の状況とどことなく似ているじゃないか」 )。神が証言台に立たされるなら、ラザフォードも組織の乗っ取りについて同様の目に遭うべきだ。それこそ宇宙論争だ(訳注:universal issue=「普遍的問題」という意味と掛けたしゃれと思われます)。
風変わりな信条:現存する万民は決して死することなし (少なくとも判事の死までは)。アブラハム、イサク、ヤコブは(そうそう、モーセも)間もなく我々の大会に姿を現すだろう。ベテルに彼らを招くわけにいかないから、3000マイル離れたカリフォルニアの私の豪邸に彼らを泊めよう。誰もその家のことを不審に思わないよう、権利証書には彼らの名前を載せよう。だが、私の部屋に入る前には彼らとて自分を証明しなければならない。
今ならラザフォードが排斥されるであろう理由:著書にサインしたこと、ベテルでのビアパーティ、視界にいるすべての人を怒らせたこと。
進展した宗教的見解:証人やその追随者に対する輸血禁止。十字架、宗教的宝飾類、世の親族からの贈り物はすべてサタン的。事実上、教会を見る だけでも排斥される。喫煙は1973年に禁止されるが、長老はアルコール依存でもOK。フレッド・フランズがベテルの常駐監督 になり、ベテルの蒸し風呂のような部屋にいる兄弟たちを聖書の話題で虜にし、その途方もない講話に耳を傾ける人すべてを魅了した。フランズは1975年フィーバーの責任の大半を負っており、当時は1975年に終わりが来ることを信じない 人は事実上排斥となった。
シナリオ:魅力的でカリスマ的な指導者たちは消え去り 、アンドロイドのような会長が登場 。ノアは人間としてまったく味気なかった が、投票により選出され、魅力の欠如を組織 拡大にビジネス手腕を発揮することによって穴埋めする。新世社会:「神の組織」の誕生。ギレアデ聖書学校は世界中に卒業生を送る。ノアは彼らに片道切符しか与えず、帰国を願う何人かはうつ病や自殺に至る。ベテル(ものみの塔本部)は徐々にブルックリン・ハイツ一帯を覆い始め、付近住民の怒りを招く。ものみの塔は巨大ビジネスとなり、資産は何十億ドルにも及ぶ。出版物の利潤差額は500%にも達するが、「印刷の実費のみ」ということにされる。
この時代はものみの塔内部での「発見」の時期で、自由に考える精神により、内部の多くの者は自分たちの教えの土台を再調査するようになった。この時期は1979-1980年のフランズ事件で「終わった」が、このとき統治体は押し入れの中で過去をほじくる人間を葬るには、押し入れごと吹き飛ばすしか手がなかった。排斥される恐怖に駆られれば、誰もものみの塔の年代計算の土台が怪しいことを口にしないだろうし、したがってそれに気づくこともないだろう、少なくとも彼らはそう思った。
風変わりな信条:ソドムの住民は復活する→しない→する→しない。初期クリスチャンは交代制の統治体を有していた(奇妙な考えである)。血液は一種の「臓器」であるから、臓器移植もだめ。レイプされた場合、被害者は大声で叫んだときのみ許される。夫が同性愛者の場合、離婚することができない→できる(彼が実際に何をするかによる)。オーラルセックスは少なくとも当分の間、排斥される理由になるが、実のところ我々はあまり知りたいと思わない(いや、知りたいのだが、知りたくないふりをしている)。
今ならノアが排斥されるであろう理由:なし。たぶん今でも務まるだろう。
進展した宗教的見解:「疑い」は事実上、反キリストである。ロボトミー(訳注:脳の前頭葉切除による分裂病治療。おとなしい人間にする比喩的な意味でしょう)の導入。忠節とスパイ行為は、あなたをしがない伝道者、悪い評判の持ち主から最も優遇される 地位へ格上げする。証人は他の信者の違反を報告しなければならない。たとえひそかな堕胎の記録を病院から盗んで、職を失ったり訴えられることになろうとも…。たえず変わる教理に思い悩んでいるって?趣味を持ち、背教のことは頭から締め出しなさい。1975年はあなたたちの 責任であって、我々の責任ではない。決してそんなことは言っていないのだから!(特定の日付については)。
シナリオ:統治体に忍び込んだ同性愛者は立ち去るにまかせ、排斥にはならなかった。レイ・フランズは統治体の集合的不謬性を否定して、自分と他の統治体成員に恥辱をもたらし、解任され、排斥が仕組まれる。ものみの塔のスパイが南部まで彼をつけ回し、何も証拠を押さえることができないと、元証人の上司と食事をしていたという理由 で排斥する。レイ・フランズは自己弁護的な良心の危機 を1983年に書き、キリスト教会員は彼が三位一体を受け入れるときを息をひそめて待っているが、彼は決してそうしない。
ジミー・スワガート教団とカリフォルニア州 が(宗教法人の売り上げに対する課税を巡って)法廷で争ったとき、統治体は自分たちも売上税を納めていないので破産を恐れたため、神は出版物を無償で提供することを望まれた(少し間を置いて寄付を求めるセールストークはあるが)。だが、神がこれを行われるのは一部の国 に限られる。神はそこでの売上税納付を望まれないからだ。
統治体でさえフレッド・フランズに嫌気が差し、彼を追放するが、実際何をしていたかは統治体しかしらない。追放者として死去。
風変わりな信条:フレディが教えたことすべて。
今ならフランズが排斥されるであろう理由:いつも手元から離さない秘密の自己啓発テープを聴いていたこと。それ以外には、あまりに抜け目ないので排斥はされない。そもそも、排斥を考案 したのは彼なのだから。
進展した宗教的見解:もはや1人の人物に率いられることのない統治体は、特定の事柄、主として外部社会との関係や法律的問題について、より保守的な姿勢を示し始める。大学教育、学校でのスポーツ、個人的趣味の分野で「普通」に見えるようにすべしという法的圧力が増大し、記事や出版物の書き方にも影響が表れる。祝日は以前ほど叩かれなくなり、精神科受診も許され、大学教育も叩かれなくなり、学校のスポーツは「子供がのめりこまない限り」参加は事実上OKとなる。とはいえ、疑いを抱くことは依然として反キリスト である。
シナリオ:お金、不動産、信者数がこれまでの最大規模に達するが、同時にこれが最後のピークである兆しも見え始める。他の似たようなセクトのパターンからすれば、サイクルの頂点から先はローラーコースター。過去2、3年、米国での成長率は1−2%に落ち込むが、東欧、アジアなど、彼らの歴史や戦術にうぶな国では急成長を遂げている。1995年10月15日号と11月1日号のものみの塔 でついに彼らの主要な手札である「1914年の世代」の教理が捨てられる。サイモン(訳注:子供たちがサイモン役の命令に従う遊び)は「何でもないさ 」と言うが、古参の証人はそれには引っ掛からない。多数が離脱する(松葉づえをついて!)。何十もの分派グループが1996年以降結成される。
風変わりな信条:これだけのことがあろうと、彼らが本当に「神の組織」だという こと。
今ならミルトンが排斥されるであろう理由:まもなく訪れるであろうベテルでの意見の不一致。原因は指導者への敬意が薄れたため。
第1段階:カリスマ的指導者が主流派の宗教に幻滅した人々の支持を得る。追随者たちは宗教的情熱と排他主義を麻薬のように吸い込み、誇りと(人生で初めて)生きる意味を得て、怖いもの知らずになる。伝道に膨大なエネルギーが注ぎ込まれる、成長の時。
第2段階:内部スキャンダルにより指導者が替わり、組織内の一部にある程度の幻滅が生じる。ものみの塔はこの「清めの時」を何度か生き残ってきたが、この段階では染みは落ちないだろう。
第3段階:規模、信者数、銀行口座の大規模化に伴い、世間的に受け入れられ、認知されやすい権力構造を作るべく、より保守的な姿勢を打ち出す。これは過激で終末論的な集団から、人に「カルト だなんて思わなかった」と言われるような、おなじみ宗教への変容である。一致と勢力がピークに達するのはこの時期。
第4段階:末端信者の「集団意識」が、「知りすぎた」レベルに達し、指導者は統制を失う恐れから、それまで使っていた圧制的な手法と動機づけをもはや用いることができなくなる。そのため、自分たちの過去の手法に対して正直さと「率直な」精神を装う(「ふれ告げる人々」参照)。一般的に、いわば手札がすべて使い切られた状態。興奮はもはや生じない。
第5段階:統一をもたらす大義もなくなり、組織も群衆を追い立てる能力を失うため、信者は退屈して落ち着きがなくなり、内側に目を向けるようになる。一歩ごとに闘わねばならない悪魔的な敵が消え、外部の普通の人と同じようになる。もはや敬意を感じない指導者について批判的な発言をすることも恐れなくなる。意見の衝突、不和、分裂が起きるのは遠い先ではない。
President(会長) | Don A. Adams |
Vice Presidents(副会長) | Robert W. Wallen, William F. Malenfant |
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会長 | William L. Van De Wall |
副会長 | Charles I. Woody, Leon Weaver, Jr. |
秘書/会計 | William H. Nonkes |
監督 | Harold K. Jackson, Merton V. Campbell, Stanley F. Weigel |
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秘書/会計 | Joseph D. Mercante |
監督 | Marvin G. Smalley, Kenneth J. Pulcifer, Eugene D. Rosam, Jr |
会長 | Harold L. Corkern |
副会長 | Alan D. Janzen, Robert L. Butler |
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会長 | Charles V. Molohan |
副会長 | James L. Bauer, J. Richard Brown |
秘書/会計 | Alan K. Flowers |
監督 | Allen E. Shuster, David L. Walker, Vernon C. Wisegarver |
会長 | Charles J. Rice |
副会長 | Kent E. Fischer, Robert L. Rains |
秘書/会計 | Albert L. Harrell |
監督 | John R. Strandberg, Samuel D. Buck, Louis A. Travis |