エホバの証人は、法的手順を踏んで扱う問題をリーガルケースと呼んでいる。本部での話し合いをもとに、今回の事件をリーガルケースとして想定すると、三通りの解決のパターンが考えられた。
兄弟たちが帰国すると会衆は直ちにこの作業を開始した。
金沢兄弟は日本支部、広島会衆の代表者小熊兄弟、巡回監督の宮崎兄弟に話し合いを申し入れた。
日本支部には次のような手紙を送ってみた。
1985年11月10日
ものみの塔聖書冊子協会
親愛なる兄弟たち
言うまでもなく、偽りを語らず真実を証しすることは、伝道者以前の資格とされています。もし明確な偽りを受け入れ偽証を容認するなら、天の法廷に対して不実な者となり、罪を犯すことになってしまいます。(使徒1:1〜5)私たちは、そういう意味で人間的であることを示したいとは思いませんでした。
本部では、日本支部の中にも分かってくれる人は必ずいるとおっしゃって下さいましたので、私たちもそのことを期待しています。前の手紙にも記しましたように、私たちは神の権威とその地的ルートを心から認めていますので、何とか話し合いの道を開いてはいただけないでしょうか。話し合えばきっと理解していただけると思いますので、よろしくお願いします。
ものみの塔聖書冊子協会
親愛なる兄弟たち
聖書教育のため貴重な資料を用意して下さることに、いつも感謝しています。私たちもさらにみ言葉の理解を深め、エホバに仕えてゆきたいと願っています。今回、不幸にしてこのようになったのは、本部でも指摘して下さいましたが、少なからぬ誤解や不正確な情報が原因となっていると思われますので、幾らかでもこれからお伝えすることが役立てばと希望します。
東京世田谷会衆の長谷川兄弟からの連絡によれば、私が本部に書いた手紙が問題になっているとのことでしたが、それは本当のことなのでしょうか。本部に手紙を書いて質問しても良いということを初めて聞いたのは、開拓奉仕学校に出席した時でした。その時、巡回監督の葛西兄弟に何度か念を押して尋ねましたが、問題はないとのことでした。数年後の83年12月に、それまで疑問に思っていた教義上の7つの点について質問する手紙を書きました。本部からいただいた返事は極めて啓発的なものでした。どのように、そしてどれほど役立ったかをどうしても一言伝えたくなり、今年の2月に感謝の手紙を書きました。返事を求めたわけではありませんが、親切にも返事を下さいました。ですから内容が問題になることはないと思います。また、もし本部に手紙を書くことが組織上問題になるのであれば、巡回監督が認めるはずはありませんし、本部が返事をよこすこともあり得ないでしょう。仮に何かが問題となっているとすれば、私には分かりませんし、教えていただかなければ理解できない事柄です。
さて、エホバの証人として、また真理の民としてその神エホバにふさわしく偽りを憎み、偽証を避けるべきことは自明の理であると思います。その規準もまた一般社会よりもはるかに高く、使徒5:1‐6の聖句や「崇拝の一致」のp.53に記されているレベルになると思います。言うまでもなく、自分が偽証をしなくても他の人の偽りに加わったり受け入れたりすれば、その罪に与ることになってしまいます。たとえそれが都市の監督や地域監督であっても、さらにはみ使いであったとしてもその原則に変わりはないはずです。もし、特権か立場によって左右されるとすれば、まさに神の考えではなく人間の考えを抱いていることにはならないでしょうか。(マタイ16:23)偽りの父はサタンですし、すべての問題は偽りから始まり、偽りに対する私たちの態度は、主権論争と関っているわけですから。それゆえ私は「人間であれば」と仮定したのであって、人間であると断定したわけではありません。天の法廷の前で関係する人すべてが自らの信仰を表明する機会を持つ方が、人間を喜ばせるよりも優れていると判断しました。良心と信仰は人間および組織の所有物ではあり得ないわけですから、エホバの証人としての本質的identityが関係する場合には、天の法廷に対する責務を明らかにする方を優先すべきであると考えました。加えて私たちには動機に何ら恥じるようなものはありませんでしたので、テープを取っていることは分かっていましたが、そのままにしておきました。私たちの真実を求める叫びはすべて無視されましたので、支部も人間ではないかと考え本部にお願いする以外にないと思ったのは事実ですが、9月に本部に行った時考え方を調整されました。私たちが単に反抗しているのか、それとも真実と公正を求めているのか、そのどちらであるかはヨハネ3:19-21に従って試してみればすぐにでも明らかになることではないでしょうか。
重ねて兄弟たちにお願いしますが、偽りに加わるような信頼のおけない人々ではなく、神の義の規準をしっかりと擁護する兄弟たちを遣わして、もう一度調査していただけないでしょうか。そのようにして天の法廷の前で、人間ではないことを示して下さるよう切にお願い致します。また私たちに間違っている点があれば、どうか教えていただけないでしょうか。そうして下されば、喜んで調整したいと思っています。
上訴委員会の代表者、宮崎兄弟には次のような手紙を送った。
親愛なる宮崎兄弟
巡回監督として充実した日々を送っていらっしゃることと思います。増し加わった特権と同時に、羊に対する責任も痛感されておられるのではないでしょうか。7月のあの審理から4ヶ月が過ぎ去ろうとしていますが、私たちは変わらずエホバに仕え続けています。ささやかではありますが、ローマ8:38、39を実感できるのは嬉しいことです。
さて、兄弟は私たちが真理を愛しエホバに仕え続けているというこの事実をどうお考えになるでしょうか。もし真実を本当に愛する心があるなら、次の点をもう一度よく考慮してみていただけないでしょうか。
上訴委員会の決定は最終決定となるだけに、天の法廷に対する責任もそれだけ重くなるのではないでしょうか。真実と真理に基づいて審理がなされていたら、果たしてこのような事態が生じうるでしょうか。ぜひとも天の法廷に対して何を播いてしまったかをよく考えていただけないでしょうか。
私たちは兄弟の巡回区の中にいます。巡回監督は問題を扱うだけの権限と責任を有しておられるはずですので、私たちと会い話し合うことができるのではないでしょうか。兄弟は偽りを憎み、真実を心から愛していることを天の法廷に示す勇気をお持ちでしょうか。そうであることを真に期待しています。
「間違っているところがあれば悔い改めるので教えて欲しい」とまで伝えてみたが、何の連絡もなかった。日本支部が最初から片付ける気であったことは、これで疑問の余地なく証明された。「援助」というのは、やはり真っ赤なウソであった。
この時期、偽りや偽証は私たちのでっちあげであるとの主張がなされたので、次の聖句をプレゼントしてみた。
「19さて、裁きの根拠はこれです。すなわち、光が世に来ているのに、人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。
20 いとうべき事柄を習わしにするものは、光を憎んで、光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。
21 しかし真実なことを行なう者は光に来て自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします。」
(ヨハネ3:19〜21)
自分たちが真実を語っているとの確信があるなら、調査を避けたり、逃げたりする必要はない。光を避けるのは、心の中でやましいことをしているという自覚のある証拠である。
この頃、事件の発端となったA、K二人の姉妹が悔い改めているとの情報が入った。それで支部に送った偽証に関しても悔い改めるよう勧めた。「エホバはすべてをご覧になっています。神を恐れるなら勇気をもって真実を語ってください。悔い改めが本物であればそうすることができるはずです」という主旨の手紙を二人に送った。加えて、もう二人の当事者笹山、藤原兄弟にも同様に真実を擁護するようにとの手紙を書いた。
親愛なる笹山兄弟
やはり今回の事件は、実質的にはかなり前からそれも異なった次元で始まっていたようですが、法的には何といってもあの報告、告発がすべての起点になっています。
巡回訪問のとき、瀬野兄弟にお尋ねしたところ、「自分はよく覚えていない。笹山兄弟だったと思うけれどもはっきりしない」と述べておられました。また協会の手紙にも、広島会衆を心配して協会に報告したのは瀬野兄弟ではなく、笹山兄弟であるとされています。
本来会衆のことを気にかけ、それに対し責任を負っているのは確か巡回監督だったと思いますが。そうであれば自分がinitiativeを取ったとすると、上記の反応や協会の手紙の内容はあり得ないでしょう。形式的にはどうであれ、実質上はやはり兄弟があの報告に関する法的責任者ということになります。それにinitiativeを取った本人でなければ、避ける必要もまたないでしょうから…
さて、法的レベルでしかも組織的に物事を扱う時には、特に、fact (単なる行為や事実)とtruth (真理、立証された事実)が問題になると思うのですが。もちろん兄弟もお考えになってのことでしょうけれども、是非もう一度考慮してみていただけないでしょうか。A姉妹、K姉妹、笹山兄弟が感じたこと、思ったこと、考えたこと、それは確かにfactであることに相違はないでしょう。しかし、何人かがfactと考えたことが、それだけで物事全体のtruthになるわけではありません。そのためには、確証、立証のprocessが必要とされます。兄弟自身、何度か明確にその手順を踏まなかったことを認められました。それゆえあの報告は、単なる兄弟たちの次元で事実であっても、物事それ自体および会衆のレベルでは、断じてtruthではないと言い切ることができます。それに報告の時点でその確信があるなら、その後一生懸命になって証拠を探す必要はもはやないでしょうから。そうするとすれば、truthではないことを認める行為と言えるでしょう。しかも、方法が光の子にふさわしい光の方法ではない場合はなおさらそういうことになります。
そこで次に問題となってくるのは、報告が法的係争(legal case)として扱われた場合、それは単に報告で済むだろうかという点です。言うまでもなくlegal caseで真実を語らなければ、それは偽証となります。兄弟もそのことを良くご存知ゆえ、とてもいつもの笹山兄弟とは思えないような不思議なことをなさったのではないでしょうか。ならばもう一歩進んで、地上の法廷に対してだけではなく、天の法廷に対する責任も考えてみるのはいかがでしょうか。主権論争によれば、日常の歩みすべてがlegal caseになりうるわけですし、地上の法廷がどんな決定を下そうと天の法廷が認めなければ、やがて覆されるわけですから。(申命記19:18;箴言19:5、9;21:6;25:18;26:28;使徒5:1‐5)
援助に関しては、兄弟もエホバの名にかけて真実の心があることを明言されたのですから、会衆に反抗的、非協力的な姉妹たちの利己的な訴えにより、一つの会衆を犠牲にしたという事実を顧みるべきではないでしょうか。
私たちは、変わらずエホバに仕え続けていきますのでよろしくお願いします。
※ 参考までに
(1) 魂と霊はその人が変化すれば、いくらでも切り離すことができますし、切り離せないのはその人が霊的変化をガンコに拒む場合です。私たちは不敬虔な世の精神をしめ出して、霊的に成長するように勧められているわけですから、切り離せないというのは、「本質的変化は無理だ!しません!」ということをエホバに語っていることになります。
(2) 食物を供給するのは親の仕事であって、友の責務ではありません。食物供給は友愛のしるしではなく、ストルゲーの証明です。フィリアはやはりconfidential talk(親密な会話)及びその理解が特長となります。フィリアとストルゲーを混同すると、友としての理解が与えられなくなるのではないでしょうか。
(これは笹山兄弟の主張に対するコメントである)
ものみの塔誌、1985年11月1日号には「クリスチャン人格の美しさ」という研究記事が掲載された。その22ページには次のように記されている。
「神に属する男性は権力や目立った立場を手に入れたいという欲望のために堕落させられることはありません。特定の地位に伴う利点もその人の買収には役立ちません。その人には意志力が備わっています。謙遜さを愛していますし、嘘をつきません。エホバに対する健全な恐れを示します。(箴言22:4)これが、神に属する男性に見られるべき特質のいくらかです。神に属する男性には、良心、良い心、正しい動機があります。(Iテモテ1:5, 箴言4:23)義にかなった原則を無視して、良心に反するようなことは行ないません。良い心と正しい動機を持っているので、他の人と接する際に不正な手段を用いることはありません。(ヘブライ13:18)自分の良い動機が汚れた行為や活動によって不純なものとなるのを許しません(ホセア4:11)心が不実にならないよう常に自分を鍛錬します。原則を曲げない人として言行両面で際立っています。-詩篇15:1,2」
(下線は広島会衆)
藤原兄弟には「是非この雑誌に描かれている通りに模範を示してください」と伝えた。 以下にその手紙の一つを掲載することにする。
親愛なる兄弟へ
いよいよ寒さの厳しい季節になりましたが、公私共にお忙しい毎日をお過ごしのことと思います。
広島会衆が兄弟たちによって二つにされてから早くも5ヶ月がたちました。しかし、私たちは心を一つにして伝道、集会を今まで通り続けております。
私たちはエホバの組織に反抗したり、自分から出たのではありません。真の組織に忠誠であろうとしたとき、出されてしまったのです。
兄弟は主人との電話の際、「私は上と下の板ばさみになっている。勘弁して下さいよ」と言われたと聞いております。記憶も新しい1985年11月1日号のものみの塔研究記事にはクリスチャン男性としての美しさは何かについて詳しく載せられておりました。兄弟は立場上この記事は何回もお読みになられたことと思います。特にその中の10節には自分の過ちを認め、「すまなかった、自分が悪かった」と言えるのは特に神に属する男性の証拠であること、またもう一度繰り返して19節には、「自分の間違いを認める時、慎みと謙遜さを十分に培った証拠を提出しているのです」と書かれています。
エホバは、このような心に一片のくもりもないクリスチャン男性を喜ばれるのではないでしょうか。どうぞ勇気を出して、神に属する男性の証拠を示して下さらないでしょうか。広島会衆においでになり今度こそ真実に基づいた公正な裁きをお願い致します。
私たちはすべて間違いがなかったと言っているのではありません。少なくとも排斥になるような罪は神の前に犯してはいません。60人の命がかかっております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
12月初旬になると、小熊兄弟から悔い改めを勧めた何通かの手紙が返却されてきた。そのとき彼は同時に次のような手紙を送ってきた。
1985年12月6日
前略金沢司様
度々お手紙をいただいていますが、私としては、会衆の一長老として全面的にその組織の取り決めに従って歩む決意でいます。皆さんが現在排斥者であるという事実は、私が今この組織にとどまっている以上、この件に関するエホバ神と組織の取り決めを踏み越えることはできませんので、一切の交わりを持てないことを意味します。それは単に勇気とか個人的な見解の問題ではありません。私が行動できるのは、「務め」の本のp.149、150の場合のみです。例外はありません。
上記お知らせします。
これにより、当事者たちには真実を擁護する気も、エホバの前に悔い改める気もまったくないことが明らかになった。また彼らの心の砦は組織であること、実際はエホバよりも組織を崇拝していることが証明された。
監督たちへの嘆願を始める前に、A、K両姉妹、笹山、藤原兄弟各人の偽証の書状を作成し、次のような手紙を添えて彼らに送った。
親愛なる…
私たちは自発的に悔い改め、正直に告白して物事を正してくださることを期待していましたが、そのようにはしていただけなかったようです。私たちとしては、できる限りこの様にはしたくありませんでしたが、エホバのみ名と真実のためにこれらの通知を送ることに致しました。
ここに上げられている偽り、偽証に関して異議があられるなら、届いてから十日以内にその旨を通知して下さいませんでしょうか。もし何の通知もなければ、広島会衆としてはこれらの告発文を承認なさったものとみなさせていただきたいと思います。
産出の規準で考えれば(10月15日号のものみの塔、第1研究記事)余地はまだ残っているのではないでしょうか。真実のエホバの証人であることを、天の法廷の前で自ら示して下さるよう期待しております。
エホバのみ名と王の義のために共に働く
全員が受け取りを拒否し、何の連絡もよこさなかったので、それらの書状を訴状として特別、上訴両委員会の監督たち(藤原兄弟を省く)に送り、同時に会衆全体で嘆願を開始した。
「特別、上訴両委員会が真実を擁護し公正な裁きを行なうよう、日本支部として指導してください」との嘆願を7名の支部委員、織田正太郎、杉浦勇、藤本亮介、本間年雄、池端重雄、ジェームス・マンツ、パーシィ・イズラブおよび阿部孝の各兄弟に送る。
特別、上訴両委員会に何の動きもないので、2月16日、日本支部に4人の偽り、偽証に関する訴状を送る。
1986年2月16日
ものみの塔聖書冊子協会親愛なる兄弟たち
霊的パラダイスの王イエス・キリストについてすでに成就している預言の中にイザヤ11:1〜5節があります。その聖句はイエス・キリストの裁きについて次のように述べています。「彼は目で見る単なる外見によって裁くのでもただ耳で聞くことに従って戒めるのでもない。そして立場の低い者たちを必ず義をもって裁き…」言うまでもないこととは思いますが、イエスの裁きに見倣い霊的パラダイスの王によって是認される裁きを行なうとすれば、どうしても以下に記す点が必要にならないでしょうか。
非常に残念なことですが、今回の問題を扱った特別委員、及び上訴委員の監督たちはイエス・キリストに倣った仕方で裁きを行なっては下さいませんでした。それで支部の兄弟たちに是非ともお願いしたいのは、公正で義にかなった神の裁きを行なっていただきたいということです。人に誇れるようなことは何もありませんが、少なくとも排斥に値するようなことは断じて行なっていません。いかに真実が曲げられているかは、同封の偽り、偽証に関する内容を検討して下されば理解していただけるものと思います。
私たちとしては可能な限り、このようにはしたくありませんでしたので、まず問題の発端となった二人の姉妹たち、さらに笹山兄弟、藤原兄弟に、偽りを正し真実のために行動して下さるようお願いしましたが、兄弟姉妹たちはそのようにして下さいませんでした。それで私たちから見て「偽り、偽証」と考えられる点を記し、各々の兄弟姉妹に送り、内容に異議があれば申し出てくださるようお伝えしましたが、何の連絡もありませんでした。暗黙の了承とみなし、その内容を特別委員、上訴委員の監督たちに送り、偽りでねじ曲げられた裁きを正してくださるようお願いしましたが、二ヶ月ほど過ぎ去った今、何の応答もありません。このようなわけで、支部の兄弟たちに公正な裁きのお願いをするに至りました。
真理の神、エホバは偽ることができず、偽りを憎むと述べられています。そのみ子イエスは自らを真理であると語り、欺きの言葉を決して口にされませんでした。そのような神エホバとみ子イエス・キリストを代表する地上の組織であれば必ずや真実、真理のために行動してくださるものと期待しています。
エホバ神のみ名にふさわしく事を正して下さるよう心からお願いし、クリスチャン愛と共に
2月27日、支部に最終的な確認を行なう。
親愛なる兄弟たち
先に2月16日付けの手紙を送り、真理に基づく公正で義にかなった裁きを行なって下さるようお願い申し上げました。いまだ何の連絡もありませんが、扱っていただくことはできないということでしょうか。こちらの方ではすでに終わった問題なので支部が再び取り上げることはもはやあり得ないと伝えられているようですが、その通りなのでしょうか。兄弟たちの最終的な判断と決定を教えていただければ幸いです。
「聖書から論じる」の本297ページには神の組織を見分ける7つの点が記されていますが、初めの3つの項目は以下の通りです。
真理に満ちており、偽ることなど決してできないエホバ神を唯一の神として崇拝し、他のどんなものにも(たとえそれが概念化された組織であっても)相対的な崇拝を帰さない、まさに神の組織であれば「偽り、偽証」(それがどんな立場の人によってなされたとしても)を正すために何もしないということが果たしてあり得るでしょうか。聖なるエホバのみ名が汚された状態をそのままにしておくということなど考えられるでしょうか。絶対にそのようなことはないはずです。
またすでに、イエス・キリストは臨在し天の王国から支配しておられるわけですから、そのような組織の指導者、会衆の頭、王イエスを信仰の目で見、その役割を十分に認めているとすれば「真理を証しするために世に来た」といわれた模範に見倣うよう、心から努めるのではないでしょうか。
さらに「永遠に生きる」の本187ページ10節にも述べられているように、決定の規準は単なる人間の判断ではなく…人の命が関係する裁きの問題では特に…確実に究極の権威としての聖書に基づいてなされるよう見届けるのではないでしょうか。神の律法を公正に行なうことに特別の注意を払うべき霊的パラダイスの監督、君であれば(イザヤ32:1、2)必ずそのようにして下さるはずです。
私たちとしては真理の神エホバのみ名にふさわしく事を正し、そのようにして天的権威に服す神の組織であることを、日本支部の兄弟たちが示して下さるものと期待しています。
1986年3月11日まで連絡をお待ちしています。しかしもしその時が過ぎても、何も知らせがなく、何もして下さらないとすれば、もはや扱わないということが日本支部としての最終決定であるとみなさざるを得ないと思います。そして非常に残念なことですが、神の組織のidentityを示しては下さらなかった(もちろん限られた意味においてですが)と判断せざるを得ないと思います。できる限りそうは考えたくありませんので、決してそのようなことのないようお願い致します。
すべての面でエホバのご意志がなされ、そのようにしてみ名が立証されることを祈願しつつ
広島会衆は3月10日まで600通以上に及ぶ嘆願の手紙を送った。兄弟姉妹たちが書いた手紙の一部を以下に紹介しよう。
北海道広島会衆で生じました問題において、公正な裁きをお願いしたくお手紙を書いております。
兄弟たちの熱心な働きに心から感謝しております。そのような熱心さを私も集会、奉仕、また日々の生活で、エホバの証人であることを決して忘れないことにより示して行きたいと願っております。
私は組織に反抗したのではなく、エホバの証人として、不真実、不公正を受け入れることができなかったため、排斥されてしまいました。(詩篇26:4)
それでどのような裁きが広島で行なわれたのか調査していただけないでしょうか。
真理の組織は、真実に基づいて物事を扱うものとばかり信じていましたので、不公正な裁きがエホバの名のもとに、また組織の名のもとに行なわれてしまったことを私はとても残念に思います。私たちはみ言葉に基づいて、どこが間違っているのか教えて下されば喜んで調整したいと願うものです。排斥になるほど頑なではないと思います…今回の事件では何が正しく何が間違いなのか、また正しいことを望んだ者たちが排斥されて、エホバのみ名に非難をもたらしていた人々が何の処置も取られずにいるので、混乱してしまいました。出版物で学んだ取り決めに従うことが組織に対する従順になるのか、立場のある人間に従うことが組織に対する従順になるのか、その際自分の良心や信仰はどのような位置付けになるのか規準をどこに置いたら良いのか、今後の生き方にも関係してきますので、どうぞ教えて下さい。
上訴委員会は17名の姉妹たちを1985年8月4日14:00から呼び出しました。上訴委員の出口兄弟は『同じ場所に呼び出したとしてもみんな一緒に審理するのではなく、他の人は待っていてもらうつもりであった』と述べておられました。しかし一人5分か10分で命にかかわる審理ができるのでしょうか。一人30分としても最後の人は22:30分に終わることになります。未信者の夫を持つ姉妹たちを審理する時間帯と言えるのでしょうか。上訴委員の兄弟たちにマタイ18:12〜14の精神があったらと、とても残念に思いました。
3月12日付けで日本支部に関する訴状を本部の奉仕部門へ送った。
1986年3月12日
親愛なる兄弟たち
サタンの世の闇が深まりゆき、人々の精神も次第に荒廃してゆく中で、ものみの塔誌が神の義の規準を確固とした態度で擁護し、霊的にさわやかなものを供給し続けて下さることに心から感謝したいと思います。私たちの直面している問題については幾度か手紙を差し上げましたので、すでにご承知下さっているものと思いますが、この度は法的に(legal case として)お願いしたいことがあり手紙を書いています。
可能なかぎり、このような形にしないで問題の解決を計ろうと、私たちなりに努力してみましたが、残念なことに、そのすべての試みは実を結びませんでした。まだ余地は残っているのかもしれませんが、周囲の状況もかなり切迫してきましたので、やむを得ず同封の訴状を送ることに致しました。私たちは本部の兄弟たちが『神の義と公正と真理に基づく、より高い裁き』を行なって下さるよう希望します。そのようにして霊的パラダイスにふさわしく事が正され(ゼカリヤ8:16、17)エホバのみ名が清められ立証されることを願っています。加えて私たちの救いも考慮して下されば本当に幸いです。
以下は1985年9月中旬から現在に至るまでの簡単な経過です。
日本に帰ってから、まず何とか解決を目指して話し合うことはできないものかとその道を模索してみました。私たちはエホバの聖書もその組織も信じており、背教の意志などまったくないこと、ただエホバ神のみ前で正しい良心を持ちたいので真実、真理を擁護して欲しいだけであることを伝えました。また理解できれば喜んで悔い改めるので聖書からその点を教えて私たちを助けていただきたいとお願いしましたが、日本支部からも他のどなたからも返事はありませんでした。それで誤解が生じていると思われる点を調整することが役立つのではないかと判断し、私たちの発言や行動で問題とされた部分の真意を伝えるよう努力してみました。しかし何の効果もありませんでした。
続いて問題の発端となった二人の姉妹、さらに笹山兄弟、藤原兄弟に正直に真実を告白し、事態を正すために勇気を持って行動して下さるようにお願いし続けましたが、広島会衆の長老がそれらの手紙の一部を返却するにおよんで無駄であることが明らかになりました。そのため私たちは『偽り、偽証』の訴状を作成し、まず各々の当事者にそれを送り、内容に異議があれば申し出て下さるようお伝えしました。期限が過ぎ去り、何の知らせもなかったのでそれを特別委員会、及び上訴委員会に提出し、偽りを正し真理を明らかにして下さるよう願い出ました。日本支部そして支部委員の兄弟たち、さらに両委員会の監督たちに会衆全体で嘆願を続けながら二ヶ月ほど待ちましたがついに何の連絡もありませんでした。
それゆえ仕方なく日本支部の方に問題を提訴することに決め2月17日に別紙Aの手紙(前掲2月16日付の手紙)を添えて直接支部に送りました。返事がありませんでしたので2月28日に確認の手紙別紙B(前掲2月27日の手紙)を出しました。3月11日が過ぎましたので私たちとしては日本支部が最終的に事を正して下さる意志はまったくないものと、少なくとも現時点ではそのように判断せざるを得なくなりました。
以上のようなわけで本部の皆さんに私たちの問題の解決をお願いするに至りました。エホバ神のみ前では無意味なことですから私たちは何も隠すつもりはありません。(ヨハネ3:19〜21)真実は調べていただければおのずと明らかになるものと思います。この事件を知った心ある人々は生じていることの意味を悟りはじめています。私たちはエホバのみ名と真の崇拝が低められ、神の組織が悪く言われるのを非常に残念に思っています。Yes means Yes の原則通り、聖書とものみの塔の出版物で勧められていることは真実に行なわれるべきものであることを日本でも、またここ広島町でも証明していただけないでしょうか。私たちはエホバがエホバであることを、エホバの業を真実に見たいと心から願っています。過分の親切と憐れみにより私たちの願いを聞き届けて下さるよう、エホバ神がこの事に目をとめて天軍を動かして下さるよう切に祈っています。
その後11月まで嘆願の手紙を出し続けた。以下は会衆で出した手紙のほんの一部である。
出版物を通して本部の兄弟たちは大群衆を教えておられますね。例えば1986年7月1日号では権威の正しい用い方についてこのように書いてありました。「もし官吏が不公正で権威を悪用するなら、あるいは個人または人気のない少数者を差別するならどうでしょうか。聖書はこう助言しています。『資力の乏しい者が虐げられたり、管轄地域で裁きや義が奪い取られたりするのを見ても、そのことで驚き惑ってはならない。その高い者よりもさらに高い者が見張って…いるからである』(伝道の書5:8)…」
教えておきながら書いてあることを行なわず何もしないなら、天の法廷で兄弟たちが偽善者として見られるのではないでしょうか。そのようなことはあってはならないと思います。どうぞこのことを熟考され、必ずご返事下さるようお願いします。
ものみの塔誌からの教育はいったい何なのでしょう。私たちは今でもエホバが出版物を通して私たちを導いてくださっていると確信しています。もちろん兄弟たちも同じように思っておられるはずです。そしてその中で学んだことを私たちの生活にあてはめてゆくことで、神を喜ばせてゆこうと誰もが願っていると思うのです。言葉の上だけの教育ではないはずです。
ものみの塔誌には裁きを行なう監督たちに対し次のような訓戒が載せられています。
「モーセはそのような年長者たちに訓戒を与え、次の事柄を忘れてはならない、と言いました。『裁きにおいて不公平であってはならない。小なる者の述べることを、大なる者の述べることと同じように聞くべきである。あなたがたは人のために恐れ驚いてはならない。裁きは神のものだからである』(申命記1:17)(86、6/1p.21)
私たちの問題を扱う兄弟たちもこの言葉にあるように行動していただきたいのです。監督たちはその責任をエホバ神の前に果たしていただきたいと思います。もし、それをしないなら、エホバはどのように見られるでしょうか。神はその責任を問うでしょう。(ナホム1:3)私たちはそのことを望んでいるのではありません。むしろそうならないでほしいと願っています。兄弟たちがエホバのみ名を負う民の一人であるならエゼキエル3:2〜16に述べられている、『失われたものを尋ね求め追い散らされたものを連れ戻し、打ち砕かれたものに包帯をし、病んでいるものを強める』ように実際に行動し、事態を一刻も早く正して下さい。お願いします。
皆様はイザヤ61:3にありますように、遠からず天においてキリストと共に全地を支配する言わば“義の大木、霊的巨人”と呼ばれる方々だと思います。今この地上におられる間にも、その精神を示して地の片隅の小さな存在の私たちにも注意を払って下さり、義と公正と真実に基づいて不公正な裁きに関する訴えを取り上げていただけないでしょうか。…それとも象の耳は大きすぎて、アリの声は届かないのでしょうか。象はアリを踏みつぶしても痛くもかゆくもないのでしょうか。真理の組織ならそんなことはないと思いますが。
私は、エホバの証人は唯一の真理の組織だと思っています。それは、真理を持っているというだけでなくそれを実践する組織だと思っているからです。もちろん人は誰も不完全で多くのあやまちを犯しますが、真理の組織であるというのなら少なくとも立場や状況に関係なく提出された真理(真実)の前にへりくだるのではないでしょうか。ましてや、何の根拠もなく裁かれてしまうなんて考えられないことです。何のため、また誰のための裁きなのか私には今もってよく分かりません。(II歴代19:6、7)さらに、私たちは、今まで監督の兄弟たちに「私たちの側に悪い点があれば改めたい」と述べているのに何の援助もなされないのはどうしてでしょうか。兄弟たちが真実をもっていらっしゃるのなら、その真実を私たちの前に提出することができると思いますが。
僕はじっと待ちました。8ヶ月待ちました。でも何の連らくも来ませんでした。僕は「平和」の大会に出ました。私たちが常に平和を保っていないといけないこと、神も人類の平和を望んでいること、いろいろ学びました。しかし僕の思ったことは単にそういうことだけではなく、この問題も関係あるのではないでしょうか。
神は私たちが常に平和であることを願っています。(マタイ5:9)しかしこのような分れつがあってよいのでしょうか。しかも、罪がない僕達が何故、排斥されなければならないのでしょうか。申命記1:17には、「裁きは神のもの」と書かれています。では何故日本支部が勝手にまたは一方的にあつかってしまうのでしょうか。僕はそういうことが不思議でなりません。また、こういうことがあるというのに何故かんとくさんたちはしらんぷりをしているのでしょうか。さっきの申命記1:17の前半には「小なる者の述べることを、大なる者の述べることと同じように聞くべきである」と書かれています。かんとくというのは名だけなのでしょうか。僕はそうあってほしくないと思います。
決して僕達は助言をこばんではいません。むしろ喜んで助言を受け入れます。ですからお願いします。エホバ、イエスを倣い、公正な裁きを実行してください。(詩編37:28、30)本当に僕達が悪いのなら、すぐにくいあらためます。僕達は一日も早くこの問題も解決して、イザヤ60:22の「小なる者が千となり、小なる者が強大な国民となる」ことを成しとげたいと思います。そして、ついには詩編37:29の「義なる者は地を所有し、そこに永久に住むであろう」という言葉の成じゅを見たいと思いませんか!僕は見たいと思います。エホバが平和な神であることを信じて、公正な裁きを実行して下さることを信じてご連らくをお待ちしています。
11月6日ついに確認の手紙をものみの塔協会に送った。これは広島会衆にとっても一つの転機となった。というのは、この手紙を送るということは事実上組織への復帰が不可能になることを意味していたからである。
1986年11月6日
親愛なる兄弟たち
本部の皆さんの最終的な判断と決定をお尋ねするために、この手紙を書いています。1986年3月12日付けの訴状を送ってから、すでに8月近くがたとうとしています。十分に時間はあったはずですので、そろそろ取り上げて下さるのか、それとも扱う意志は全くないのか、はっきりしたことを知らせていただきたいと思います。それによって私たちも、右へ行くか左へ行くかを決めたいと考えています。(マタイ5:37;7:16〜20)
1986年12月7日まで返答をお待ちします。連絡がない場合は訴えを退けたものと受け取らせていただきます。ただし…今回の問題の内容、及びその性質からして、本部が訴状を扱わず、さらに何の連絡もしない場合には「エホバの天の法廷」の前で、以下に記す点が立証されたものと判断させていただくことにします。
(II歴代19:6、7;詩編82:1)
ものみの塔協会に関し天の法廷の前で立証されること
もちろん言うまでもないことですが、本部の皆さんが神の組織、真理の組織としてのidentityを示して下さるなら、この手紙は無意味なものとなります。私たちは、そうなることを心から期待しています。ものみの塔協会に関し、先に上げた点が立証されるとすれば本当に困ったことですし、非常に残念なことです。間違っても、「聖書の権威」より「組織の権威」の方が優れているなどという聖霊を侮るような考え方をなさるはずはないと確信していますが、ものみの塔協会を神の組織として純粋に信じている多くの人々を裏切ることのないよう、是非ともお願いしたいと思います。
統治体の成員13名、F・W・フランズ(会長)、W・L・バリー(副会長)、A・D・シュローダー、C・W・バーバー、J・E・バー、D・シドリック、G・ギャンギャス、J・C・ブース、C・ジャラズ、M・G・ヘンシェル、M・ポエツィンガー、C・F・クライン、L・A・スィングル、の各人に嘆願の手紙を送り続けた。
まず統治体に次のような手紙を送った。
1986年12月9日
親愛なる統治体の兄弟たち
今回の事件、およびそれに伴って生じた組織崇拝の問題について、兄弟たちの見解と最終的な決定を知らせていただきたくこの手紙を書いています。
私たちも他のエホバの証人と同様、ものみの塔協会の働きを通して真理を知るようになりました。今得ている理解や知識のほとんどは兄弟達から学んだものです。唯一真の神エホバを知り得たことは私たちにも大きな喜びをもたらしました。そのことを兄弟たちに心から感謝したいと思っています。
皆さんと同じように私たちもエホバ神と真の崇拝を愛しています。神の民の中で真の崇拝が栄え、エホバのみ名が何にも勝って高められるようになるのをみたいと願っています。心を悩ます様々な状況を目にしながらも、私たちはものみの塔協会こそ、そのような神の組織であると信じてきました。しかし、現在のものみの塔協会の状態では…兄弟たちから学んだ真の崇拝のidentityと一体どのように調和させたら良いのでしょうか。
去年の6月に事件が始まって以来私たちが嘆願してきたことは、神の義と真実に基づいて公正に扱っていただきたいということでした。聖書から、そしてものみの塔協会の出版物から誤りが証明されるなら、喜んで悔い改めるので是非教えていただきたいと繰り返し伝えてきました。しかしとうとう何の連絡もなく、会って話し合おうとする人も一人としていませんでした。組織の力で真実を覆い隠そうとする日本支部の態度は、この一年と数ヶ月ついに変わることがありませんでした。どうも私たちは悪臭のごとく忌み嫌われているようで、現在では汚れた人々と呼ばれています。
「組織は拡大しています。拡大はエホバの祝福の証拠です。ですから支部は正しいのです」という主旨の日本支部の主張が再三にわたって伝えられました。集められている人々の質を問題にしなければ私たちもその通りだと思います。しかし、組織の拡大と私たちの裁きはまったく別の問題ではないでしょうか。拡大しているからといって裁きを曲げてよいということにはなりませんし、拡大がバアル崇拝を正当化することもあり得ません。
本部の兄弟たちがどのように考えているのか私たちにはもちろん分かりませんが、結果として何もせず、真実を黙殺し、天の法廷の権威をさえ受け入れようとしないのはいったいなぜでしょうか。胸のすくような仕方でキリスト教世界の偽善を糾弾してきたものみの塔協会が、どうして偽りや偽証、バアル崇拝を正そうとしないのでしょうか。日本支部ならば別に不思議とも思いませんが、本部はまさかそのようなことはないだろうと信じていましたので会衆の全員が少なからず驚いています。
これは明らかにものみの塔協会が出版物で述べていることとは異なっています。人は神の前に平等で真実に基づく公正な裁きを受けることができるとするエホバの証人の教義に反しています。ものみの塔協会の行為はYes means Yes ではありません。組織を高めることはエホバを誉め称えることであると本気で信じているかどうかは分かりませんが、組織崇拝というバアル崇拝を止めようとはしていません。少なくとも現時点ではそのように判断せざるを得ませんし、法的にはそういう結論に達します。
ものみの塔協会はカエサルの認可による法人組織ですから、ものみの塔協会の聖書的必然性は思慮深い奴隷級の代表である統治体に依存していることになります。エホバの民に対するものみの塔協会の権威と権力が統治体からくる以上、この事件とバアル崇拝の問題の最終決定は統治体の兄弟たちにお尋ねする以外にはありません。エホバの組織であるというidentityを天の法廷の前で示すのか、それともそうしないのか、私たちは是非とも知りたいと思っています。
それで、統治体としてのものみの塔協会の今回の事件に関わる行為や態度を承認されるのか、それともそうではないのか、その点を明らかにしていただけないでしょうか。YesかNoかそれだけでもかまいませんので、何らかの返答をお願いできればと思います。兄弟たちの決定をお知らせ下されば幸いです。
真の崇拝を促進して行くため魂を尽くしておられる兄弟たちの上に、引き続きエホバの霊の恵みと導きが豊かにありますように。
続いて兄弟、姉妹たちの出した手紙の幾つかを以下に紹介することにしたい。
この事件が始まってぼくたちは、なんども手紙を書きましたが、返事はもらえませんでした。でも、統治体の兄弟たちならあつかってくれると信じて、この手紙を書きます。
エホバの組織は一致して学び、励まし合いますが、今のじょうたいではそうなっていません。エホバの組織としてはおかしくはないでしょうか。ぼくたちは早くもとにもどりたいので、いつもエホバに祈っています。エホバなら解決してくれると信じているからです。エホバに仕えている兄弟におねがいしたいと思います。どうかもとにもどしてください。
私は唯一真の神であるエホバがいることを知ってから、将来の希望、そして自分の日常生活に少しずつ光が見えてきたように感じて喜びが持てるようになりました。そして真実が必ずあることもエホバの証人との聖書研究を通して教えてもらい、自分もこの組織は信じられると思い献身しました。
でも、今回の事件で不公正、偽りなどを見たり聞いたりして失望してしまいました。唯一真の神の名が汚されている状態です。組織の中の指導の任にあたる人がそのようなことをし続けているならば、エホバの組織は汚れてしまうのではないでしょうか。また、聖なる方エホバの所に集まってくる大勢のハトのような者たちを正しく指導していけないならどうなるのでしょうか。(イザヤ60:8、9)私は本当にエホバの組織が真の崇拝で一致したものとなることを望んでいますし、その一員となりたいと思っています。
今、日本でもレーガン大統領が、イランへの武器輸出に関して議会で嘘をついたことが明らかになった事件が大きく報じられています。サタンの体制でさえも一国の指導者の道義的な罪が大問題となりますのに、真理の組織と自認しているエホバの証人の組織内で今回のような不公正な裁きが行なわれたことは、天の法廷の前には、はるかに重大な問題となるのではないでしょうか。きっと皆様も心を痛めておられることと思いますが…
神権組織が行なうことはすべて正しいという見方がなされているようですが、それは統治体ですら不謬ではないと学んだこととどう調和するのでしょうか。(崇拝の本p.120、8節)間違いを犯した場合には、真実に従って事を正す方がはるかに真理の組織にふさわしく、また協会が教えてきたことにかなっているのではないでしょうか。
どうぞ教えていることを行なうことによってエホバの証人の組織が真理の組織、愛の組織であることを証明して下さいますように心からお願い致します。
誠実なエホバの証人は、この組織が救いのための啓示を与えるべく「神に用いられている」唯一の経路であると信じています。魂の見張りとしての牧者が正しい指導をしなければ、民の命は失われます。そして何よりも真の崇拝は腐敗し、エホバのみ名が辱められてゆきます。現に私たちが知る限りにおいて、日本では、エホバの証人が新聞やTVをにぎわすことが多くなってきました。野外で会う人々の反応も、決して好意的なものではありません。しかもその理由は、多くの場合「行状の悪さ」からきています。私たちは、エホバの証人の現状に大変強い危機感を覚えます。
このことを私たちは繰り返し本部の兄弟たちに訴えてきました。
統治体の成員である兄弟、「神の子」としてキリストにあずかるバプテスマを受けておられる兄弟、どうぞその証しとして今回の事件で明らかになったことに目を向け、霊的パラダイスの確立のために事態を正して下さい。
1987年1月25日付けで日本支部、および本部の監督たちに関する訴状を統治体に送る。これをもってものみの塔協会、統治体に対する折衝のすべては終了することになった。
1987年1月25日
親愛なる統治体の兄弟たち
皆さんの決定をお尋ねする1986年12月9日付けの手紙を送って以来1ヶ月余りが過ぎましたが、結論はどうなりましたでしょうか。すでに方針は定まっていることと思いますので、ここに日本支部の監督たち、並びに本部の監督たち(奉仕委員会の監督たち、及び関係するすべての監督たち)に関する訴状を送ることに致します。
私たちは統治体がこの訴状を扱うのか、それとも無視するのか、それによって統治体が神の組織の代表なのか、それともそうではないのか、神の組織のidentityを示すのか、それとも示さないのかを問うことにしたいと思います。
言うまでもなくエホバは偽ることのできない神です。そして神の子キリストも欺きを語ることはありませんでした。エホバやキリストはそのような方々ですから、たとえご自分の組織に都合の悪いことであっても、偽りや偽証を容認されることは決してあり得ないでしょう。
では統治体の皆さんはいかがでしょうか。地上においてエホバを代表する方々としてエホバの神性を証明して下さるでしょうか。真のクリスチャンとしてキリスト教の実質とその力を示してくださるでしょうか。ぜひともそうあって欲しいと私たちは願っています。
皆さんにもいろいろとご都合があると思いますが、様々な状況を考慮しますと今回の事件もそろそろ決着をつけるべき、ふさわしい時期にさしかかっているように思います。それで訴状を提出すると同時に、連絡のための最終期限を明示しておきたいと思います。
最終期限は『1987年3月15日』です。
この日を過ぎてなお、何の連絡もなければ、皆さんもこの事件を正すことを放棄したものと受け取らせていただくことにします。
私たちは一年半に渡り証拠を提出して訴えてきました。嘆願のために出した手紙は一千通をはるかに越えています。しかし日本支部、及び本部の監督たちはこのすべての手紙を退けました。それは偽りや偽証が単なる誤解や錯覚によるものではなく明らかに意図的なものであることを証しています。エホバの証人であると唱えながら、意識的に偽りや偽証を黙認し続けることのできる信仰とその良心を考えると、この事態はもはや真のキリスト教からの背教と見なさざるを得ません。それゆえ統治体も、30人の排斥を含む日本支部の偽り、偽証を容認するとすれば、天の法廷において以下の7つの点が統治体に関して立証されたものとみなさせていただくことにします。
もし皆さんが神の義と公正と憐れみに基づいてこの問題を正そうとしなければ、以上の点が「天の法廷」の前で立証されたものと判断させていただくことにします。いかに残りの者といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人、いかに統治体といえども聖霊を取り去られてしまえばただの人間の組織にすぎないでしょう。
聖書預言に関する私たちの理解によれば、「エホバの前で事を正す責務を負っているのは、どうしても残りの者を代表する統治体の皆さんであるべきだ」ということになります。(イザヤ41:15)
しかしあえて皆さんが脱穀ソリになることを拒むというのであれば、私たちは真の残りの者、本当の神の子を捜さねばならなくなるでしょう。そしてアブラハムの石ころを試してみざるを得ないということになるでしょうか。どうしてもその道を進まねばならないとするなら、その時にはエホバが必要な力と理解と知恵を与えて下さるものと、私たちは確信しています。
本部の監督たちに関する訴え
(奉仕委員会の監督たち、並びに関係する責任のあるすべての監督たちに関して)
〔I〕偽り、偽証
日本支部の偽り、偽証を容認した。
〔II〕 流血の罪
日本支部による30名の殺人を容認した。
〔III〕 背教
(1) 日本支部の背教を容認するだけではなく、それを支持した。1987年の年鑑p.8には、それが反映されている。
(2) 組織バアルを唱道した。参照:1986年3月〜12月までの広島会衆からのすべての手紙
(3) 特権の有無にかかわらず神の義に基づく公正で公平な裁きを受けることができるとする、エホバの証人の教えを自ら行なおうとはしなかった。広島会衆からの訴えを退け、嘆願を無視し続けた。
(4) 真理の書であるみ言葉聖書に対して極めて無責任な態度を取った。新世界訳聖書日本語版の誤訳や問題点について報告し質問したにもかかわらず、何ら返答をよこさなかった。
(1986年7月21日及び同年11月6日付の手紙1987年Y.B.p.8参照)
日本支部の監督たちに関する訴え
〔I〕偽り、偽証
その基準:使徒5:1〜6;「崇拝の一致」p.53
(1) SC:SD1985年6月14日付けの手紙の終りには「この手紙の写し:第79巡回区藤原○○兄弟」と記されている。しかし写しでなかったことは藤原兄弟が1985年7月11日の集会において会衆の前でその手紙を朗読した時に明らかになった。
(2) 1985年7月9日、藤原兄弟は突然広島会衆を訪問した。その時、兄弟の提案により訪問の目的を日本支部に電話で尋ねることになった。それで電話したところ、「地域監督としての調査と援助です」との答えを得た。だが広い意味では審理も排斥も援助になりうる。巡回訪問の前、三人の援助者、並びに特別委員会が審理委員会を開くための根拠を捜しているのは明白であったので、援助の意味を限定するため、「それだけでしょうか」と尋ねてみた。なかなか答えようとしなかったが、ついに「調査と援助だけです」と答えた。しかしこの言葉はわずか三日後に覆されてしまった。
(3) 笹山、藤原兄弟は再三に渡り、「私たちは日本支部の指示通りにやっているだけです」と強調した。もしそうだとすれば、支部は偽りや偽証を積極的に支持したことになる。笹山兄弟は、「支部と電話で連絡を取り合っています」と述べていたので、その可能性は極めて高いといえる。加えて日本支部は最終的に、そして法的にA、K姉妹、笹山、藤原兄弟の偽り、偽証を承認した。
(4) 1985年札幌、八戸(はちのへ)地域大会、及びその後の巡回大会において今回の問題に関し真実を曲げて伝えたすべての発言。
(5) 各会衆の長老団へ送られた偽りの手紙。
〔II〕 殺人
その聖書的根拠:ヨハネ第一3:15;
〔証拠〕
(1) 1985年7月12日に日本支部の代表者藤原兄弟は、広島会衆に敵意と憎しみの精神を播き始めた。その後監督たちは現在に至るまでその精神を大いに助長してきた。
(2) 1985年7月15日特別委員会の瀬野兄弟は「金沢兄弟たちと行動を共にすると組織にはもう永久に戻れませんよ」と姉妹たちに述べた。これは日本支部が初めから殺意を抱いていたことを示している。
(3) 公正で義にかなった裁きを求めるすべての声を退け、30名の排斥を決定した。
(4) 根絶宣言、絶滅宣言を出した。
(5) 文書、雑誌を切り、霊的食物を断とうとした。
(6) 転勤の可能性のある姉妹たちが復帰の方法を尋ねたにもかかわらず、何の返答もよこさなかった。
(7) 一千通を越える嘆願を無視した。
〔III〕 背教
定義:エホバの真の崇拝(霊と真理による)やエホバがその献身した民の間にお立てになった秩序に逆らって取られる行動
(KS81Jp.166)
〔その証拠〕
(1) ものみの塔誌の義の裁定について1985年7月9日〜14日の巡回訪問で、藤原兄弟は「ものみの塔誌の義の規準」に関する日本支部の裁定を広島会衆に伝えた。要約すると内容は以下の通りである。「終わりを生き残るために必要な救いの規準はバプテスマの規準である。したがって高められたものみの塔の義の規準は新秩序に入ってから行なえば良いものであって、現在はかならずしもそれを行なうよう求められてはいない。それは個人の任意に任されるものであって会衆全体に徹底すべき性質のものではない。もしそうしようとするなら、それは協会の方針に反することであり、背教行為となる」この裁定は以下の理由で統治体の指示に違反している。
(a) 1984年に開かれた王国宣教学校におけるものみの塔研究の監督に対する指示:「ものみの塔研究の監督は可能な限りものみの塔誌の精神を会衆に反映させるべきである」という指示に反している。
(b) A.D.シュローダー兄弟が1985年5月に地帯監督として日本を訪問した時に述べた、王の義、預言の義の話に反している。
(c) 1985年春の巡回大会において長老団に与えられた指示「ものみの塔誌の増し加わる光を会衆に理解させるように」という指示に反している。
(d) ものみの塔誌はその名の通り終わりの日を見張る雑誌であるとされている。ならば、その記事には終わりの日を生き残るために必要な教えが載せられているはずである。今は任意で行なえば良いとするのは、ものみの塔誌の目的と方針に反している。
(2) 審理の扱い方に関する聖書の指示、及び組織の取り決めに従わなかった。
(a) 特別審理委員会は一方的な調査だけで真実を曲げた裁きを行なった。
(b) 1985年7月14日午前の集会で藤原兄弟は「兄弟たちの動機は良かった」と公に認めた。それにもかかわらず、特別審理委員会はその日のうちに排斥を決定した。
(c) 特別審理委員会は一度の呼び出しだけで排斥を決定した。
(d) 復帰の方法を教えてそれを勧めるどころか、多くの姉妹たちに「永久に戻れない、二度と戻れない」と語った。
(e) 審理の聖書的根拠自体を否定して上訴したにもかかわらず、上訴委員会は全く調査しようとしなかった。
(f) 特別審理委員会、上訴委員会の監督たちの中には排斥の理由をよく知らない人もいた。
(g) 排斥決定の聖書的根拠を求めたにもかかわらず、一言の説明もなかった。
(h) 幾人かの親族や研究生を背教者同様に扱うよう指示した。
(i) 社交的交わり以上の親子、親族の交わりさえ禁じる指示を出した。
日本支部は以上のような非聖書的、及びエホバの組織の取り決めに反する審理を行なうよう指示し、かつそれを承認した。
(3) 組織崇拝を唱道し、真の崇拝を退けた。
(a) 組織をバアル化した。
(b) 組織の名において不当な審理を正当化しようとした。
(c) 組織の名において一千通に及ぶ嘆願に耳を貸そうとしなかった。
(d) 「たとえ偽りであろうとなかろうと組織の指示に従っていれば良い」と教え、聖書の権威を組織の権威の下においた。
(e) 「真実を語れば私も背教者とみなされる」と広島会衆の長老に言わせるほど、組織の名の下に真実を覆い隠そうとした。
藤原兄弟の偽り、偽証
その基準:使徒5:1〜6;「崇拝の一致」p.53
〔I〕支部への中間報告に関しての偽り、偽証
私たちは出席を拒否してはいない。会合に出席するようにとの連絡を受けたのは二日前であり、しかもその日は平日であったので仕事の調整を計っていたのである。藤原兄弟は、笹山兄弟から出席を拒否しているという情報を得たと述べたが、それが事実であるなら笹山兄弟の偽証となり、藤原兄弟はそれが分かった段階で調整の報告をしなかったので同罪となる。またそれが事実でなければ藤原兄弟は二重の偽証を行なったことになる。
会合の時間については、その前日藤原兄弟自身が一時間でもよいので来るようにと勧め、その時間内で集まることが約束されていた。また午後の集まりについては全員知らされていなかった。そのような事実に反して上記の証言をすることによって真実をねじ曲げた。
会合の前日に笹山、桑原兄弟が突然広島会衆を訪問したことや一回目の会合に極めて不審な点があったこと等のため、私たちは「援助であるなら、その目的と性質を明らかにして下さい。そうすれば出席します」と書面で通知してあった。ところがこれに対し、何の連絡もなかったので出席するには至らなかった。この間のいきさつが明らかにされず、会合を拒否しているかのような不真実な報告がなされている。
全員覚えがない。藤原兄弟は私たちがこの会合の目的と性質を確かめようとしたことを不敬な行為とみなしたのかも知れない。しかし真実を知ろうとするのは当然のことであり、冷静に判断するなら、それを不敬とはみなさないはずである。
そのような事実は全くない。私たちは、笹山兄弟には中傷の疑いがあるので、できれば扱って欲しいと告げた。中傷は二段階を踏まなければ審理として扱えないので、笹山兄弟を告発してはいない。藤原兄弟に真剣に扱う意志があれば、マタイ18:15〜17の手順を踏むよう指示したはずである。
(6) 1985年7月9日の午後、上記の件について話し合ったが、その際彼は自分の報告が真実ではないことを認めた。その点は7月17日、木曜日の集会での「真実の一かけらぐらいはあったでしょう。3ページも書いたのですから」との発言に示されている。ところが大部分不真実であることを公に、しかも自ら認めながら全く訂正しようとはしなかった。
〔II〕 その他の偽り、偽証
(1) 第一回目の会合の前日において(1985年6月18日)藤原兄弟は1985年6月18日、金沢、柳村兄弟との電話でこの問題に関しては「何も聞いておらず、何も知りません」と述べた。しかし藤原兄弟は会合の二日前にA、K姉妹を呼び出し、すでに問題の調査を行なっていた。K姉妹によるとそれは三時間にも及んだとのことなので、彼はかなりの情報を得ていたはずである。
(2) 第一回目の会合の前日において広島会衆では、集まりの性質を知るために、笹山兄弟を中傷の疑いで扱って欲しいという要望を藤原兄弟に提出した。それに対し藤原兄弟は快く応じたが、それはまったくの偽りであった。I.(5)の項目のとおり、中傷は二段階を踏まなければ、扱えないはずである。事実、私たちが会合で笹山兄弟に質問して、彼が返事に詰まると藤原兄弟は直ちに笹山兄弟を弁護した。そのようにして、実際は少しも扱う意志のないことを示した。
(3) 藤原兄弟は一回目の会合において、出席した兄弟たちに悪霊の噂があるかどうか質問した。全員が「ある」と答えたにもかかわらず、「無い」と答えたとし、その後姉妹たちを何度も呼び出したり、電話をかけたりして、広島で悪霊の噂があるということの裏付けを取ろうとした。しかし巡回訪問の記録調べの時、私たちが藤原兄弟に直接質問すると、「兄弟たちは肯定した」と自ら認めた。それにもかかわらず捏造した事柄の訂正を公に行なおうとはしなかった。
(4) 巡回訪問中の金曜日に姉妹たちとの特別な集まりが開かれたおり、訪問の初日に広島会衆の兄弟たちが「やくざのように迎え、藤原、瀬野兄弟を車の中に押し込めた」と発言した。実際は、敬意を持って迎え藤原兄弟たちの訪問の目的と統治体の裁定について尋ねただけのことである。藤原兄弟は「その点については、よく知らないので支部の阿部兄弟に尋ねるように」と指示した。その間、「私たちは車の中で待っています」と自ら述べたのであって、兄弟たちが押し込めたというのは、はなはだしい偽りである。
(5) 金曜日に姉妹たちのための特別な集まりを設けるに際して、「心を開いて姉妹たちの言い分をすべて聞きます」と言っておきながら、出席した人の名前をすべてチェックしたり、また「話せば話すほど姉妹たちは不利になります」と述べ圧力をかけた。そのようにして真実を聞く心はまったくないことを示した。
(6) 藤原兄弟は訪問中の木曜日に、審理、及び削除の推薦はいらないと述べた。しかし、半日もたたないうちにその発言を覆した。理由についての説明は一言もなかった。
笹山兄弟の偽り、偽証
その基準:使徒5:1〜6;「崇拝の一致」p.53
(1) 広島会衆の状況に関して、真実を確かめずに多くの偽りを含む報告を日本支部に送った。
(2) A、K姉妹が笹山兄弟のところに相談に行くであろうことは、会衆としても十分予期していたことである。私たちは笹山兄弟が主宰監督として神権的手順に従って行動して下さるものと思っていた。ところが兄弟からは何の連絡もなかった。A姉妹が研究生に広島会衆を訴えると吹聴し始めたので、宮坂兄弟が笹山兄弟に電話でその確認をした。それに対して兄弟は「訴えるとか訴えないとかいう問題ではない」と語り、すでに日本支部に告発していたことを隠そうとした。
(3) 協会に報告したような事実があるか否か広島会衆を調査して欲しいという、再三の要請に対し「自分にはその権限はありません」と答えていながら、A、K姉妹にテープやメモを取ること、会衆を移動することなど具体的な指示を出し、すでに一方的な調査をしていた。
(4) 笹山兄弟は1985年6月18日火曜日の集会に桑原兄弟を伴って突然現れた。訪問の目的を尋ねられた時、「宮坂兄弟に招待された」と言って、講演の扱い方やA、K姉妹に対する会衆の接し方について観察に来たことをごまかした。宮坂兄弟がその日の集会に招待したという事実はない。
(5) 同集会後、宮坂兄弟が「今日の集会の様子から緊張した雰囲気が感じられますか」と笹山兄弟に尋ねると、「皆さん活発に注解していて良いですね。一部の人以外は緊張していないようですね」と答えて会衆全体が異常な状態ではないことを認めた。ところが支部に送った報告に関する訂正、あるいは撤回を行なおうとはしなかった。
(6) 「G兄弟が押切兄弟だけは信頼のおける兄弟だといっていましたよ」などと目的不明のことを電話で押切姉妹に述べた。事実かどうかをG兄弟に確認したところ、そのようなことは語っていないことが明らかになった。
(7) 1985年6月30日の笹山兄弟の行なった中傷に関する集まりの際、同兄弟は、「もう、これ以上変なことはしません」とエホバの名にかけて明言した。ところが、その約束は一週間もしないうちに破られた。
(8) 広島会衆では、A姉妹の問題を審理問題として扱うかどうか検討中であった。しかし、その間にA姉妹は羊ヶ丘会衆に交わるようになり、笹山兄弟は緊急避難と称して、二人(A姉妹、Hさん)の伝道者カードを羊ヶ丘会衆に移してしまった。そのため、広島会衆ではA姉妹の問題を扱うことができなくなったので、笹山兄弟とその扱いについて協議した。その際、笹山兄弟は「証拠を提出して下されば羊ヶ丘会衆で扱います」と述べたが、A姉妹に関しては一度も証拠を求めようとはせず、またHさんについては万引きの報告があると告げたにもかかわらず、調査しようともしなかった。
(9) K姉妹はA姉妹と共に告発に加わっていた。ところが笹山兄弟はK姉妹に加わってはいないと語るよう指示した。K姉妹はそのことについて監督たちの前で証言してもよいと断言した。
統治体からの連絡はやはりなかった。これで地上における法的係争のすべては終了した。残るは天的レベルにおけるリーガルケースのみとなった。