審理委員会とは裁判と同じようなものであって、単なる話し合いの場ではない。後に「どうして審理委員会に出て話し合わなかったのですか」というわけの分からないことを述べた長老たちもいたが、審理委員会の何たるかが認識できていれば、そういう台詞は出てこない。
王国宣教学校の教科書(監督養成書)を見れば分かることであるが、審理委員会を開くのは罪を確定した上でのことである。従って、審理委員会に呼ばれるということは、すでに罪人に定められたことを意味する。罪を犯したのか、それともそうではないのかを話し合うのは審理委員会以前の問題である。
兄弟たちには審理委員会に行くべき罪の自覚はなかった。ものみの塔誌の精神を可能な限り会衆に徹底させようとすることが背教になるなどということは、エホバの証人としての信仰と良心からしてとうてい受け入れることはできなかった。審理委員会に呼ばれるべきなのは、むしろ偽りを弄し偽証を行なっている彼らの方ではないか。本当の背教者は日本支部の方であると考えていたのである。
しかもあの監督たちでは。審理委員会の実質的な代表者が不真実な報告を送ることを何とも思わない藤原兄弟なのである。公正な審理を期待できる可能性はまったくなかった。仮に監督たちが奇跡的に真実を擁護したとしてもどうしようもない。末端でどう言おうと決定するのは支部である。支部が片付ける気である以上は何をしようと無駄なことである。つまり、どう考えてみても、出席するという線は出てこなかった。
この時、兄弟たちが唯一期待をよせていたのは、統治体の勧告であった。もっともこれは統治体の善意を信じた上での話ではあったが。(この時はまだ統治体そのものが問題なのだということはまったく分からなかった。それを理解したのはかなり後になってからである。)郵送に必要な日数を考えると、勧告が出るまでには最低一週間から十日位かかるものと思われた。そのため兄弟たちは何とか時間的余裕を作ろうと考え、審理委員会の延期を願い出た。しかし、これはあっさり断られてしまった。
王国宣教学校の教科書、p.69、161には、「もし再三、聴問を行なっても当人が来ないなら」「当人が再三に渡って姿を現さない場合」と記されている。ゆえに、この組織の指示に忠実に従うのであれば、一度の欠席で排斥になることはあり得ない。何度かは呼んで様子を見るはずである。ところが、支部は神の義と公正だけではなく、組織の取り決めをも無視したのである。兄弟たちは一回の欠席審理で排斥されてしまった。何故か理由は分からないが、支部は非常に急いでいた。少なくとも、2、3回は呼んでもらえるものと思っていたのであるが…
7月15日月曜日の朝、金沢兄弟に瀬野兄弟から電話で排斥の通知があった。
「兄弟が望んでいた排斥になりました。一応上訴することもできますが、そうしますか」
「もちろん上訴します」と答えると、
「えーっ。上訴するんですか…」一瞬、絶句した。
「じゃあ、なるべく早く上訴文を出してください」
組織を出るものと決めてかかっていたらしい。
同日、瀬野兄弟は会衆の成員に電話をかけ、「別の集会に出席すれば排斥になり、二度と組織に戻ることはできない」と告げた。それによって、別の集会が開かれることを知るようになった人は多かった。
電話での反応があまり思わしくないと感じたのであろうか。翌日、A、K姉妹の二人は会衆の姉妹たちや研究生の家を訪問し、謝罪して廻った。恐らく別の集会に行く人を一人でも減らそうと考えたのであろう。結果からすると、これは逆の効果をもたらしたようである。
16日の夜、集会が開かれた。出席したのは約60名であった。広島会衆は真っ二つに分かれてしまったのである。兄弟たちは誰一人誘わなかったのに、なぜ多くの人が「組織を出たら滅びる」という監督たちの脅しを振り切り、自ら排斥される道を選んだのであろうか。
以下はその理由について尋ねたものである。
彼らは皆、自らの信仰によってこの道を選んだのである。
7月17日(水)下記の上訴文を提出する。
1985年7月17日
特別委員会の兄弟たち
7月15日に特別委員会の背の兄弟を通し排斥決定の電話連絡を受け取りましたが、私は下記の理由に基づきこの件を上訴したいと思います。
藤原兄弟はものみの塔協会を通し光を増しゆく聖書預言の義に関する裁定について私達に知らせて下さり、会衆で何度か話して下さいました。ところが統治体の裁定であるとは一度も述べられませんでした。この問題の根本となっているのは、まさに、その裁定なのですから、統治体の兄弟たちに確認して最初からやり直すのが道理にかなっており、急いで判断を下すのは性急だと言えるのではないでしょうか。(「奉仕の務め」p.28、1節 使徒15:1,2)
今回の扱い方を見ていますと、聖書預言の義について心から理解している人々でなければ、この問題を十分に扱うことはできないと感じました。したがってこの件を審理する兄弟たちは、その義について心から理解できる方々で構成されるべきではないでしょうか。(詩篇19:7〜11)
この度の決定はきわめて一方的、かつ不当なものであり、はなはだしく公正を欠いています。(申命記1:16、Iテモテ5:21、イザヤ32:1,2)
こうした点から、悔い改めの有無というよりは審理の根拠そのもの、および審理自体が聖書的に無効であることをお伝えします。それゆえ上訴委員は統治体の裁定を受けてから、それを心から理解できる兄弟たちで構成していただきたく思います。(箴言16:21)
もし上記の点が受け入れられない場合は、いかなる取り決めも決定も天の最高法廷の前では無効であることを宣言したいと思います。(アモス5:20〜24、6:8)
以上お知らせし、兄弟たちの憐れみに富む判断を心からお願い致します。
まさに71年目に王イエスが引き上げられた義の支配を見たいと願っている皆さんの兄弟。
<アモス5:20〜24;6:8>
5:20エホバの日は暗闇であって、光ではない。それは暗がりであって、明るさはない。そうではないか。
21わたしはあなた方の祭りを憎み、〔これを〕退けた。わたしはあなた方の聖会の においを楽しまない。
22また、あなた方が全焼燔の捧げ物をささげるとしても、その供え物を喜びとは しない。あなた方の共与の犠牲の肥えたものに目をとめなさい。
23あなたの歌の騒々しさをわたしのもとからのけよ。あなたの弦楽器の音色を私に 聞こえないようにせよ。
24そして、公正を水のように、義を絶えず流れ行く奔流のようにわき出させよ。
6: 8『主権者なる主エホバが自らの魂にかけてこう誓った』と、万軍の神エホバは お告げになる。『「わたしはヤコブの誇りを忌まわしく思い、その住まいの塔を
憎んだ。わたしは〔その〕都市とそこに満ちるものとを引き渡す。
7月18日(木)上訴委員会からの手紙が届く。
札幌市豊平区XXXXXXX
村山○○様気付
北海道広島会衆宮崎○○
1985年7月18日
宮坂政志兄弟
親愛なる兄弟
7月16日付のあなたからの上訴の申し出に応えて、私たちは上訴委員会を開くことにいたします。上訴委員の構成と上訴聴問会の行なわれる日時と場所は次の通りです。
上記の通りお知らせいたします。
上訴委員会のメンバーを見て、真面目にやる気はまったくないと判断した。藤原兄弟よりはるかに低い権威しか持たない人々で構成されていたからである。
所詮、この上訴委員会は形式的なものに過ぎなかった。初めから真剣にやる気はなかったのである。このことはメンバーの一人であった小熊兄弟が、橋本さん(研究生)に語った次のような言葉によく表れている。
「特別委員が決定したことを覆すことはできない」
(「特別委員」は通常、組織の取り決めにはない)
「藤原兄弟が説得しても駄目なものは、誰がやっても駄目である」
しかも彼は、1年余りたつと、自分が上訴委員であったことさえすっかり忘れていたとのことである。たぶん途中から特別委員の方へ移ったせいもあるとは思うが。
一回の欠席審理での排斥、事実調査さえやろうとしない不真面目な上訴委員会、組織のこうしたやりかたに憤った金沢兄弟は、王国宣教学校の教科書(長老用のテキスト)返還要求に対して次のような返書を送った。
1985年7月20日
金沢司
今回の事件の責任者の兄弟たちへ
(特に日本支部内)
何をそのように急ぐのでしょうか。再三の呼出しという王国宣教学校の教科書(p.161)の指示を無視し、何のために性急に事を進めようというのでしょうか。これがいったい誰の益になるというのでしょうか。誰を喜ばせるというのでしょうか。皆さんはよく理解されているはずです。はたして誰の精神を反映し、誰の知恵に従っているかを。よくご存知ではないでしょうか。およそ清い聖なる神エホバのみ前で良心に何の痛みもなくできるものかどうかを。それとも少しも感じないほど皆さんの良心は麻痺しているのでしょうか。
皆さんは広島会衆を分裂させ王国会館の建設を中止させてしまい、多くの羊に多大の苦しみをもたらしました。そればかりでなく、はなはだしく不公正な裁きを行ない、強引に50人以上の魂を滅びに定めようとしています。これが、エホバ神のみ前で流血の罪を負い、天の法廷を侮辱する行為となることを知らないというのでしょうか。エホバ神は生きておられ、このことをご覧になっているはずです。(歴代第二19:6)さらに質問や嘆願を反組織的行動、不従順とみなすほどの忠実を要求するのはいったい誰が持てる権利でしょうか。いかに皆さんといえども、もしそうするなら自らを神の上に高める不法の人と同列になってしまうのではないでしょうか。
A・D・シュローダー兄弟は地帯訪問で明確に述べておられなかったでしょうか。聖書預言の義は生き残るためすべての人に必要な最低の義の規準であり、大ぜいの群衆が自らの衣を白くするためには欠かせないものであることを。(啓示7:14)今回皆さんはそれとはまったく相反する裁定を出されました。それゆえ、私は長老としてそのことを統治体の兄弟たちに再びお尋ねすることにしましたが、皆さんこそむしろ率先して統治体に確認すべきではないでしょうか。(使徒15:1、2、22、30〜32)私としては、その支配71年目に義を引き上げようとされる王イエスと戦い、エホバ神を敵にまわすことなどとても考えられないことです。
したがって、今回のような神権的手順および、天的経路を無視した措置はすべてが無効であり、まったく受け入れられないものであることをお伝えしたいと思います。(アモス5:5〜7、20〜24; 6:8、13)ゆえに、王国宣教学校の教科書は聖霊が私の長老職を解くまでは皆さんに返還する必要がないことをお知らせ致します。
7月20日(土)夜8時、電話で排斥が通知される。
7月21日(日)再度、統治体に援助を依頼する。
7月24日(水)特別委員会から招集状が届く。
札幌市西区XXXXXXXXX
松浦○気付
北海道広島会衆審理委員
1985年7月22日
北海道広島会衆
柳村敬子姉妹
親愛なる姉妹
北海道広島会衆審理委員は下記の通りあなたとの会合を持ち、聴問を行ないたいと考えています。ご都合をつけて出席してくださるようお招きいたします。
上記のことをお知らせし、エホバの導きをお祈りします。
※ 開拓者身分証明書をお返し下さい。
7月26日(金)排斥通知
兄弟たちが一人も審理に出席しなかったためであろう。姉妹たちも欠席すると考えたらしく扱い方は非常に事務的で、ずさんであった。ある姉妹が招集の手紙を受け取ったとき、すでにその日時が過ぎていたくらいである。
8月1,2日上訴委員からの招集
札幌郡広島町XXXXXXXXXXX
北海道広島会衆宮崎○○
1985年8月1日
親愛なる小河姉妹
あなたからの上訴の申し出にこたえて、私たちは上訴聴問会を開くことにいたします。上訴委員の構成と上訴聴問会の行なわれる日時と場所は次の通りです。
上記の通りお知らせいたします。
8月3日(土)排斥通知
加藤姉妹のご主人は家族からある程度の事情を聞いていたが、姉妹たちに審理委員会への招集状が届いた時、その文面に驚き、支部と特別委員会に質問を送ることにした。
<< 尋ねた点 >>加えて、公正な態度で事実を再調査するよう求めた。しかし回答はなかった。
7月26日、姉妹たちに排斥の通知を行なっていた藤原兄弟と、加藤さんは1時間以上にわたって話し合った。その一部は次のようなものである。
「手紙は届いているが(7月24日に送った手紙)、まだ内容を読んでいない。組織(日本支部)の指導に反抗したグループに加わっているので処理された」
「なぜ判決を急いだのか。聖書や出版物には充分な説得と記されているが、どのような努力をしたのか」
「電話で一回、全会衆の前で一回」
「そのような回数だけで充分なのか」
「…沈黙…一方的な情報だけで私たちを批判するのはおかしい」
「責任者側でまとめた経過を知りたい」
「組織内部の事情なので説明はできない」
「判断する情報がないではないか」
「…無言…お父さん、組織に戻るように呼びかけてください」
「組織外の人間だから介入はできない。それらを調整するのが責任者ではないのか」
「誤りなので撤回する」
「神の言葉上の問題か、それとも組織上の問題か」
「組織上の義(私には神学上の用語なので理解できない)の解釈の相違だ」
「解釈上の相違はどこで調整されるのか。組織内で疑問が生じた場合に充分な話し合いもせず、判決だけ急ぐルールになっているのか」
「…沈黙…」
「分裂とか分派というが、少なくとも6月まで王国会館建設の動きがあり、一人の独裁的、分派的責任者と判定された者の独断で決定したものではなく、会衆の総意だと聞いている。先月まで平和な会衆であったのに、それを相争う会衆と評価するのか」
「そのような評価はしない、立派だと思う」
「ならばなぜ急いで判決を出したのか」
「私は上と下から板挟みになり、頭が混乱している」
しばらくの間無言。電話が切れたのかと思い、「藤原さん、藤原さん」と何回か呼んだ。
「突然に上部が変わった。上部で決めたので、これ以上の事は上部に聞いてほしい。お父さん、私の立場も理解して欲しい。…しばらく沈黙…私はどうなっても良い、覚悟をしている」(彼の言う意味が分からない)
「エホバの証人は“世の光となるように”と教えられていると聞いている。世俗の人々が尊敬できる行動を取って欲しい。我々は聖書につまずくのではなく、あなたがた指導者の行為につまずく。真に聖書的な解決によって、早く平和が戻ることを希望する」
「私たちもそのように努力する」
「前回の手紙についての返事を期待する」
「…無言…」
加藤さんはこの話し合いの感想を次のように述べている。「お父さん、私たちはエホバの言葉に基づいてこのように行動したのですよ」というような神の言葉に基づく説明を期待していた。しかしその話はまったく出ず、組織の決定であると繰り返すだけであった。神よりも組織が優先するとの強い印象を受けた。電話後に知って驚いた。何と彼は北海道地方の最高責任者であったということである。私は札幌の一長老だと思い、厳しい質問を控えた。
藤原さんは最初、元気よく話していたが、後半は無言とか、「頭が混乱している」と称し、意味不明なことを口走っていた。「なぜ、判決を急いだのか」との部外者からの質問には答えられず、「判決が下っても組織に戻ることができる」と弁明する。「問題、取り組みの順序が逆ではないか」と問うたら、「私が決定を下したのではないから上部に聞いてくれ」という。会衆の前で判決を宣告した裁判官が、「判決は私から出たものではない」というのである。このことを世俗では責任回避という。責任者としての権威を機械的に行使したにすぎず、その責任を果たすため充分な努力を払ったとは考えられない。責任者には権限があるが責任もある。自己の行為を反省もせず、上部に責任を転嫁する。世俗の管理者ならば尊敬されぬタイプである。