Ⅲ. 解放の必須条件

エホバの証人に関する文書は今までにも何冊か出版されてきた。おそらくまだ研究中の人や、すでに組織に疑問を抱いている人にはかなり効果があったのではないかと思うが、活発なエホバの証人にはそれほどインパクトはない。

理由としては様々な要因が考えられるが、内部の感覚で言えば主に以下の点を挙げることができる。これは本やパンフレットだけではなく、エホバの証人に伝道するときにも当てはまることである。

1. 批判の根拠、規準を伝統的なキリスト教の教えにおいている。

ものみの塔協会は伝統的なキリスト教の教理を批判、攻撃して成長してきた教団であり、組織の中で中核となっているのは伝統的なキリスト教にあき足りなかった人々である。加えて毎週開かれる集会では、伝統的なキリスト教の教えに対する攻略法の訓練が実にていねいに行われている。

「あなたがたは間違っている」といわれても、それが伝統的なキリスト教の教えを根拠にしたものであれば、「あの人たちは私たちの捨てた教えに基づいて批判しているに過ぎない。そういう解釈はすでに古い」というくらいにしか思わない。したがって、伝統的なキリスト教の教理で攻撃されても、ほとんど問題意識を感じないわけである。

2. 筋違いな批判、感情論理。

C・T・ラッセルは商人の子供で、神学校も出ていない。彼は妻にもそむかれた、だらしのない夫であった。ラザフォードは刑務所に入れられていたことがある、エホバの証人は自分の救いのために雑誌売りをしている、等々。

こういう記述は感情的な人には訴えるかもしれないが、内部の人には著しく本の信用度を低めるものになってしまう。それどころか積極的な逆効果もある。「イエス・キリストも、当時のユダヤ人の主流にはさげすまされていたナザレの出身であった、教えと関係ない次元で非難を受けるのは、むしろ神に是認されている証拠である」という具合に、宗教心理特有の考え方をするわけである。

3. エホバの証人の信仰の最大の基盤を扱っていない。

三位一体論、キリストの神性、十字架による救い、これらの教えは確かにキリスト教の根幹をなす重大な教えである。しかし、エホバの証人にとっては必ずしもそうではない。教義上の建前はともかくとして信仰を支える最も重大な教えは他にある。その点を扱わない限り、エホバの証人にはそれほど大きな影響はない。

《エホバの証人を拘束している最大の教義》

エホバの証人にとっては、組織論と預言が信仰の最大の基盤である。猛烈な伝道のエネルギーもここから出てくる。この砦をくずさないかぎり、エホバの証人をものみの塔協会から解放することは不可能であろう。ものみの塔協会もこの点だけは必死で守ろうとするだろうし、エホバの証人の抵抗も強いとは思うが、攻略してしまえば最大の成果を上げることができる。

したがって、この小冊子ではエホバの証人の信仰の最大の基盤に焦点を当てることにした。また、伝統的なキリスト教の教理は使わず、ものみの塔協会の教理そのものの内部矛盾を突くという方針を取った。この小冊子の資料だけではまだ不十分だと思うので、多くの人々の協力により、さらに充実した資料が作成されることを期待したい。