ランダル・ワッターズ-2
そのころ統治体が1914年の年代の信ぴょう性について討議した(と言うよりむしろ、その件を取り上げたがすぐに却下された)という噂が漏れたことがあります。また、一揃いの規則集に従って生きるのでなく個人の良心を育てることの大切さについて、繰り返し言及されるようになりました。組織の中で、一定の自由が許されるようになりそうな気配がしてきました。職業と私生活の分野で、証人により多くの自由を与えるように見える記事も出されました。

例えば「ものみの塔」1972年10月1日号(日本語版1973年1月15日号)の「あなたの良心とあなたの職業」の記事です。その中ではタバコ農園で働く証人には、その仕事を続けるか辞めるかは本人の良心にまかされる、とはっきり書かれていました。それから数カ月もたたずに、兄弟たちが自由を行使し過ぎているので規則を設けるべきだという苦情が、長老たちから統治体に寄せられるようになりました。1976年9月号(日本語版1976年11月号)の「王国奉仕」3ページでは、証人は決して「タバコの生産、販売、普及に携わることはできない」と述べました。統治体の成員ミルトン・ヘンシェルは、かつて別の良心上の問題に関し「もし兄弟たちにこれを許したら、どこまで行ってしまうか分からない」と言ったことがあります。ローマ7:6やガラテヤ2:16-21,3:10のパウロの言葉に真っ向から対立していますが、統治体は「兄弟たちを列からはみ出させないように」規則を作る必要があると見なしたのです。私はベテルの責任ある地位にいる人々が何度も繰り返し「兄弟たちに任せてはおけない」と言っているのを聞いたものです。言い換えれば、平均的な証人はエホバを愛しているだけでは問題から解放されなかったのです。証人は、自分の全生活を支配する規則、門限、制限が必要なのです。ですが監督としての私の経験は、それとは反対のことを教えてくれました。人を信頼すれば、相手は安心感を持ち、仕事を達成するためにますます働くようになるのです。不幸にしてベテルではこのような雰囲気は一般的ではありませんでした。

→ランダル・ワッターズ-3
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