ランダル・ワッターズ-3
1979年後半までは、個人的意見も親しい友の間で話し合うことができました。「年季の入った」ベテル奉仕者の間では、大半の統治体や執筆委員会の間に教理を巡る意見の相違があることはよく知られていました。例えば「目ざめよ!」誌の前編集者であるコリン・クワッケンブッシュは、「144,000人」(天的級)は一世紀終わりまでには選ばれていたはずだ、なぜなら歴史が示すところによれば初期教会には何百万人ものクリスチャンがいて、その多くが殉教の死を遂げたのだから、と考えていました。組織の第4代会長であるフレッド・フランズは時々、ある教理は自分の個人的意見であり他の統治体メンバーの一致した見解ではないことを断らねばならない、と言っていました。とはいえ1979年も終わるころになると、そのような相違があることをあえて認める人は誰もいなくなりました。

サンチェスが排斥され、レイ・フランズが審理に掛けられている間、次に「首を切られる」のは誰だろうという噂が飛び交ったものです。新たに統治体に入ったメンバーは、代わる代わるこれら「背教者」を非難し、古くからの成員に自分たちの忠誠を証明しました。有名な聖書の注解書(バーンの新約注解)が禁じられ、図書室から消えたこともありました。一部のベテル奉仕者が個人研究でその本を用い、ものみの塔の底の浅い学識を見破って批判したからです。自分たちの教理の土台に対する不安を明らかにしたのは、「ものみの塔」1981年8月15日号P.28,29(日本語版1981年12月15日号P.24,25)でした。その中で「ものみの塔」誌を用いないで聖書を研究したいと望む人々を槍玉に挙げています。「一人であるいは小さなグループに分かれて家庭で聖書だけを読んでいれば十分だ、と彼らは言います。ところが不思議なことに、彼らはそのような『聖書朗読』を通してキリスト教世界の僧職者が著わした100年前の聖書注釈書に教えられている背教した教理に逆戻りし…」。

→ランダル・ワッターズ-4
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