エホバの証人は「1914年に終わりの時が始まった、キリストの臨在は1914年に開始された」と堅く信じている。この教えは「神の組織、統治体」の教義と並んで、ものみの塔協会の最も重要な柱となっている。エホバの証人が終わりは近いと強調する最大の根拠は、1914年−キリスト臨在説である。
もっとも最近では、1914年という年が統治体にとってだいぶ重荷になってきているとの指摘がある。1975年が外れた直後は、「1914年から数えて一世代のうちに終わりが来ます。一世代は70〜80年の長さを指しています。やはりハルマゲドンは近いのです」とよく言っていたものであるが、はや限界の1994年もあとわずかになってしまった。
「世代は厳密な意味で長さを表しているのではありません。1914年当時の人々全体を指していますとか、その時代の特徴を象徴していると考えられます」といったふうに、世代の意味を変えてごまかそうとしているようであるが、いつまでもこのままではすまないだろう。 [STOPOVERによる注記:金沢氏の予想通り、1995年に解釈は変更された。参照(JWIC)]
この「1914年」という年を初めて提唱したのは、ものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルであった。
「C・T・ラッセルは、『異邦人の時、それはいつ終わるか』と題する記事を出しました。それは1876年10月号の『バイブル・イグザミナー』誌に掲載されました。その中でラッセルは『七つの時は西暦1914年に終わるであろう』と述べています。」(1976 年鑑 p. 37)
彼はまず、ルカ21章24節に記されている「異邦人の時」に関するキリストの預言に注目した。
「人々は剣の刃に倒れ、捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは諸国民の定められた時が満ちるまで、諸国民に踏みにじられるのです。」(新世界訳)
新世界訳は「諸国民の定められた時」という表現を使っているが、一般的には「異邦人の時」として知られている。ラッセルはこの「異邦人の時」の長さを計算しようと聖書の中を探し回った。そして見つけたのが、ダニエル4章に出てくる「七つの時」であった。「異邦人の時」と「七つの時」、この両者を結びつけそれが同じ期間を指していると考えたのが、彼の新しい閃きだったのである。
計算は次のように行われた。
「7つの時」 | = 「7年」 | |
「1年」 | = 「360日」(太陰暦に基づいて) | |
「7つの時」 | = 「2520日」(360×7=2520) | |
「1日」 | = 「1年」(民数14:34、エゼキエル4:6に基づき、1日を1年として数える) | |
「7つの時」 | = 「2520年」 |
このようにして「異邦人の時」の長さは「2520年」と算定された。続いてラッセルは「異邦人の時」の起点をエルサレムがバビロニア帝国に滅ぼされたBC607年と考え、そこから「2520年」を流れ下り、「1914」年を導き出したのである(2520-607=1913になるが紀元0年はないので1を足す)。
最も強力な批判はダニエル書4章の解釈に向けられた。ものみの塔協会は、ネブカデネザルの見た夢のなかの「巨大な木」が「神の主権」を表し、「七つの時」は「異邦人の時」を表すと説明しているが、ダニエル書にはそのようなことが一言も記されていない(引用はしないが是非ダニエル書4章を開いて確かめていただきたい)。
ダニエルの解き明かしを読んでみると明らかなように、「七つの時」とは、ネブカデネザルが神によって王位を追われる期間であることがわかる。それ以外の意味は説明されていない。「異邦人の時」を示唆するようなことはどこにも述べられていないのである。
またキリストが「異邦人の時」について預言したときも、「七つの時」と関連するようなことは何も語ってはいない。ダニエル4章の幻を匂わせるようなことは、一言も話されなかったのである。つまり、「七つの時」と「異邦人の時」の双方を結びつける直接の記述は、聖書のどこにもないということである。
したがって当然のことながら、次のような批判が起きてくる。ダニエルもキリストも何も語っていないのに、どうして「七つの時」と「異邦人の時」を結びつけるのか。そのように解釈できる聖書的な根拠はどこにもないではないか。
こうした批判に対し、ものみの塔協会は次のように反論してきた。論点は主に二つであるが、これはかなり苦しい論議である。
まず(1) の点であるが、これはダニエル書を全部読んでみればそれではっきりする。確かにダニエル書が全体として「終わりの日」に焦点を当てているのは事実であるが、しかし、すべての幻や啓示がそうだというわけではない。例えば、5章の「壁に記された奇跡的な文字」などはその一つになる。
結局、4章の「巨大な木の夢」がどちらになるかは主観の問題といえる。ただ、ダニエル書の他のところは「終わりの時」に関係があればはっきりそのように書かれているが、4章には「終わりの時」を示す箇所は全くない。何も述べられていないことを論証しようというのは非常に苦しい。その方が不利なのは言うまでもない。
次に(2) の点であるが、これもやはり単に視点の問題にすぎない。ネブカデネザルは正気を失い動物のようになってしまったわけだから、そういう意味では「最も立場の低い者」ということができた。神は彼を再び王位に戻し、結果としてネブカデネザルは神を至高者と讃えることになった。当時の世界支配者が神の主権を、その至上権を確かに認めたのである。そうであれば「主権は誰にあるのか、それを疑問の余地なく明らかにする」というこの幻の目的は十分達成されたといえる。「巨大な木」がネブカデネザル以上のもの、「神の主権」を表しているというものみの塔協会の主張には何の根拠もないのである。
むしろ、幻の達成という点では、「七つの時」が終了したとされる1914年の方がはるかに弱い。というのは神の至上権を立証するような出来事は、1914年には何も生じなかったからである。
結論として言えることは、「異邦人の時」と「七つの時」を結びつける正当な聖書的根拠は何もないということである。
預言の解釈というのは実際の成就がすべてである。現実にその通りのことが起きて初めて正しい解釈といえるのであって、そうならなければ結局その解釈は間違っていたことになる。ラッセルの解釈は正しかったのかそれとも間違っていたのか、これは本当に1914年に「異邦人の時」が終了したといえる出来事が生じたのか、それともそうではなかったのか、それによって決定されることになる。
ラッセルが1914年について預言していたのは次の点である。
ところが、1914年が近づくにつれて、C・T・ラッセルは預言が外れた場合のことを懸念するようになったらしい。徐々にトーンダウンするような発言が多くなった。
例えば1912年12/1号のものみの塔誌では、
「最後に、わたしたちは、1914年とか1915年10月、あるいは他の何らかの日付までではなく、『死に至るまで』捧げた[献身した]ことを記憶しましょう。わたしたちが預言の計算を間違うことを何らかの理由で主が許されたとしても、時代のしるしからして、その間違いが大きいものであり得ないことを確信できます」
さらに1914年1/1号のものみの塔誌では、
「わたしたちは、時に関する事柄を教理的な事柄と同様の絶対的な正確さを付して読まないでしょう。なぜなら、聖書の中で、時は基本的な教理ほど明確に述べられていないからです。…もし、教会が1914年までに栄化されないことが後日はっきりしたなら、主のご意志がどのようなものであれ、満足するように努めるでしょう」
と語ったと伝えられている(1976エホバの証人の年鑑 p.74)。
またある時ラッセルは、私は個人として何らかの預言をしたのではなく、単に聖書預言の解釈をしたにすぎない、それを信じるかどうかは読者の判断に任せる、というような主旨のことまで述べている。
これを巧妙な事前の責任逃れ、責任転嫁と取るか、それとも愚直で正直な態度とみなすかは評価が分れると思うが、常識的には期待を抱かせて人々を集めている以上無責任だということになろう。何やらその後のものみの塔協会の対応を予示させるような発言ではある。
実際は、人々は天へ行く期待を大いに高め、ものみの塔協会の代表者たちもそれをあおった。
ドワイト・T・ケンヨン姉妹はこう語っています。「わたしたちが考えていたのは、戦争が革命へ、また無政府状態へと進展し、当時油注がれていた、つまり聖別されていた人々はその時に死んで栄化されるだろうということでした。ある晩、わたしはエクレーシア(会衆)全体が汽車に乗ってどこかに行く夢を見ました。雷といな光がすると、たちまち仲間の人たちがあたり一面死に始めたのです。わたしは、それがごく当然だと思って死のうとしましたが死ねませんでした。それにはほんとうにあわててしまいました。それから突然わたしは死んで、大きな解放感と満足感を味わいました。この古い世に関する限り、万事がまもなく終ろうとしていること、また、『小さな群れ』の残りの者が栄化されようとしていることを、わたしたちがどれほど確信していたかは、これでおわかりいただけると思います。」
「1914年のサラトガ・スプリング大会での出来事は、その年に天へ『帰還する』というマクミラン兄弟の考えを特に際立たせました。兄弟は次のように書いています。『わたしは、水曜日(9月30日)に、「万物の終わりが近づきました。冷静にし油断なく見張り、祈りなさい」という題の講演をするように頼まれました。…その話の中で、わたしは、「わたしたちはまもなく帰還するのですから、おそらく、これがわたしの最後の講演となるでしょう』というふさわしからぬことを言ってしまいました」(1975年鑑 p.72、73)
おそらく最近エホバの証人になった人は皆、ラッセルの預言は成就したと信じているはずである。ものみの塔協会は、「1914年に気を付けろ! それが町々を行く聖書文書頒布者たちの合言葉であった。この預言は異例の成就をみた。神はラッセル兄弟に異邦人の時が1914年に終わることを四十年近く前に啓示されたのです」という具合に宣伝しているからである。
だが、これは物事のほんの一面にすぎず、真実は大幅に異なっていた。確かに第一次世界大戦という大規模な戦争は起きた。そういう意味ではものみの塔協会の宣伝通り、預言は成就したと言えないこともない。しかし、ラッセルは第一次世界大戦が起きるという主旨の預言をしていたのではない。彼のメッセージの中心は、あくまでも当時の聖書研究者たちが期待していたように、ハルマゲドンと昇天からなっていたのである。
人々が最も期待した事柄は何一つ生じなかった。この世が終わることもなければ、会衆が天に迎えられることもなかった。1916年の暮れにはC・T・ラッセルが死亡し、1918年には第一次世界大戦が終了してしまう。ハルマゲドンが来ないことは決定的になり、失望した人々は組織から離れていった。ラッセルの預言は外れたのである。
組織存続のため見解の修正は急務となった。調整は次のように行われた。
「確かに1914年に異邦人の時は終わった。キリストは天で王位に就いたのである。すでに神の王国は天において支配を開始している。1914年から終わりの日という一つの時代が始まり、キリストは目に見えない様でその時からずっと臨在している。大患難は1914年に始まったのではなく、終わりの日の最終部分に生じる出来事である。ハルマゲドンは大患難の頂点をなす。信仰の篤い霊的な目を持つ人々はそれを理解することができるはずである。」
キリストの臨在、終わりの日の始まりは「1874年」から「1914年」に変えられた。ハルマゲドンの年は1914年から1915年、1918年、1925年、1975年と幾度か変更されてきたがことごとく外れてしまったので、現在では特定の年を指定することは止めてしまった。
要するに、ものみの塔協会は預言の成就を地上から天に移し替えたわけであるが、この地上から天に置き換えるという解決の仕方は、ものみの塔協会が初めて用いた方法ではない。
再臨派の代表的な人物として知られるウィーリアム・ミラーは、ダニエル8章の研究から預言的な「2300日」が1844年に終了するとの結論に達した。その年にキリストは再臨し、地上を清めると彼は考えたのである。しかし、ミラーの期待に反しキリストは再臨しなかった。
この外れた預言はどのように修正されたであろうか。E・G・ホワイト著「各時代の大争闘」(p. 137)には次のように記されている。
「こうして、預言の言葉の光に従った者たちは、キリストは、二千三百日が一八四四年に終了した時に、この地上に来られるのではなくて、再臨に備えて贖いの最後の働きをするために、天の聖所の至聖所に入られたのだということを知った。」
成就を天にしてしまえばもはや誰にも確かめようがない。
1914年に「異邦人の時」は終わった。ハルマゲドンは非常に近づいている。しかし、まだ全地にキリストの支配を告げ知らせるという主のご意志が残っている。それを果たさないうち最終的な終わりは来ない。ものみの塔協会はそのことを強調して人々のエネルギーを伝道に向けさせたのである。
「異邦人の時」とは「エルサレムが異教の民に踏み荒らされる、つまり異教徒に支配される期間」のことである。したがって当然のことながら、「異邦人の時」が終了すればエルサレムは回復されることになる。
「異邦人の時」の解釈でカギを握るのはエルサレムであるが、エルサレムを中東にある実際の都市と考えるにしてもあるいは天のエルサレムや神の支配の象徴と見なすとしても、「異邦人の時」がエルサレムを踏みにじることによって始まり、エルサレムの復興によって終わることに変わりはない。「異邦人の時」を見分ける基本的な特徴は、いずれの場合もまったく同じである。
ものみの塔協会は大幅な見解修正以来、エルサレムも異邦人も字義通りではなく、象徴的な意味に理解する立場を取ってきた。「異邦人の時」に関する典型的な説明は次のようなものである。
「2520年にわたる「七つの時」が終わったので、そのような御国の荒廃とその象徴的な首都の踏みつけも終わりました。どのように? ダビデ王と結ばれた御国契約にしたがい、神の国を再び設立することによります。この世の諸国家がその神の御国を踏みつけることはもはやできません。」(「御心」 p.102)
「西暦1914年の初秋に異邦諸国民がメシアの王権を踏みにじることが終わり、地上のエルサレムにではなく、今やダビデ王の主であるみ子がエホバ神の右に座している天で、メシアの王国が誕生することを意味していました。」(「とこしえの目的」 p.177)
神の王国、キリストの王国は天の王国なので、キリストが天のエルサレムで王位に就くというのは別におかしなことではない。「異邦人の時」が終了すれば当然メシアの王国は天で誕生するはずである。問題なのは「異邦人の時」を天で終了させて、それで終わりにしてしまったことである。
そもそも「異邦人の時」とは「地上」を異邦諸国民が自由に支配する期間のことであって、「天」を踏みにじる期間のことではない。地上の人間は天を支配することなどできないわけだから、これは当然のことである。天からすれば、地上における「異邦人の時」を認めるか認めないかということだけであって、文字通りの「異邦人の時」など天にはありえない。本当に「異邦人の時」が終わったのであれば、「地上」で神の王国の支配が始まるはずである。
この規準で1914年を見ると、1914年に「異邦人の時」が終了したとするのは100パーセント成立しない教義であることがわかる。というのは1914年には第一次世界大戦以外に何もなかったからである。異邦人は引き続き自由に地球を支配している。キリストが支配している現実の証拠は世界のどこにもない。
教理にあまり詳しくない人には、もしかしたらキリストの支配を霊的な支配にして(全世界で伝道がなされているとかエホバの証人の数が増えていることなどを根拠としてあげる)ごまかそうとするかもしれないが、霊的な支配であれば何も1914年を持ち出す必要はない。1914年よりはるか前、すでに西暦一世紀のペンテコステから、キリストの霊的な王国は支配を開始しているからである。世界的な伝道やクリスチャンの数が増えることであれば、一世紀でもすでに生じたことである。あらゆる意味で、1914年に「異邦人の時」は終了していないと断言することができる。
それでは、地上ではまだであっても、天においては「異邦人の時」が終わったというようなことがありうるだろうか。ものみの塔協会がどうこじつけようとも、そういうことは絶対にありえない。「異邦人の時」とは、あくまでも地上に関する期間である。天が終了したとみなしたのであれば、地上でキリストが支配を開始するはずである。キリストの支配がまだ地上で始まっていないということは、「異邦人の時」が1914年に終了したとするものみの塔協会の見解が間違っていることの絶対的な証拠にほかならない。
「1914年―キリスト臨在、終わりの日」説の最後の砦は、終わりの日のしるしが1914年以来成就しているという論議であろう。
統計の取り方の問題はあるかもしれないが、大旨ものみの塔協会の指摘は間違ってはいない。確かに、世界大戦、疫病、地震、飢饉、天変地異、不法の増大、偽キリスト、偽預言者、世界的な伝道などのしるしはこの二十世紀に顕著に現われている。
しかし、これらのしるしが現われているからといって、単純に終わりの日に入ったと結論することはできない。というのはこれらのしるしをどう位置付けるかという問題が残っているからである。ものみの塔協会のように「すでに終わりの日に入ったしるし」と考えるか、それとも「終わりの日が近づいているしるし」と解釈するかによって、しるしの意味はかなり異なってくる。
マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章に記されているキリストの預言と調和するのはどちらの方であろうか。全体の主旨を検討してみると明らかなように正しいのは後者の方である。
キリストは繰り返し「これらのしるしが現われても終わりはまだである、終わりはすぐには来ない、それはキリストが “すでに到来した” しるしではなく “近づいている” しるしである」と語っている。
ものみの塔協会のようにしるしを見てすぐに騒ぐのは、キリストの主旨キリストの警告に反している。落ち着いてキリストの再臨を待つようにと教え諭すのが、あるべき姿であろう。