彼らが神に対して熱心なことは確かです。しかしそれは、正確な知識に基づくものではありません。彼らは神の義を知らず、自分の義を確立しようとして神の義に服さなかったからです。−ローマ10:2, 3
ものみの塔とは、ものみやぐら、すなわち「見張り台」のことである。その上に立って、全地の見張り役を務めていると称しているのが統治体である。
彼らの場合、見張りの業がいやになって眠り込んでしまうということはない。役目に関しては病的な程に熱心である。問題なのは、霊的睡魔に襲われることではなく、ひどい『幻覚症状』を起こしていることである。いくら熱心であっても、幻覚を見るようになれば、見張りとしてはもう『終わり』である。
なぜ統治体が幻覚を見るようになったのか(初めからそうだったのかもしれないが)、この理由ははっきりしている。『致命傷』になったのは次の三つである。
将来を展望する霊的視力は、真理に対する純粋な愛を失い、預言に対する真摯な研究を止めてしまえば、すぐになくなってしまうものである。ものみの塔協会の幹部にとっては、真理は単なる宣伝、預言は組織のポリシー、人集めの手段にすぎない。組織バアルは彼らの動機を汚染させ、組織論と1914年の教義は預言の解釈を間違いだらけにしている。しかも、彼らにはあからさまにそれを指摘されても、改めようとする姿勢は全くないのである。
見張りは不治の病に侵され、いやしの道はすでに閉ざされた。天の法廷の霊的判決はすでに下ったと判断してよい。
今回、ものみの塔(見張り)の『終焉』を宣言するに至ったのは、こうした理由による。
統治体が見ているものは、白昼夢か幻想にすぎない。彼らは見たいものしか見えなくなっているのである。それにつき合うか、つき合わないかは、エホバの証人各自の自由であるが、統治体がもはや人々をパラダイスにも、永遠の命にも導くことができないのは否定しようのない事実である。
さて、ものみの塔協会の行きつ戻りつ、その場しのぎ、トカゲのしっぽ切り、右往左往、猫の目の教理はよく指摘されることである。しかし、エホバの証人は、そうしたことはすべて、光の組織の証拠、箴言4章18節「義なる者の歩む道はますます明るくなって行く」の成就であると教えられている。
彼らは心からそう信じているので、
「部分的だって間違いは間違いじゃありませんか。間違ったことを教えていたのなら、真理の組織とはいえないでしょう。」
と迫ってみても、それほど大きな影響はない。
「そんなことはありません。人間は不完全ですから誰でもみな間違いを犯します。それを改めるかどうかによって、真理の組織か否かがわかるのです。かつては不十分な情報で全体像を描こうとしたために、不正確なことを教えてしまったかもしれませんが、それは、むしろ熱心さの証拠です。ものみの塔協会は、間違った『部分』を捨て、正しい『全体』を描くよう努力してきたのですから、確かに真理の組織といえます。」
という組織の弁明を、少しも疑わずに受け入れてしまうのである。
だから、ものみの塔協会が捨ててしまった古い見解を扱ってもたいした意味はない。私たちは新しい人が教えられている最新の教理を正面から取り上げることにした。
各章はそれぞれ独立した構成になっている。順序に特別な意味はないので、どの章から読んでいただいてもさしつかえはない。
出版に先だって、何度かものみの塔協会に質問を試みてみたが、相変わらず返答は全くなかった。よほど都合が悪いのであろう。組織は全面的に逃げ腰である。
この本で取り上げた論議は、ものみの塔協会が今まで扱ったことのないものが大部分である。組織が公けに説明していない以上、まともに答えることのできるエホバの証人はいないはずである。苦しくなると、ごまかそうとするかもしれないが、それを許さずに質問してゆくなら、最後には返答に窮してしまうだろう。 もし、エホバの証人と話し合う機会があれば、是非次のように勧めてみてほしい。
「あなたが答えられなくても、それは仕方のないことです。ものみの塔協会がはっきり説明していない以上、あなた個人ではどうしようもないでしょう。無理をしないで組織に尋ねてみたらどうですか。あなたの信じているように、ものみの塔協会が真理の組織、唯一の神の組織だというなら、必ず教えてくれるはずです。もし、まともな答えが何もないとしたら、神の組織というのは偽りでしょう。あなたもそれによってものみの塔協会の本当の正体がわかるはずです。」
本物のエホバの証人であれば、この提案を断ることはできないはずである。
というのは、彼らは「盲信は絶対によくありません。信じるにはそれなりの根拠が必要です。真の信仰には明白な論証が伴います(ヘブライ11:1)。すべてのことを納得の行くまで確かめて、それから受け入れるべきです(テサロニケ第一5:21)。」と人々に教えてきたからである。
預言の解釈と教理が崩壊してしまうことは、極めて大きな意味を持つ。その宗教にとっては、『終焉』を意味するからである。ものみの塔協会の幹部が悔い改めることはもはやあり得ない。
ものみの塔の『終焉』は時間の問題であろう。
「この民は口先ではわたしを敬うが、その心は遠く離れている。彼らの崇拝は無駄である。単なる人間の教えを教理として教えているからだ。」 マタイ15章8, 9節
反抗的な人々をも、温和な態度で諭すことが必要です。神が悔い改めと真理を授けてくださるかもしれないからです。-IIテモテ2章25節
義認と救いには綿密な関係がある。神によって義認されない人が救われるということはない。神の祝福や恵みを経験するためには、まず神に義認される必要がある。
なぜ人は義認されねばならないのか、どのようにして義認されるのか、こうした問題について詳細な論議を展開しているのはローマ人への手紙であるが、使徒パウロはその中の一節でこの教えの根幹について次のように述べている。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3:23,24 新共同訳)
人類は父祖アダム以来、神の義の規準に達しないという意味で罪の下に置かれている。それゆえ自らの業や業績によって神の義の宣言を獲得できる人は誰もいない。しかし感謝すべきことに、イエス・キリストの贖いによって義とされることが可能となった。
この義認の教義はクリスチャンの信仰の本質に関わるものである。特に組織との関係では非常に重要な位置を占めている。キリスト教の土台とも言えるこの教えは、義認、宣義、成義、義化、称義などの呼び方で一般的に知られている。これらの用語にはそれぞれ神学上の細かいニュアンスの相違はあるが、簡単に言えば神に義とみなされるということなので、とりあえずここでは義認としておく。
実際に義とされるのかそれとも単に義とみなされるだけなのか、信仰だけで義認されるのかそれとも業が必要なのか、一回の義認だけでよいのか、あるいは絶えず義化されねばならないのか、神学上はいろいろと論議がなされているようであるが、要は視点の問題、焦点の当て方であろうと思う。
本当に信仰が純粋で清いものであれば口先だけということは有り得ない。正しい信仰にはとうぜん業が伴う。一方、ことばだけの偽善的な信仰であれば、その業は死んだものとなる。その種の信仰が義認されることは絶対にない。また義のレベルを様々な段階に分けて考えれば、成義も義認も義化もほとんど変わりがなくなる。
加えて歴史上の揺るがぬ証拠がある。実際に義とされるという義化の教義を唱えた人々も、単に義とみなされるに過ぎないという義認の教理を教えた人々も、実際に行ってきたことはほとんど変わりがないのである。現実の行いのレベルでは義認も義化も大差はない。神がもし義認の教理の微細な相違を本当に重要なものとみなしたとすれば、事態はもっと異なっていたものになっていたに違いない。今日までのキリスト教の歩み、その実体は、細かいニュアンスの相違など指導者たちが主張するほどには重要ではないということを物語っている。
真に重要なのは、どの用語を用いるかということよりも、現実の義認の証しの方であろう。産出的なレベルにおける義認の印がなければ、キリストの贖いもそれによってもたらされるという義認も、しょせんは非現実的なお話しに過ぎなくなってしまう。贖いの実質を忘れ、ささいな教理の違いで争うなど愚の骨頂である。それこそ義認されていない証拠になろう。ある組織、ある教団がいかに自分たちだけが義認されているといっても、その実質がなければ単なる自己宣伝、大いなる錯覚でしかない。
本当に神によって義と宣言されるならば、いったい何が与えられるのであろうか、神はどのように義認の証しをしてくださるのであろうか。ローマ5章1節はその点について次のように述べている。
「それゆえ、わたしたちは信仰の結果義と宣せられたのですから、わたしたちの主イエス・キリストを通して神との平和を楽しもうではありませんか。」(新世界訳)
この神との平和は独善的な妄想でもなければ、ミーハー的な信仰の持ち主たちがしばしば感情的に語る、小ワールドの狭い平和でもない。これは、ピリピ4章7節で述べられているような「あらゆる考え、理解、知恵に勝る、あるいはそれらを超える平和」である。様々な反対論や異論に対しても容易には動揺しないものである。強力な情報統制を敷き、象牙の塔に閉じこもって得られるようなものでは決してない。「私は平安だ、私は平安なのだ」と繰り返し自己暗示をかける必要もない。この種の平安は穏やかな確信に満ちたものである。
さらに神との平和は聖霊が豊かに与えられる土台となる。聖霊のダイナミックな活動は、神の保護、恵み、理解、知恵、いやしなどをもたらす。神から義認された人は、神との平和な関係から得られるこのような様々な祝福を楽しめることになっている。また、義認は大艱難、ハルマゲドンなどの神の裁きにおける救いをも意味している。神の糾弾が地に臨むとき、義認されない人は生き残ることができない。加えて最終的には、神の義認は永遠の命をもたらすものとなる。
しかし、やっかいな問題が一つある。義認されているのかそれともそうではないのかを証明する現実の証拠、誰もが明らかに認めうるような決定的な証拠がないということである。
キリストが再臨してはっきり分けてしまえば、これはもう絶対である。そうなれば不明な点はもはや何もなくなるが、まだそのようなことは生じていない。大艱難もまだ起きてないし、永遠の命を与えられた人も一人もいない。この面から義認の証しを確かめることは現時点では不可能である。
では、霊的裁きの方はどうかといえば、これは霊的視力が優れていれば、はっきりしているが、客観的な判定にはかなりの時間がかかるという性質のものである。アナニヤやサッピラの例(使徒5:1-11)もあるが、このような速やかな裁きはきわめて稀である。ほとんどは神がいるのかいないのか、わからないようなケースが多い。結果が出るには時に何十年、あるいは何百年もかかる場合がある。例えば、アダムは「あなたは塵から作られたので塵に帰る」という判決を受けたが、現実に死ぬのはこの宣言から約900年の後である。その影響、変化はデジタル的というよりもアナログ式に近い。義認の霊的レベルでの表れは瞬時には容易に見分けがつかない。早い機会に見抜くには、かなりの霊的な識別力、洞察力が必要である。
しかしそれでも、神の判決は確実であり絶対である。すべての人の目に明らかになるには時間がかかっても、必ずそれなりの結果は生じるからである。
神の文字通りの裁きが始まり、義認されない人が皆滅ぼされてしまうのであれば、義認の結果は誰の目にも明らかになる。しかし、現在の義認というのはあくまでも霊的な性質のものであって、一見するとすぐわかるというようなものではない。ここに、第三者の入り込む余地が出てくる。ものみの塔協会に見られるように、組織のごまかしやすり替えが神の義認を押し退けてしまう事態が生じ得るのである。
円熟の仮面をつけた厚顔な偽善者は「私たちは義認されています。聖霊の豊かな祝福を楽しんでいます」というポーズをとるのが非常に巧みである。こういう人々には神の霊的な裁きは全く通用しない。預言者イザヤの次の描写は、偽善的な宗教指導者にピッタリである。
「主は燃える怒りを注ぎ出し激しい戦いを挑まれた。その炎に囲まれても、悟る者はなく火が自分に燃え移っても、気づく者はなかった。」(イザヤ42:25 新共同訳)
偽善者はその厚いマスクで、神の霊的な糾弾の炎をみなはね返してしまう。彼らが心の奥底で評価しているのは、神との平和な関係から得られる霊的な富ではない。本当に望んでいるのは、もっと即物的なものである。そういうわけで偽善者は、神の霊的な裁きに対しては無感覚になってしまうのである。このような人々は神の義認を人や組織の義認に置き換えても、ほとんど良心の呵責を感じることがない。いや、むしろ、それこそが彼らのねらいとするところであろう。
もちろん教義上は確かに神の義認になっている。ところが実際はいつのまにか組織の義認に、そして組織の代表者の義認にすり替わってしまう。義認の本来の教えからすれば、義認とは神と人との関係の問題であって、人間対人間、人間対組織の問題ではないはずなのだが、神の裁きが霊的なものであることをいいことにして、組織が義認の実権を握ってしまうのである。
神の義認かそれとも組織の義認か、例外的な状況を別にすれば、ものみの塔協会の場合は文句なく組織の義認である。
神の義認を組織の義認にすり替えてしまう・・・・このからくりのカギは、「忠実で思慮深い奴隷級」「統治体」の教理とものみの塔協会の関係にある。
忠実で思慮深い奴隷級とは、キリストが再臨する時すべての財産をゆだねる人々のことである。ものみの塔協会の教義ではその代表が統治体ということになっている。したがって、エホバの証人にとっては統治体こそがキリストの是認を得た唯一の管理機関になる。その統治体の用いる法人団体がものみの塔協会ということになっている。
通称「組織の本」の28ページには、この組織上の流れについて次のように記されている。
「組織内のすべての人は神の神権的な管理の仕方を認めます。諸会衆は、すべての人の益のために組織上の取り決めを定める統治体の導きを受け入れ、それに従います。彼らは、支部、地域区、巡回区、会衆などを監督するために年長者たちに対してなされる任命を受け入れます。」(支部、地域区、巡回区、会衆はものみの塔協会の管轄下におかれている)
神権的な管理の頂点に位置するのが統治体、統治体はものみの塔協会を通して全地のエホバの証人を導くと述べられてはいるが、しかし、どうも実際は逆ではないかという気がする。現在は別としても歴史的な背景からすると、忠実で思慮深い奴隷級、統治体、ものみの塔協会という流れではなくて、その反対、つまり、ものみの塔協会、統治体、忠実で思慮深い奴隷級という流れではないかと。
最初にC・T・ラッセルがものみの塔協会を設立した。そして組織の拡大に伴って、やがて協会の幹部たちが自らの聖書的根拠を確立しようとして考え出したのが、思慮深い奴隷級及び統治体の教理ではないかと思われるのである。
事実、ものみの塔協会の初代会長、C・T・ラッセルの時代は彼が忠実で思慮深い奴隷であると考えられていた。奴隷は一人ではなく奴隷級、その数は14万4千人、その代表が統治体というのは、ラッセルの死後かなりの年月を経て確立された教理である。
この点は、ものみの塔協会の定款にもよく表れている。1972年3月15日号のものみの塔誌(p.184)、「法人団体と異なる統治体」という記事の欄外には、問題のその定款が載せられている。
以下にその一部を引用する。
「当協会の目的は次のとおりである。すなわち、エホバの証人として知られるクリスチャンの団体のしもべおよびその世界的な合法的管理機関として働くこと。キリスト・イエスの治める神の王国の福音を全能の神エホバの名前とことばと至上権に対する証しとして諸国民すべてに宣べ伝えること。聖書を印刷し、頒布し、キリスト・イエスの治めるエホバの王国の樹立に関する聖書の真理と預言を説明する情報および注解を収めた文書を作成、出版することにより、各種の言語で聖書の真理を流布すること。世界のあらゆる場所に出かけて行き、喜んで耳を傾ける人々に前述の文書を配布し、それら文書に基づいて聖書研究を司会し、公に、また家から家に聖書の真理を宣べ伝え、かつ教える代理行為者・しもべ・要員・教師・教官・福音伝道者・宣教者・奉仕者を認可し、任命すること。」(下線は発行者)
この定款がすべてを物語っている。明記されている通り、実際は最初からものみの塔協会がすべてを管理し(実質は支配)、組織内の役職の設定、任命権のすべてを牛耳っていたのである。
権力の頂点に位置するのは、ものみの塔協会の会長、副会長、理事などの幹部である。
会衆に立てられる長老や監督たちの任命は、ものみの塔協会のサインひとつで有効にも無効にもなる。巡回監督や地域監督は、ものみの塔協会に睨まれたらもう終わりである。現実には人事権のすべてを握っているのは聖霊ではなくものみの塔協会である。信者にとっては信仰上の生命に関わる排斥(除名)でさえ、ものみの塔協会のスタンプひとつでどうにでも決まってしまうのである。エホバの証人の中では、ものみの塔協会の義認、サイン、スタンプさえあれば、何でも通ってしまうのが実情である。
ものみの塔誌は「協会の定款によれば、法人団体としての当協会はエホバの証人の用いる”単なる管理機関”にすぎません」と述べているが、これは全くの言葉の”トリック”にすぎない。すべての実権を握っていながら”単なる管理機関”はない。現実にはまさしく”支配機関”そのものである。
ものみの塔協会を用いるエホバの証人とはいったい誰であろうか。それは、ものみの塔協会の幹部に他ならない。加えて、意図的かどうかはわからないが、管理の定義が全くなされていないわけだから、すぐに「管理機関」ならぬ「支配機関」になってしまうのは目に見えている。事実は正直である。現在のものみの塔協会の実態が何よりもそれを雄弁に物語っている。
義認の教理に関するものみの塔協会の誤りは、一言でいえば「神の義認」を「組織の義認」にすり替えてしまったことである。組織の義認は、キリスト教の崇拝の本質、「霊と真理による崇拝」を根底から覆してしまう。
これは何も今になって初めて指摘されることではない。勇気を持ってその危惧を表明した心ある人々は組織内にもいたのである。ところが、ものみの塔協会は頑なにも全く耳を貸そうとはしなかった。そうしてついには組織崇拝、組織バアルと呼べる段階まで来てしまったのである。彼らに自覚がないということは有りえない。はっきりと指摘されているのだから、統治体を始めとする幹部はいやでも意識しているはずである。わかっていながら、なおかつ少しも改めようとはしない。それどころか逆に、組織支配を強化しようとしている。この偽善者的な頑なさこそが彼らの最大の問題点であろう。
ものみの塔協会の過ちを繰り返さないためには、「神の義認、天の義認」を全面に出す必要がある。組織の義認(カリスマ的な指導者の場合は人間による義認、超理念的な宗教の場合は教義のみによる義認)の弊害を防ぐには、こうした体質を持つ教団ができるだけあいまいにしようとしてきた部分を、末端の成員にもはっきり理解できるように可能な限り明確にして行かなければならないと思う。
ものみの塔協会の場合は基本的には「天の義認」を教えながら、すべてがあやふやでハッキリしていない。何が天の義認なのか、制度的に天の義認をどう位置付けるのか、天の義認を奪おうとする企てはどのようにして防ぐのか、明確な規定は何もない。
だから大多数のエホバの証人は、たくさんの人を組織に導いたり、多くの雑誌を配布したり、組織内の役職についたりすることが、神の祝福、すなわち義認のしるしでもあるかのように考えている。そういう面が全くないとはいわないが、神の義認の本質とは必ずしも一致しない。義認の一つの表れには成り得ても義認そのものではない。そういう錯覚を錯覚と感じなくなると、何十人もの人をキリスト教の教えに導きながら、あるいは組織内で顕著な立場にありながら、平気でウソをつく、偽証を犯すというような人が出てくるわけである。
こうした問題を最小限に押えるには、天の義認を第一に据える必要がある。そして、理想的にはできればすべての人が「その意味」を理解しているべきである。一人でも多くの成員が「天の義認の意味するところ」を認識していれば、神の義認を奪おうとする企ては未然に防げるはずである。ものみの塔協会では、むろんそういう教育は全くなされていない。むしろ、幹部は、もちろん彼らの偽善が見抜かれては困るからであるが、その種の教育には敵対している。そうであれば、宣伝では天の義認といいながらも、結局は全部、組織の義認になってしまうのも止むを得ないであろう。
組織の好みや都合に合わなければ、すぐに異端だ、背教だと騒ぐような組織は、非常にレベルの低い組織である。ある意味では極めて幼いともいえる。神の組織というのであれば最低でも、天の義認に道を譲るだけのゆとりを持つようでなければならないであろう。そのようなゆとりを持って、なおかつ有効に問題に対処するためには、天の義認の領域を可能な限り明瞭にすること、天が義認するかどうかを見る時間的な余裕を設定すること、成員のすべてが天の義認をしっかりと理解する教育システムが必要になる。
このようにするだけでもかなりの程度、宗教上のつまらない争いや偏狭で排他的な態度を防ぐことができるはずである。天の義認の判定を待つ間、どうすれば平和裏に共存、住み分けができるかを工夫する程度にはなれるに違いない。
この統治体の教理は、エホバの証人もあまりよく理解していない教理の一つである。長老たちでさえその聖書的根拠をきちんと論証できる人はそれほど多くはない。一世紀にエルサレムで開かれた会議は統治体の集まりであった、だから統治体は聖書的な取り決めであるくらいに思っている人がほとんどであろう。あとは組織に対する信用で成り立っているようなものである。
こうした質問に満足に答えることのできるエホバの証人は少ないであろう。あなたの答えの根拠は?と問われれば、・・・おそらく、ほとんどの人は返答に窮するであろうと思う。
参考にものみの塔協会の模範解答をあげておく。
「最初はものみの塔協会しかなかったのではありませんか。どうしてキリストが統治体を任命したなどと言えるんですか。統治体が作られたのはN・H・ノアのときからではないんですか。統治体というのは協会の会長、副会長などの幹部の仮の姿でしょう。そうでなければ、どうしてものみの塔協会がすべての実権を握っているんですか。」というような質問はしない方が親切かもしれない。
この教義の問題点を把握するのはそれほど難しいことではない。冷静な目と心で聖書を見ればおのずとはっきりする。つきつめれば、ものみの塔協会が統治体の根拠として上げているものは、わずか二つしかないからである。中にはいろいろと複雑な論議をしたり、細かい資料を載せている記事もあるが、それらすべては論拠の貧弱さをカバーするためのカモフラージュにすぎないものばかりである。
要点は次の二つに絞られる。
「すべての教えは聖書から」ということを宣伝しているものみの塔協会にとっては、まず字義そのものの根拠が求められることになる。しかし都合の悪いことに、「統治体」という語は聖書には出てこない。この困難な問題を苦心して扱ったのが1973年2月15日号の「読者からの質問」であった。
英語のGovern(統治)の語源はラテン語グベルナーレ、ギリシャ語キュベルナオであり、これらの語には「舟のかじを取る、水先案内をする」といった意味がある。初期クリスチャン会衆にそのような人々がいたのは間違いのないことだから、「統治体」という名称はふさわしいものであるというのがこの記事の主張である。
多くの福音派の教会と同様ものみの塔協会も初期キリスト教は清く正しく純粋であった、後代になるにしたがってキリスト教は背教し、堕落していったという見解を取っている。組織体として見た場合、はたして初めこそ理想的であったのかそれとも幼く未完成で不完全であったのかは、見解の分かれるところであろうが、ものみの塔協会は原始キリスト教に近づけば近づくほど望ましいという立場を取っている。「統治体」という取り決めはより使徒的な在り方にかなうものであるとするのが、ものみの塔協会の主張である。
この点について「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」という本は、次のように述べている。
「さらに多くの会衆が形成されるにつれ、エルサレム会衆にいた使徒や年長者たちは、拡大した、一世紀の国際的な会衆に対して主要な監督たちとして奉仕するようになりました。エルサレム会衆でのその立場にあって、それらの人々は、クリスチャン会衆全体のための統治体として奉仕したのです。」(p.24〜25)
さらに「永遠に生きる」(p.195,13節)には
「今日における目に見える、神の組織も神権的な導きと指示を受けます。ニューヨークのブルックリンにあるエホバの証人の本部には、世界の各地から来た年長のクリスチャン男子から成る統治体があって、神の民の世界的活動に対する必要な監督を行っています。」
と記されている。
統治体という名称は使われていないが、12使徒やエルサレム会衆の長老たちは一世紀の全世界的なクリスチャン会衆の「統治体」として働いていた、現代では神慮によってニューヨークのブルックリンにその機構が設けられたというわけである。
統治体の聖書的根拠は全くない。一つとして存在していない。これは完全に否定されるべき教理である。
この論議のからくりについては「欠陥翻訳ー新世界訳」の中で詳しく論じたので詳細は省くが、問題なのはその時代錯誤的な手法である。Governの現代の意味は「水先案内」などではなく「支配」である。単に導くのと支配には大きな相違がある。それなのに「支配」を「導く」に置き替えて、本来の意味をごまかしてしまっている。
ここで用いられているテクニックは「意味のすり替え」という詭弁の手法の一つである。字義的な根拠としてあげられているヘブライ語ギリシャ語ラテン語は、どれも直接の根拠にはなっていない。現在はもはやそういう意味がなくなっているにもかかわらず、英語のGovern(統治)の語源の一つの意味(水先案内をする)を持ってきて、現代の意味(支配する)に置き換えているのである。これは、ものみの塔協会の権威を無条件に受け入れた人以外には通用しない論法である。
おそらく心の中では、彼らは導くよりも支配したいのであろう。だからこそ「統治体」という名称を選んだものと考えられる。ただ、統治体を支配機関として打ち出すには都合が悪いだろうし、非クリスチャン的だという意識も働いているだろうから、昔の意味を持ってきて取り繕う以外に方法がなかったのであろう。「私たちはエホバの証人を導くだけです」と、真実、心からそう思っているのであれば、「統治体」という名称を採用することなど有りえないわけで、もっと「導く人々」にふさわしい名称が選ばれたはずである。ところがそうではなく、ものみの塔協会の幹部は「統治体」という名称を好んで選んだ。そこに彼らの本心が現れているとしか考えようがない。
統治体はその名のとおり「支配機関」そのものであって、キリストの精神に違反した非聖書的な取り決めである。神の家の中で支配者になろうとするのはサタンの業にほかならない。
統治体を現代の意味通り支配機関として考えるならば、無条件に原始キリスト教に統治体なる取り決めはなかったといえる。クリスチャンにとって唯一の指導者はイエス・キリストに他ならないわけだから、指導者よりも上位に位置する支配者など受け入れられるはずがなかったからである。キリストを超えてクリスチャンを支配しようと企てる者は、すべて背教者、サタンの使徒であった。
では一歩譲って、統治体を「指導機関」と仮定してみたらどうなるであろうか。確かに使徒たちが指導の任を果たしたのは事実である。様々な問題を決定したり、長老や監督を任命したり、特別の任務である人を派遣したのも事実である。しかし、それでもエホバの証人の統治体に相当するような組織体は、やはり存在しなかったと断言することができる。一世紀当時の組織のシステムは、その形態や在り方が統治体とは全く異なっていたからである。
なぜ、そのように断定できるのかといえば、理由は以下に見る通りである。
統治体の決定、統治体の任命、統治体の派遣といった記述は聖書中に一か所もない。
たとえ名称が異なったにしても、もし「統治体」に相当するような組織体が構成されていたのであれば、一つの組織体として意思表明をしている箇所が少しはあってもいいはずである。ところが、聖書中にはそのような記述は一か所もないのである。
使徒パウロの手紙全体を調査しても、彼が何か地上の一つの組織体の一員、ないしはその代表として指示しているようなところは全くない。手紙の形式はすべてパウロ、テモテ、シルワノといった個人名ないしは連名で発送されている。パウロはキリストに遣わされた使徒として行動している。どこにも組織の署名や肩書きなど見当たらないのである。これはパウロの手紙だけでなく、ヨハネやペテロの手紙等についても言えることである。
コリント会衆で大きな分裂騒動があったが、「統治体」はどこにも登場していない。もし統一的な組織体が形成されていたのであれば、このような重要な問題で何もしないというようなことは有り得ないはずである。
その時の状況について使徒パウロは、コリント第一1章11,12節に次のように記している。
11 私の兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
(新共同訳)
コリントの人々にあてたパウロの書簡は、単なる私的な性質の手紙ではなく、分裂その他の様々な問題を扱った公的な性質のものであった。そうであればなおのこと、もし本当に、ものみの塔協会の主張するように「統治体」なるものがあって全世界のクリスチャンを指導していたのであれば、誰か一人くらいは「わたしは統治体に従います。皆さん、統治体の指示を仰ぎましょう」といってもよさそうなものである。しかし、パウロの記述から明らかなように、そのような発言をした人は一人もいなかったのである。
ものみの塔協会は、パウロとケファ(ペテロ)があげられているではないかと反論するかもしれないが(ものみの塔協会はパウロとペテロが「統治体」の一員であったと教えている。もっともパウロについては統治体の成員と断定すると困った問題が生じるので幾分揺れているようではあるが)、それは少しも「統治体」存在の証拠にはならない。なぜなら、彼らは「統治体」のような組織の代表者としてではなく、パウロ、ペテロという個人として登場しているからである。
また、この問題に対するパウロの指示も統治体の存在を否定するものである。彼は「統治体の指導に従うように」などとは一言も述べていない。そうではなくて、すべてのクリスチャンはイエス・キリストに固く付き従うべきであると、勧めているのである。
エルサレムで指導的な立場にいたのは、ヤコブ、ペテロ、ヨハネであって「統治体」という組織体ではなかった。彼らは全世界のクリスチャンに対する統一的な指導権を有していたのではない。パウロは彼らとは異なった路線を歩んでいたと考えられる。
この点は次の聖句に明確に示されている。
「また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」(ガラテヤ2:9 新共同訳)
「世界大百科事典ーキリスト教会の発展史」平凡社(p.56)は
「彼らは初め必ずしもユダヤ教に反対せず、むしろその戒めと道徳的規範とに従ったが、イエスの信仰を中心として共同生活を行い、一致して義と愛とを実践し、互いに助けささえて独自の団体をなした。これが原始教会(初代教会ということもある)と呼ばれる集団で、イェルサレムから始まりしだいに広まり、独立した教会をなしたものもあったが、ことにシリアの首都アンティオキアではユダヤ人以外のいわゆる異邦人をも交えた団体が形作られ、ここにユダヤ的律法に制約されない、すなわち純粋に信仰のみによって結ばれた新しい教会形態が始まった。」(下線は発行者)
と記しているが、これが普通の考え方であろう。つまり、ある程度互いに独自の路線で歩んでいたので一致の確認が必要になった、神がそれぞれに恵みを示してくださっていたので互いにそれを確認しあったのだと。
さらに「原始キリスト教」(マルセル・シモン著 p43,44−45,103)には次のように記されている。
「彼らは共同体的生活を送っていたらしい。使徒行伝に描かれている(二・四四、四五)集産主義体制と理解されるものは、おそらく拡大した教会というよりは、むしろこの小集団のことであろう。このガリラヤ人の小集団に、イエスによってエルサレムで加えられた弟子たちを足したにしても、最初の集団としては一二○人という数字が(使徒行伝一・十五)真実らしさの限界であろう。この集団の指導層には使徒団が、とくにパウロが「柱」と呼んだ(ガラテア書二・九)ペテロ、ヨハネ、それに主の兄弟のヤコブ、この三人から成る三頭政治が目立っていた。使徒行伝もこの三人には、とりわけ重要な位置を与えている。
・・・・十二弟子は何よりもまず、エルサレムの教会、およびはやくからパレスチナに設立されたその枝教会の、霊的な指導者であって、はじめは定住していた(ガラテア書一・二二、使徒行伝九・三一)。彼らの権威、また彼らを通しての母教会の権威は、改宗したユダヤ人のみならず、後にパウロ書簡が証しているように、異邦のキリスト教徒にまで及んだのであった。十二弟子と教団とのスポークスマン格は、ある時はペテロ、ある時はヤコブであった。ヨハネはこのふたりのどちらにも従属した位置にあったようである。使徒行伝は十二弟子とならんで、長老の名を挙げている(十四・四以下)。権限の配分が両者の間にどうおこなわれたか、正確には分かっていない。少なくとも長老が十二弟子の下にあったことはあきらかである。おそらく長老の権威は厳密に局部的なものであり、管理職的なものであっただろう。
・・・・エルサレム教会は、使徒の段階でも、王朝の段階でも、堅固な構造を保っていた。ヘレニストの伝道に続く、ペテロ、ヨハネのユダヤ、サマリヤ地方巡回視察(使徒行伝八・九)、ペテロのアンテオケその他の地への伝道旅行、パウロが伝道していく先々で組織的に整然となされたユダヤ教化の反宣伝等々は、はじめ異邦人伝道にかなり消極的でありながら、形成期のキリスト教界全体を自分の権威下に置いて、思うままに形づくろうとするエルサレム教会の意志を、はっきり示したものであった。
それにくらべてパウロ教団の組織は、はるかにゆるやかなものであったようである。十二弟子は霊的な職分のうち、枢要なものは自分たちの手に集中させていたらしいのに対し、パウロ教団では、専門的に分化させていったことがわかる。」
エルサレムの代表者たちとパウロが協約を結ぶには、それなりの背景があったと考えるのが自然である。
エルサレムはエホバの証人の統治体が置かれているニューヨーク、ブルックリンに相当するような場所ではなかった。使徒たちは一か所に常駐しているのではなく、多くの場合分散していた。彼らはブルックリンの「統治体」とは異なり、常時連絡を取り合いながら組織運営を行っていたのではない。
使徒行伝に彼はあまり登場しない。神殿での奇跡(使3)、サマリヤびとへの聖霊降臨(8:14〜25)の時登場するが、いずれもペテロのわき役としてである。・・・伝承によると、後年のヨハネの舞台はエペソである。・・・・AD60〜65年パウロ、テモテ、テトスが死に、AD70年にエルサレムが陥落して、キリスト教の中心は小アジヤに移った。異端との激しい戦いが生じたのも小アジヤであった。このような事情がヨハネをエペソに行かせたのであろう。やがてそこでヨハネによる福音書および書簡が書かれた。エウセビオスによれば、彼はドミティアヌス帝即位15年にパトモス島に流され、ネルヴァ帝の治世の初めに釈放されてエペソに帰った。その間に黙示録を書いたとも言われている。彼はAD100年ごろ死んだと思われる。イレナエウスによると、ヨハネはトラヤヌス帝の治世までエペソに住んでいたと言われる。(「いのちのことば社 聖書辞典」p.730)
ペンテコステの聖霊降臨に続く大説教(使徒2:14〜36)に始まって、原始教会の活動の中心がエルサレムからアンテオケに移るまで、ヤコブ、ヨハネと共に、教会指導者として最も重要な役割を果たした。・・・・・エルサレム会議ののち、彼の名は使徒行伝の歴史から消え、無割礼の者への使徒パウロ(ガラ2:7)が大きく登場する。割礼ある者への使徒ペテロ(2:7,8)の書簡によって知られる足跡は、アンテオケ(2:11)、おそらくコリント(Tコリ1:12)、またバビロン(Tぺテ5:13)と、わずかに知りうるだけである。彼の死については、主イエスの預言(ヨハ21:19)以外に、聖書にしるされていない。(「いのちのことば社 聖書辞典」p.600)
推測の域を出ないが、ペテロが会議に参加した背後にも、アンテオケ側の働きかけがあったのかもしれない。というのは、アグリッパ一世の時の事件以来、彼はもはやエルサレムに常駐してはいなかったと思われるからである。使徒行伝十二・一七は、彼はこの事件をきっかけに「他の場所へ出て行った」と伝える。エルサレム会議の席上では、ペテロにユダヤ人伝道が委託されていることが周知の前提とされている。(ガラテア2:7,8 参照)会議の後も彼はエルサレムにとどまっておらず、間もなくアンテオケ教会を訪れている(ガラテア2:11、その他、Tコリント9:5を参照)。これらの点を総合するならば、彼が会議の時にエルサレムにいたのは、むしろ例外的であったという感じがする。彼はエルサレム教会関係の有力者の中ではアンテオケで進行しているような事態に最も理解のあるはずの人物ということで、アンテオケ側の慫慂(しょうよう)でこのとき会議のために特別に上京したのではなかろうか。(「使徒パウロ」佐竹 明著 p.128−129)
彼はエルサレム教会が組織された最初から、その教会の最も重要な地位、おそらく牧師であったろう(使徒12:17,15:13,21:18, ガラ1:19, 2:9,12)。彼のことを、4世紀の教父エウセビオスは、「義人ヤコブ」と呼んでいる(教会史2:23)。このヤコブについては、使21:18以降には何も述べられていない。おそらく殉教の死を遂げたのであろう(古代史、教会史) (「いのちのことば社 聖書辞典」p.693)
AD70年のエルサレム滅亡後、「統治体」にあたるような組織体が編成されたというような記録は全くない。 その後の歴史が示しているようにエルサレムは次第に重要性を失ってゆく。聖地としての価値は別であるが、組織上は帝国の首都である関係もあってローマが徐々に台頭してくる。それでもすぐにローマがキリスト教の統一的な中心地になったわけではない。アンテオケ、エペソ、アレクサンドリアなどが一大中心地として栄えていた時代があったことは、よく知られている事実である。
ものみの塔協会が「統治体」の聖書的根拠としてあげる最大のものは、使徒15章に記されているエルサレム会議である。ほとんどこれ以外にはないといってもよい。割礼の是非をめぐる論争によって開かれたこの会議が、ものみの塔協会によれば「統治体」の会議であったということになっている。
はたして本当にそうであろうか。ものみの塔協会のように、統治体は存在したと決めてかかって論議を組めば、確かにそのようになるかもしれないが、しかし、この会議については全く逆の見方も成り立つのである。つまり、「統治体」に相当するような組織などなかった、だからこそ開かれた会議である、統治体があったならあのような会議は開かれなかったはずであると。
ガラテアへの書簡やその他のパウロの手紙と使徒行伝を突き合わせて考えてみると、証拠は圧倒的に「統治体などなかった」という結論に有利である。
この会議については、次のように考えるのが自然であろう。
「まず、会議が開かれるに至った動機であるが、直接のきっかけとなったのは、エルサレムの教会と何らかの形で関係のある人々が、パウロたちの活動しているアンテオケ教会に来て、異邦人でキリスト教信仰に入る者に割礼(六四頁を参照)を施すことを要求したため、混乱が生じたという事情であった。この人たちは、キリスト教はユダヤ教の枠内にあるとの理解に立っていたことになるが、これはその当時にあっては特に異とすべき考え方ではなかった。
しかし、アンテオケ教会ーその指導者たちはやはりユダヤ人であったがーの見解は、これとは異なる。それは、異邦人は異邦人であるままキリスト教信仰に入ることができるとし、またそれに従って実際に事を運んできていた。・・・アンテオケ教会、とくにその指導者たちにとっては、ユダヤ主義者たちの言いなりになることは、先に述べたような彼らの信仰理解、またそれに基づく今までの実績から考えて、もちろん論外であった。しかし他方、このユダヤ主義者たちの影響を自分たち自身で排除することも、彼らにはできなかったようである。アンテオケ教会は、それとは別の道を選んでいる。すなわち、教会はその最高指導者であるバルナバとパウロとをエルサレムに派遣し、ユダヤ主義者たちが自分たちの背後にあるとしているエルサレム教会の指導者たちに会って、自分たちの福音理解と宣教活動の実際とを伝え、彼らの理解を求めさせたのであった。」(「使徒パウローエルサレム会議」佐竹 明著p.122,123)
この本の指摘道り、エルサレムとアンテオケは互いに、ある程度異なった路線、独自の路線を歩んでいたと考えられるのである。
エルサレム教会では、割礼を始めとするモーセの律法を守ることが普通に行われていた。しかし、アンテオケ教会ではそうではなかった。多くの異邦人が割礼やモーセの律法には関係なく、クリスチャン会衆に受け入れられていたのである。
言うまでもなく、この相違は割礼の論争が起きてから生じたものではない。相違があったからこそ論争が生じたのである。エルサレム会議に集まった人々は、今後そういう状況が出てきたらどうしようかという視点で、論議をを交わしているのではない。また、アンテオケに行って割礼が必要だと唱えた人々は、偽兄弟とか背教者と呼ばれたわけではなかった。
そうであれば、この会議は「統治体」存在の証拠ではなく、逆に「統治体」などはなかったという強力な証拠になる。というのは、もしエルサレムを中心とする組織上の絶対権を持つ「統治体」が存在していたのであれば、そもそもこういう論争など生じなかったはずだからである。エルサレムからの指示に異議、異論を唱える者はすべて、ものみの塔協会で行われているように、背教者として処分されていたであろうし、統治体間で見解の統一がなされていなかったということも有り得ないからである。
最後に、次の点を付け加えることができるであろう。ブルックリンの統治体の会議ならば、誰がどういう発言をしたのかどういう経緯で物事が決まったのか、末端のエホバの証人には知る由もないということである。自分たちの生活そのもの、時には命に関わるようなことが、実質的にはほとんどものみの塔協会の幹部によって、形式的には統治体の投票で決められているなどとは、エホバの証人は全く知らないのである。
しかし、すべてではないにしても、エルサレム会議の場合は、論議の様子やどのようにして決着したかが報告されている。この違いの意味するところは決して小さくはない。
この「三人の君主」という見出しは、かつて統治体の成員であり、現ものみの塔協会の会長、F・W・フランズの甥にあたるR・V・フランズ兄弟の著書「良心の危機」の3章「統治体」の中に出てくるものである。
彼はクリスチャンとしての良心の危機を迎え、主イエスに対する信仰から統治体を去ったそうである。私たち同様、彼もすべてのエホバの証人との接触を禁止されている。もちろん、この本はエホバの証人の中では禁書になっている。
R・V・フランズ兄弟によると、三代目の会長、N・H・ノアが統治体なる取り決めを発表するまでは、統治体というものは存在しなかったという。
ラッセルの時代は、彼が組織内のすべての権限を握っていた。1923年3月1日号のものみの塔誌(英文p.68〜71)には、「ラッセルの教えや方法に対する従順は、主のご意志に対する従順と同じである」とする「忠節の試練」と題する記事が掲載されたとのことである。加えて、同記事は、C・T・ラッセルを主イエスの財産の「支配者」と述べていたそうである。
この点を証しする日本語の出版物としては、「1976年の年鑑」(p.113)をあげることができる。そこには、A・H・マクミランの語った次のようなことばが記されている。
「『つまり、ラッセル兄弟は支配的な投票権を持っていて、いろいろな役員を任命しました。・・・』」
二代目の会長に就任したラザフォードは、ラッセルと同様の権力を掌握しようとして、敵対する者をすべて組織から追い出そうとした。そのために、彼は外部の弁護士と協議することまで行ったそうである。企ては成功し彼は組織の実権を握る。
ラッセル、ラザフォード、宣伝では主の羊を管理するためイエス・キリストに任命された統治体の成員、しかし、実質は支配権を行使する「君主」だったというわけである。
N・H・ノアは統治体を作ったのであるが、組織の体質はラッセル、ラザフォードの時代と少しも変わらなかったという。統治体で討議する議題とその結論は、会長であるノアが副会長のF・W・フランズと協議してすでに決定済みであったという。つまり、統治体は単に追認討議をしていたにすぎないというわけである。
N・H・ノアは巧妙に統治体というクッションを設定したわけであるが、しかし、組織上の実権のすべてはN・H・ノアがしっかり握っており、実態はそれまでと少しも変わらなかったのである。統治体の成員というのは表看板にすぎない。実質は、彼もまた協会の会長として支配権をふるう「君主」だったのである。
ものみの塔協会には「統治体」などは存在しなかった。「三人の君主」がいたにすぎない。なぜなら、一人の統治体というのはありえないからだと、R・V・フランズ兄弟は記している。
弟子たちに再臨と終わりの日のしるしについて尋ねられたとき、イエス・キリストは数多くのしるしについて語られたが、そのなかの一つに「忠実で思慮深い奴隷」(新世界訳)「忠実で賢い僕」(新共同訳)に関する記述がある。
主イエスは再び戻られるとき、ご自分の家を管理するよう「思慮深い奴隷」を任命することになっている。この任命の時は、神の家の者たちにとっては清算の時ともなる。
次に引用するのはマタイの聖句であるが、この部分に相当するルカの福音書の平行記述(12:42〜48)では、「奴隷」が「家令」(新共同訳では「管理人」)、「召使い」が「従者団」(新共同訳では「召使い」)になっている。
- 45 主人が、時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため、彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。
- 46 主人が到着して、そうしているところを見るならば、その奴隷は幸いです。
- 47 あなた方に真実に言いますが、[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。
- 48 しかし、もしそのよこしまな奴隷が、心の中で、「わたしの主人は遅れている」と言い、
- 49 仲間の奴隷たちをたたき始め、のんだくれたちと共に食べたり飲んだりするようなことがあるならば、
- 50 その奴隷の主人は、彼の予期していない日、彼の知らない時刻に来て、
- 51 最も厳しく彼を罰し、その受け分を偽善者たちと共にならせるでしょう。そこで[彼は]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするのです。 (マタイ24:45〜51 新世界訳)
ここで銘記しておかなければならないのは、この奴隷(家令)はキリストによって任命されるという点である。自分で勝手に「わたしがその者です」などと宣言するのは実に僭越なことである。そういうふうに言いたがる人はだいたい偽物と考えてよい。キリストによって本当に任命されたのであれば、人間の信任状はいらないからである。
教理への直接の影響はないが、48節の「そのよこしまな奴隷」という新世界訳の翻訳は少々変である。46節の良い奴隷に「その奴隷」という表現を使っているので、よこしまな奴隷にも「その」をつけると、両者がオーバーラップしてしまうからである。
次のような訳であればまったく問題はない。
「ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、」 (マタイ24:48 新改訳)
この「忠実で思慮深い奴隷」に関する教理は、クリスチャンにとって非常に重要な教理であると同時に、しばしば厄介な問題を引き起こしてきた教理でもある。
悪いしもべのような指導者層の人、中でもトップクラスの人々は、この教理を信徒の支配に利用してきたからである。新たなキリスト教の運動を起こした人々の間では、いろいろと物議をかもしてきたという歴史的な背景もある。
この教理が大いに問題となるのは、任命された良い僕にキリストが「全財産を委ねる」と述べているからである。
すべての財産を委ねられる賢い僕と悪い僕を見分け損なうと、一般信徒にとっては大変なことになる。悪い僕は偽善者と同じ運命をたどると、宣告されているからである。そういう人について行きたいと思う人は誰もいないだろう。
トップにとって、この教理の利用価値は極めて高い。私がその忠実な家令です、私たちにキリストは全財産を預けましたと主張して、成員にそのように教え込んでしまえば、その人あるいはその組織体は独裁権を有することができるからである。幹部はこのことをよく知っている。だからこそ「忠実な家令は誰か」という問題は即、権力闘争と結びついているのである。
ものみの塔協会ではC・T・ラッセルの死亡後、その後継者を巡る紛争が生じたとき、「忠実で思慮深い奴隷はいったい誰か」という論争が起きている。後継者を巡る争いは同時に家令はだれかという争いでもあったのである。
C・T・ラッセル本人は、誰が忠実で思慮深い奴隷かという問題について、どのように考えていたのであろうか。組織の宣伝では次のようになっている。
「忠実で思慮深い奴隷」もしくは「忠実(まめやか)にして慧(さと)き僕(しもべ)」(文語)がだれかを見分けることは、その頃きわめて重要な事がらでした。それよりずっと以前の1881年にC・T・ラッセルは次のように書きました。「キリストの体の各成員は、信仰の家の者に時に応じて食物を与えるという祝福されたわざに、直接また間接に携わっている、とわたしたちは信じます。『主人が時に及びて食物を与えさする為に、家の者のうえに立てたる忠実(まめやか)にして慧(さと)き僕は誰』でしょうか。それは、献身の誓いを忠実に遂行している献身したしもべたちの『小さな群れ』、すなわちキリストの体ではありませんか。また、大ぜいの仲間の信者である家の者に、時に応じて食物を与えている、個人的また集合的な体全体ではないでしょうか」。
ですから、霊的な食物を分け与えるために神が用いておられた「奴隷」はひとつの級であることが理解されました。しかし、時がたつにつれて、多くの人々は、C・T・ラッセル自身が「忠実にして慧き僕」であると考えるようになりました。そのために、ある人は被造物崇拝のわなに陥りました。そうした人々は、神がご自分の民に啓示するのをよしとされるすべての真理はラッセル兄弟を通して示されたのであり、それ以上のことは何ももたらされ得ないと感じました。アンソニー・ポッゲンジーは、「そのため、ラッセルの業績に固執することを選んだ人々が大いにふるい分けられました」と書いています。ラッセル自身が「忠実にして慧き僕」であるというその誤った考えは1927年2月に一掃されました。 (「1976年エホバの証人の年鑑」p.88−89)
ラッセル自身は自分を「忠実な奴隷」だとは主張していない。彼はそうは言わなかったのであるが、「ある人々」がラッセルを「忠実で思慮深い奴隷」にして、人物崇拝のワナに陥ったのである。問題なのは騒いだ人の方であって、組織に責任があるわけではない。すでにラッセルの時代から「忠実な奴隷」は一つのクラス、小さな群れであるというような見解が出されていたのだから、これがものみの塔協会の説明である。
こういう記述だけを読んでいると、組織には少しも問題がなかったかのような印象を受けてしまうが、どうやら真相はかなり異なっていたらしい。
R・V・フランズ兄弟によると、「終了した秘義」と題する本は、C・T・ラッセルが「忠実な奴隷」であることを強調していたとのことである。さらに、1922年3月1日号(p.132、英文)のものみの塔誌も同様の考えを支持し、真理はラッセルを通して啓示されたこと、エゼキエル9章に記されている書記官はラッセルに他ならないことを力説していたそうである。
おそらくこれはどちらも本当のことであろう。ものみの塔協会の必然性を際立たせるには、C・T・ラッセルが忠実で思慮深い奴隷であった方が都合がよい。すべての人は「主の僕であるラッセル」の管理を受けなければならない、そうしなければキリストの是認を得ることはできません、ということになるからである。ただ、ラッセル自身としては、自らそのことを強調するのは憚られたのかもしれない。しかし、暗黙のうちに組織内にはそのことを承認するような雰囲気があったのであろう。ラッセル自身も積極的にはそれを否定しようとしなかったようである。そうでなければ、彼を「忠実な僕」とするような出版物が出ることもないだろうし、ラッセルの遺言、遺訓なるものが今日でも権威を持つことなどなかったはずだからである。
小さな群れ全体が「忠実な僕」というのは、カトリックの教階制度を背教のしるしと攻撃しているものみの塔協会にとっては、組織に役立つ宣伝の一つであったと思われる。しかし、これはこれで、内部で一つの困った問題を生じさせることになる。すべての人が管理できる、誰でも管理者になれるということになれば、ものみの塔協会の権威が宙に浮いてしまいかねないからである。加えて、自分こそ「その奴隷」になるべきだと考える人は、組織内の支配権を得ようとして権力争いを引き起こすことになる。事実、ラッセルの死後、ものみの塔協会内では激烈な後継者争いが起きている。
組織としてはどちらの事態も困るであろうから、両方の見解の間でポリシーが揺れ動くことになるのであろう。内部向けにラッセルの後継者であることを強調しなければならないときは、「ラッセルが忠実な家令」ということになる。逆に、ものみの塔協会は単にラッセルという人間の組織にすぎないのではないかと非難されると、「いや、そんなことはありません。組織は神のものです。ラッセルは小さな群れという忠実な奴隷の中の一人にすぎません。いかに彼が神に重く用いられたからといって、組織は彼のものではありません」ということになるのであろう。
現在のエホバの証人に「忠実で思慮深い奴隷は誰ですか」という質問をすれば、ほとんど反射的に「それは「14万4千人の残りの者です」という答えが返ってくるはずである。おそらくは、残りの者すら省いて単に14万4千人と答える人の方が多いかもしれない。ただ、正確には「残りの者」をつける必要がある。「忠実で思慮深い奴隷」の任命はキリストの再臨のしるしだからである。
直接の問いに答えることはできても、どうして忠実な奴隷は14万4千人といえるのか、聖書からその点をどのように論証するのかということになると、エホバの証人もはなはだ怪しくなってしまう。というのはこの教理も、明白な聖書的論証に立脚しているというよりは、どちらかといえば「統治体」の教理同様、組織の権威で成り立っているようなものだからである。
エホバの証人の基本的なテキストとなっている「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」をみると、その点がはっきりする。
イエスは、ご自身が王国の権を執って臨在される時のことを告げるにあたって、次のように言われました。「主人が、時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため・・・・自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう」。(マタイ24:45−47)キリストは、1914年に王国の権を執って戻られた時に、「忠実で思慮深い奴隷」級が霊的な「食物」すなわち情報を与えているのをご覧になったでしょうか。ご自分の14万4000人の「兄弟たち」の中の、地上に残っている者たちで成るそのような「奴隷」を、キリストは確かに見いだされました。(啓示12:10;14:1,3)そして1914年以後、幾百万もの人々が彼らの供給する「食物」を受け入れ、彼らと共に真の宗教を実践するようになりました。神の僕たちのこの組織はエホバの証人と呼ばれています。(p.193,194)
読んでみると明らかなように理由は全く説明されていない。ただ、忠実で思慮深い奴隷は14万4千人の残りの兄弟たちであると述べられているにすぎない。あげられている聖句は根拠としてではなく、単にそういう言葉が出てくるという程度のものにすぎない。なぜマタイの「忠実で思慮深い奴隷」と啓示の「14万4千人」が結びつくのかという説明は全くなされていない。
新しいエホバの証人がよく知らないのももっともで、最近の出版物には論議と言えるほどのものはほとんど見当たらない。この問題を扱った資料を見い出すにはかなり前にさかのぼらねばならない。
簡潔にまとめられているものとしては「聖書理解の助け」がある。この本の562ページには基本的な考え方が比較的わかりやすく説明されている。もっと詳細に論じたものは「神の千年王国は近づいた」である。その本の339から366ページには、マタイ24章45〜51節の解説が載せられている。
そうした資料から、ものみの塔協会の論旨を簡単にまとめてみると以下のようになる。
・この奴隷は一個人ではなく集団、クラスと考えるべきである
「主人が到着してそうしているところを見るならば」とイエスは述べているので、最初の奴隷の任命は一世紀になされたことがわかる。最終的な任命は再臨のときなので、そうするとこの奴隷は十九世紀以上に渡って存在したことになる。一個人ではそういうことは不可能なので、「奴隷級」と考えるべきである。単数で集団を表す例にはイザヤ43:10などがある。
・神の奴隷、神の家の者となったのはクリスチャンであり、彼らは最終的に真のイスラエル、霊的イスラエルを構成する。
ローマ人のへの手紙は生来のイスラエル人に当てて書かれたものではなく、信仰の人すべてを対象としたものである。その中でパウロはクリスチャンを内面のユダヤ人(2:28,29)、真のイスラエル(9:6〜8)と呼んでいる。
・真のイスラエルの数は啓示7章と14章によれば14万4千人になる。したがって「家の者、召使い」ならびに「忠実で思慮深い奴隷」は14万4千人、キリスト再臨後で言えば、14万4千人の残りの者ということになる。
クリスチャンは全員「神の家の者」であると同時に「神の奴隷」である。預けられた主の財産が2タラントであろうと5タラントであろうと、忠実で思慮深くなければならないのはすべてのクリスチャンである。管理者として忠実で聡くない者は神の家から退けられることになる。つまり、そういう人々は完成された神の会衆のメンバーには含まれない。したがって、真の教会、忠実な家令の数は14万4千人になるという説明である。
あらかじめ正当化したい考えがあり、それを何とか論証しようと聖書を探し回って教理を作ると、どうしても無理が生じてくる。時間の経過とともに矛盾が明らかになってくるし、現実とも合わなくなってくる。質問や批判を抑えようとすれば、やがては強権発動をしなければならなくなる。現在ものみの塔協会が陥っている事態の背景には、こうした教義作りの在り方が本質的な問題として横たわっている。
普通、虚心な聖書研究からは、そういう矛盾に満ちた教理は生まれてこない。仮になんらかの矛盾点が指摘されたにしても、改めるのにそれほど困難を感じることはないからである。ところが、ものみの塔協会のように組織の「ポリシー(政策)」で教義を決定するとなると、そうはいかなくなる。組織の権威や面子が関わってくるので、簡単に認めることができなくなるからである。この忠実な家令=14万4千人説もそういう教理の典型的な一つであろう。
最近学んだ人の中には、本当にものみの塔協会はそういうことを教えているのだろうか、と疑問に感じる人もいると思うので、最初にその証拠をあげておく。この点に関する最新の記事は、1982年1月1日号のものみの塔誌に載せられたものである。
その第一研究記事(p.21,9節)は
「したがって、神の霊的な子らである14万4千人は『従者団』を構成し、主人である主イエス・キリストは、その上にたとえ話の『家令』を任命されます。」
と述べ、従者団=14万4千人であるとはっきり断言している。
さらに、同記事の22ページ11節には
「『家令』は、霊的イスラエルの『小さな群れ』を、『主人』であるイエス・キリストの、献身しバプテスマを受けた弟子全体を表しています。」
と記されている。
「小さな群れ」とは天に行く14万4千人のことなので、「家令」も14万4千人ということになる。すなわち「家令」=「従者団」=「14万4千人」である。
この論議で真っ先に問題となるのは「家の者(従者団)とその家の者を管理するよう任命された者(家令)が同じなのか」という点であろう。普通の感覚で考えれば誰でもおかしいと思う。会社で言えば、平社員と社長が同一人物だというのと同じことだからである。通常こういうことが成り立つのは、社員一名の会社しかあり得ない。ところが、神の家には少なくとも14万4千人もいるわけだから、忠実な家令=従者団=14万4千人というのは、どう考えても不自然だといわざるをえない。
この点の説明にはものみの塔協会もかなり苦労しているようで、最近十年間の出版物の中にはこの問題を扱ったものは見当たらない。一番新しい資料で1975年4月15日号のものみの塔誌になる。
その号の238ページには、農場の例えが用いられており、次のように説明されている。
なかには、「『召使いたち』で成る『奴隷』が、どうしてそれら『召使いたち』を養えるのだろうか。それでは『奴隷』が自らを養っていることになりはしないか」と尋ねる人がいるかもしれません。この点は農場に引っ越す家族の例えで説明できるでしょう。そのような家族がまず第一に必要とするものの一つは食物の備えです。父親が食物を全部備えて、家族の他の成員に食べさせるのでしょうか。そうではありません。家族の成員は各自異なった務めを果たします。ある者は耕作に従事し、他の者は井戸を掘る仕事をします。種まきをする者もいれば、家畜の世話や乳しぼりの仕事をする者もいます。もちろん、ある特別の仕事は皆で手伝うことでしょう。収穫にはおそらく全員が携わるでしょう。それから女の人たちは、将来の食糧としてカン詰めを作る作業をするでしょう。また、家族のために食べ物を料理して食卓に供します。さて、一人の力ではそれほど十分の備えをすることはできないでしょう。しかし、一家全員の努力ですべての人が十分に養われるのです。「忠実で思慮深い奴隷」と全く同様、彼らは家族という一集団を成していますが、個人個人は、その家の「召使いたち」として食物を生産したり、それを供したりする働き人なのです。使徒パウロもコリント第一12章12節から27節で同様の例えとして、人体とその肢体の例えを述べています。
これはかなり苦しい論議である。確かに「食物を供給する、養う」という点だけに限って言えば一応の説明にはなっているが、厳密にはとうてい成立しえないものである。
再び、会社の例えで考えてみる。社長、専務、部長といった管理職も平社員もその会社の人間であることには変わりがない。また、それぞれの業務内容が異なっても、全員その会社の仕事に携わっているのも確かである。しかし、同じ組織に属し、共通の業務に従事しているからといって、平社員と管理職が「同一人物である」ということにはならない。
この点は組織の構成単位が農場や家になっても全く同様である。確かに、全員が農場ないしは家の成員ではある。しかし、全員が同時に管理職につくことはあり得ない。成員のすべてが何らかの形で仕事のある部分を管理しているといえないこともないが、それでもやはり全員が成員の上に任命される「管理者」になるわけではない。
このように考えてみると、この農場の例えの記事はいかにもお粗末なものであることが明らかになる。最も重要なポイントである「管理権」の問題を無視しているからである。
コリント第一11章3節には、「ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。」(新共同訳)と記されている。この原則は「かしらの権」として知られており、エホバの証人の中ではかなり厳しく守られているものの一つである。
エホバの証人の社会では女性が神の家の管理職に就くということは絶対にない。もっとも、兄弟が一人もいない会衆や群れの場合は例外であるが、それでも正式な役職への任命ではない。
それはこのコリントの聖句にある「かしらの権」の原則によるものである。普通一般の組織同様、エホバの証人の組織も実質的にはピラミッド型になっている。主な役職には奉仕の僕、長老(監督)、巡回監督、地域監督、支部委員、統治体といったものがあるが、姉妹たちはこのいずれの立場にも就くことができない。
忠実で思慮深い奴隷級の中には女性も含まれるであろうか。もちろんである。14万4千人の中にはイエスの母のマリヤやその他大勢の女性が入っていると信じられている。そうすると困った問題が一つ起きてくる。かしらの権の問題である。
神の家の者に対するかしらの権ー管理権はかしらの権の代表的なものであるーは姉妹たちにはない。しかし、忠実で思慮深い奴隷、家令は管理職を委ねられる者たちである。そして、ものみの塔協会は忠実で思慮深い奴隷、家令には姉妹たちも含まれると説明している。この矛盾はいったいどうするのであろうか。
14万4千というのは中途半端な数字ではない。この数は完成されたものであり、同時に閉じられたものである。もちろん宗教的な意味においてであるが。ものみの塔協会の主張するように文字通りの数と仮定すれば、なおのことそういえる。
また、14万4千人全員がそろうにはかなりの期間がかかる。ものみの塔の教えではその期間は19世紀以上になる。最終的に完成するのはキリスト再臨後である。
忠実で思慮深い奴隷=14万4千人説は、こうした点と現実とのギャップをうまく説明することができない。
神の家に招かれた人は膨大な数に上る。何といっても19世紀以上の間である。その数は14万4千人をはるかに越えている。仮に最終的な数は14万4千人としても、ではその他大勢の人はいったいどういうことになるのであろうか。出たり入ったりして一時的にしか神の家の中にいなかった者もいるだろうが、選ばれるか選ばれないかは別にして最後まで神の家の中にいた者も大勢いるのである。
忠実で思慮深い奴隷=14万4千人説が最終的な段階、完成された時期だけを対象としているのであれば、忠実で思慮深い奴隷=14万4千人でも良いかもしれないが、しかし、ものみの塔協会の解説ではこの例え話は1世紀から20世紀まで及ぶことになっている。そうなると、神の家の者=14万4千人というのは、キリスト教の歴史的な事実に合わなくなってしまう。
さらに、小麦と毒麦のたとえ話に明示されているように、小麦(良い僕)と毒麦(悪い僕)はキリストが再臨されるまでは分離されないということも指摘されよう。それまでの長い間、小麦と毒麦は共に成長することになる。つまり、圧倒的に長い間神の家は混在状態に置かれるということである。神の家の者=14万4千人ではこの間の状況とも合わないのである。
忠実で思慮深い奴隷級に関するものみの塔協会の教理には、管理権の矛盾の他にこのような時間的な矛盾も含まれている。
最後にこの教理が間違いであることを証明する決定的な事実をあげておく。それは「忠実で思慮深い奴隷の代表であるとされる統治体が偽善的な組織であることが、天の法廷の前で立証された」ということである。偽証を犯し、天の法廷の権威を軽んじる忠実で思慮深い奴隷など、絶対に存在し得ない。
天に行く人の数が14万4千人に限定されるという教えは、ものみの塔協会の大きな特徴の一つである。他にこのような教理を唱導している教団については聞いたことがない。すべての組織を調べたわけではないのでもちろん断定的なことはいえないが、これはものみの塔協会独特の教理ではないかと思う。
天に行く人が14万4千人に限られるということは、天への救いに与る者は14万4千人しかいないということである。そのほかの人は皆、地上における救いに入れられることになっている。ものみの塔協会では、天的クラスの14万4千人はファーストクラス、あとの地的クラスの人はセカンドクラスのようなものである。
天の方が良いかそれとも地上の方が良いかは人によって異なると思うが、いずれにしてもこれは、クリスチャンとしての救いそのものに関わる重要な問題である。
なぜ天に行く人は14万4千人に限定されるのか、なぜ14万4千は象徴的な数字ではなく、文字通りの数といえるのか、黙示録のイスラエルはどうして文字通りのイスラエルではなく霊的イスラエルと断定できるのか、こうした問いに明白な論拠をもって答えることのできるエホバの証人は極めて少ない。
というのは例によって、新しい人のためのテキストには主に結論が記されているだけで、理由らしいものはほとんど扱われていないからである。それでも一応納得した気分になれるのは、部分的な論証はなされているからであろう。「永遠に生きる」や「真理」の本には、部分と全体を結びつけることのできる論議は記されていない。
この教えの論拠になっているのは「地球や人類に対する神の目的とその中で小さな群れが占めている役割」である。この教理は神の計画と密接に関わっており、それを抜きにして論じることはできない。天に行く人の数が制限されるのは小さな群れが天に行く目的による。
神の目的は創世記1章27,28節に次のように記されている。
「神は御自分にかたどって人を創造された。・・・神は彼らを祝福していわれた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」(新共同訳)
神は最初の人間夫婦をパラダイスであるエデンの園に置かれた。彼らは完全であり、パラダイスで永遠に生きる見込を有していた。神の地球と人類に対する当初の目的は、「永遠に生きる完全な人間でパラダイスとなった地球を満たし、神性を完全に反映する人類を通して神の支配を行うこと」であった。
アダムとイヴの違反により、こうした神の計画はすぐには実現しなかったが、しかし、神は決して当初の目的を放棄されたわけではない。漸進的に少しずつその計画をl進めてきたのである。
最初に神が準備を進められたのは、完全な政府を作ることであった。そのために用いられたのがイスラエル人である。
そのことは出エジプト19章5,6節(新改訳)の中に次のように示されている。
「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」
この聖句には、神の政府が「祭司の王国」「聖なる国民」となることが明示されている。
祭司の王国を構成するのが最終的にはいったい誰になるのか、その点について明らかにしているのはダニエル書である。
「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。
しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。」 (ダニエル7:13,14,18 新改訳)
祭司の王国の支配権は「人の子のような方」と「聖徒たち」に与えられることがわかる。
よく知られているように、人の子のような方とはイエス・キリストを指している。イエス・キリストは再三にわたって、ご自身のことを人の子と語っておられるからである。そして、聖徒たちは「小さな群れ」ということになる。
「恐れることはありません、小さな群れよ。あなた方の父は、あなた方に王国を与えることをよしとされたからです。」(ルカ12:32 新世界訳)
「それでわたしは、ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように、あなた方と王国のための契約を結び、あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし、また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします。」(ルカ22:29,30 新世界訳)
これらの聖句から、神の王国の支配権は「小さな群れ」であるキリストの弟子たちに与えられることがわかる。
かつて、C・T・ラッセルの時代には、神のイスラエルを文字通りの意味にとり、生来のイスラエル人と考えていたようである。しかし現在のものみの塔協会はそうではない。キリスト以降の神のイスラエルは霊的イスラエルである。
律法契約下にいた生来のイスラエル人は、祭司の王国の成員を大勢供給するはずであった。ところが彼らは一国民としては、その王国の王であるイエス・キリストを退けてしまった。キリストが弟子たちと結んだ新しい契約が有効となり、律法契約は廃されることになった。イスラエルの恵まれた立場はそのとき終了したのである。
代わりに祭司の王国の成員になるよう招かれたのは、異邦諸国民であった。使徒ペテロはこの点について次のように記している。
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなた方を暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(ペテロ第一2:9 新共同訳)
新しい契約下に招かれたクリスチャンは、真のイスラエル人を構成することになった。律法契約が有効なときは生来のイスラエル人が神の民であったが、それが廃されてからはクリスチャンが神の民になった。使徒パウロはこの点について次のように論じている。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(ローマ2:28、29 新共同訳)
「しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのでなく、『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。』のだからです。すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。」(ローマ9:6〜8 新改訳)
内面のイスラエル人、真のイスラエル人は祭司の王国のために産み出されたクリスチャンであり、彼らは霊的イスラエルの民を構成するのである。
普通、臣民に比べて政府の職員は圧倒的に少ない。その成員は限られた人々から構成されており、数も制限されている。神の政府、祭司の王国にもこの点は当てはまるはずである。このように推論して、神の王国の構成員について述べている箇所を聖書の中から捜した。この問題の答えは黙示録(啓示)7章と14章に見い出された。
啓示7章3,4節には、
「わたしたちが、わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは、地も海も木も損なってはならない。
そしてわたしは、証印を押された者たちの数を聞いたが、それは十四万四千であり、イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。」
と記されている。
新しい契約以降はクリスチャンが神の奴隷となったので、ここで述べられているイスラエルとは、生来のイスラエル人ではなくクリスチャンであることがわかる。一人ひとりに証印が押され、その数が問題にされていることから、この数字は限定されたものであることが明らかになる。したがって、この14万4千という数字は文字通りの数とみなすことができるのである。
さらに、啓示14章1節には、
「またわたしが見ると、見よ、子羊がシオンの山に立っており、彼と共に、十四万四千人の者が、彼の名と彼の父の名をその額に書かれて[立っていた]。」(新世界訳)
と記されている。
ここのシオンは地上のシオンではなく、天のシオンである。なぜならキリストは昇天以来、地上ではなく天におられるからであり、子羊の姿で地上のシオンに再臨することは有り得ないからである。キリストの再臨は目に見えない臨在であり、最後の到来の時にはみ使いたちと共に栄光のうちに来ることになっている。
こうした理由により、「天に行く人は14万4千人である」と考えることができる。神の地球と人類に関する最初の目的は、このようにイエス・キリストと14万4千人からなる祭司の王国により、その王国の千年間の支配を通して実現されることになる。
ものみの塔協会はこのようにして説明しているわけであるが、しかし、これでも問題は一つ残っている。その点を質問されると、エホバの証人は非常に困ることになる。ものみの塔協会としてはなるべく触れてほしくない点であろう。
それは、なぜ14万4千人が象徴的な数字ではなく文字通りの数といえるのかという質問である。
「イスラエルは象徴的、部族も象徴的、部族ごとの1万2千も象徴的(単なる12000ではない、部族単位である)、シオンも象徴的、子羊も象徴的、それなのにどうして14万4千だけが文字通りの数になるのですか。」
「それは天に行く人の数が限られているからです。彼らが天に行くのは王なる祭司としてキリストの千年王国に加わるためだからです。」
「数が限られているからといって、また支配者になるからといって、別に14万4千人と決まったわけではないでしょう。それでは答えにも何もならないんじゃないですか。」
おそらく返答のしようがないであろう。
結局のところこの点は、最後には統治体に対する信仰、組織に対する信頼の問題になってしまう。
少々長くなってしまったが、以上がものみの塔協会の神の目的を基にした「天に行く人の数は14万4千人に限られる」という教理の論旨である。
この論議は次の二つの論点を土台としている。
この論点の一つが成り立たなくても、「天に行く人=14万4千人説」は崩壊してしまう。
ものみの塔協会のこの教理が正しいかどうかを確かめるには、これら二つの論点の真偽を検討すれば良い。以下その点を調べて行くことにする。
キリストと共にシオンの山に立つ14万4千人のイスラエル人は、ものみの塔協会の主張しているように霊的イスラエル人であろうか。それとも、そうではなく、これらの人々は生来のイスラエルを指すのであろうか。どうもこの問題に関しては、まだ統一的な見解はないようである。
ものみの塔協会の「14万4千人のイスラエル人=霊的イスラエル、天的クラスのクリスチャン」の解釈のほかにも、象徴的な解釈としては「全キリスト者を表す」「終末時の全教会の象徴」「艱難を通過して天に移された人々」などの考え方が提唱されている。
これらの解釈は、クリスチャンを象徴しているという点ではみな同じである。しかし、どういうクリスチャンを表すのか、すなわち、どの時節のどのレベルのクリスチャンを指すと考えるかによって、解釈は異なってくる。聖書注解者の意見は大きく二つに分かれているようである。
新改訳、黙示録7章4〜8節の脚注には、その点が次のように簡潔に要約されている。
「ユダヤ人の十二部族から一万二千人ずつを選んだ総計であり、ユダヤ人の救われた者を指すと考える者もいるが、むしろ霊的な意味でのイスラエルととり、すべての救われた者を指すと考える者もいる。」
そのように考える聖書注解者は多いようである。書店に出ている一般的な預言書、黙示録の解説書などは、ほとんどが生来のイスラエル説をとっている。
ジョン・F・ワルブード著「イエス・キリストの黙示」(p.259−260)の中にその理由がわかりやすく説明されているので、その一部を以下に引用することにする。
患難時代との特別な関連において、イスラエルの十二部族が選び出されるということは「イスラエル」ということばが聖書において用いられる時には、最初にイスラエルという名を与えられたヤコブの子孫を常に指しているということの、もう一つの証拠である。ガラテア六:16も例外ではない。教会が真のイスラエルであるという広く行き渡っている考え方は、聖書のいかなる明確な言及によっても支持されておらず、イスラエルという語は、異邦人に対しては決して用いられておらず、人種的にイスラエル、あるいはヤコブの子孫である者に対してのみ用いられている。
続いてワルブードは、このような見解を支持するものとして、ウィリアム・ケリーの次の言葉を引用している。
その反面、部族の名を個々にあげて行くことは、字義的にとる以外には、いかなる意味においても矛盾がある。さらに、イスラエルの民の中の印を押された者の数と、あらゆる国民、部族、民族、国語の中からの無数の群衆との間には、言うまでもなく、明らかな、積極的な、矛盾がある。したがって、象徴的にとる説は、詳細に検討する時、不合理であるという非難を免れることはできない。なぜなら、それはこの章において明らかに対照的なものであるとされているにもかかわらず、印を押されたイスラエルと、しゅろの枝を持った異邦人とを同一視しているからである。
生来のイスラエル説の根拠として挙げられている主なポイントは二つである。その一つは、「聖書中でイスラエルという語が使われている場合、それは常に生来のイスラエルを指している」というものであり、もう一つは、「異邦人からなる大群衆と対照してイスラエルという語を用いているのだから、象徴的に解釈するのはおかしい」というものである。
はたして、この指摘は決定的なものであろうか。ワルブードは「象徴的な解釈は、聖書のいかなる明確な言及によっても支持されておらず」と断言しているが、調べてみると、必ずしもそうだと言い切ることはできないことがわかる。なぜかといえば、やはり解釈の視点が問題となるからである。
例えば、ガラテア6章16節「このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように」のイスラエルであるが、このイスラエルは生来のイスラエルではなくクリスチャンを指しているという論議も十分に成り立つ。
前の15節を見るとわかるように、パウロがここで述べている原理とは割礼によって代表される律法の原理ではない。それは新しい創造によって現されるキリスト教の原理である。その原理に従う人とはいったい誰であろうか。それが生来のイスラエル人ではなく、クリスチャンであることは言うまでもない。さらに、この手紙はガラテヤにあったイスラエルの会堂に当てて書かれたのではなく、クリスチャンの諸会衆に当てられたものである。そうであってみれば、ここで言う神のイスラエルを生来のイスラエルとみなすのは、極めて不自然だということになる。ここのイスラエルは、生来のイスラエル人ではなくクリスチャンを指していると考えるほうが、文脈にもパウロの論議全体にもはるかに調和している。
大群衆とイスラエルの対比については、それこそものみの塔協会の教理のような「支配者と臣民」という関係でも説明可能であろうし、あるいは「教会時代のクリスチャンと艱難後のクリスチャン」「政府の要員と職員」というような考え方もできるだろうと思う。いずれにしても、この対比は決定的な要素ではない。
14万4千人=霊的イスラエル説も十分それなりに成立しうるし、またかなりの説得力もある。現状ではこの問題は断定し難いというのが妥当な結論であろう。
したがって、ものみの塔協会の教理の間違いを論証する上で、この観点は不十分である。生来のイスラエル説では決定的な論証とはなりえない。事実によってはっきりと断定できるのは第二の論点である。
14万4千人を集める業は西暦33年のペンテコステに始まり、1935年にはそのほとんどが終了したとされている。その年以降、神の関心は地の臣民となる大群衆に向けられ始めたことになっているからである。1935年は、ものみの塔協会では収穫の業の歴史的な転換点に当たる年とされている。
この主張の真偽を確かめるのはそれほど難しいことではない。一世紀から1935年ころまでのクリスチャンの数を数えてみれば、それではっきりするからである。1914年当時から、わずかながら地的クラスの人もいたということになってはいるが、その数は無視しても一向に差し支えない程度のものである。
「神が偽ることのできない事柄」という本の22ページには、
「真理はそれ自体矛盾せず、事実を否定しません。それはあるがままの現実と矛盾せず、人によって別もの、まして相反するものではありません。・・・・真理は現実の事実によって証明可能です。真理は純粋で実在のものであり、現実と一致しているゆえに永続します。」
と述べられているので、「現実の事実」によって確かめるのが最善であろう。
一世紀当時から現代に至るまでのクリスチャンの総人口を厳密に知ることはできないが、聖書の記述と歴史の文献およびものみの塔協会の出版物から、この問題に対する答えを知るには十分の情報を得ることができる。
使徒 | 1:15 | キリストの昇天の日に120名ほどの弟子がエルサレムの近くに集まっていた。 |
2:41 | 五旬節の日に3000人がバプテスマを受けた | |
4: 4 | 男の数だけで5000人が信じた | |
6: 7 | エルサレムで信者が非常に増える | |
9:31 | ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地で信者が増える | |
9:35 | ルダとシャロンに住む人はみな主に立ち返った | |
9:42 | ヨッパで多くの人々が主を信じた | |
10:44 | コルネリオと共にいたすべての人に聖霊が下った | |
11:19,21 | フェニキヤ、キプロス、アンテオケの大勢の人が主に立ち返った | |
11:24 | アンテオケの大勢の人が主へと導かれた | |
13:48 | ピシデアのアンテオキアの異邦人も信仰に入った | |
14: 1 | イコニオムでユダヤ人、ギリシャ人の大勢の人が信仰に入った | |
14:21 | デルベでかなり多くの人を弟子とした | |
16:33 | テアテラで看守とその家の者全部がバプテスマを受けた | |
21:20 | ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくいる | |
コロ | 1: 6 | 福音は世界中で実を結んでいる。 |
キリスト教がローマ社会全体に広まっていった結果、ユダヤ人よりも異邦人の信者の方がはるかに多くなった。ユダヤ人だけで幾万人もの信者がいたわけだから、全部のクリスチャンの数は少なく見積もっても、パウロがエルサレムに上った時点ですでに10万人を越えていたと考えられる。その後もキリスト教の拡大は順調に続いていったわけだから、AD70年のエルサレム滅亡前の段階で、すでに14万4千人をはるかに越える状況にあったと考えられるのである。
この時期に関して聖書から直接得られる情報は全くない。しかし、初期教父たちの文献やローマ側の資料から、その当時の様子を知ることができる。
第1世紀末ローマに反キリスト教的指令の発布されたとき、クレメンスの手紙によれば、宮廷に属する者からも迫害に遭った人があり、政府軍人の階級もその対象とされたらしい。ドミティアヌス帝の姻戚さえ「無神論者」の疑いを帰せられて迫害・追放を受けた者があった。トラヤヌスやマルクス・アウレリウスのごとき平和的治世の下においてさえ、イグナティオスやポリュカルポスやユスティノス等の殉教記録が残っているのは、キリスト教普及の反証と見られる。小プリニウスがビティニア州総督に赴任したとき、その地方民の大多数が「無秩序な迷信」に惑わされているのに驚き、いかに処置すべきかという方針について、トラヤヌス帝に報告しかつ指示を仰いだ往復文書が残されている。キリスト教分布の程度は地方により同じくないが、ローマの統治官をかように当惑させた地方もあったのである。(「キリスト教の源流」石原 謙著 p.80)
1世紀の末には下層階級の人々ばかりではなく、ローマの宮廷の中にもキリスト教を奉じる人が大勢いた。地方によっては住民の大多数がクリスチャンという所もあったのである。
2世紀になるとキリスト教はさらに拡大していった。「世界の歴史5ローマ帝国とキリスト教」には次のように述べられている。
「キリスト教徒はじつに数が多くて、都市ばかりでなく農村にも、さらに草深い田舎にも拡がってい(た)」 (p.345)
「のちに二世紀の末になって『護教論』を書いたテルトゥリアヌスは、そのなかでこの事態を簡潔に、しかし誇らかにこう記している。
『ティベル川が氾濫するとき、ナイルの出水が足りないとき、雨が降らないとき、地震のとき、飢饉、悪疫が起こるとき、すぐさま人はキリスト教徒をライオンに投げよ、と叫ぶ。いったいこれだけの人数をライオン一頭に投じきれるというのか。・・・・・・われわれはあなた方によって斃(たお)されるたびごとに多数に増加する。キリスト教徒の血は種子なのである。』」(p.353,354)
「迫害の強化にもかかわらず、信徒の増大と組織の強化は着々とすすめられていた。その勢いを抑えるために、201年に出された法律は、ユダヤ教とキリスト教への改宗を極刑をもって禁ずるものだった」
さらに「キリスト教史1」(半田 元夫・今野 國雄著 p.167)は
三百年代になると、エウセビオスが「キリストの祭壇は今やすべての村々や町々にみられる」という状況になっている。・・・
小アジアでもフリュギアのはるか北の地方で発見されたおびただしい碑文は、帝室領の田舎の人々が公然とキリスト教の信仰を表明していたことを示しており、墓碑銘に好んで描かれている鋤、鎌は、彼らの出自が農民であることを語っている。
と記している。
この時代になると、もはやクリスチャンの数は数10万どころではない。ローマ帝国のいたるところ、その隅々までキリスト教は普及していたのである。次の図はその状況を示したものである。
この期間のカギを握っているのは、マタイ13章に記されている「小麦と雑草(毒麦)」のたとえ話である。その中で主人であるキリストは「収穫まで両方とも一緒に成長させておきなさい」と述べておられる。つまり、小麦のような真のクリスチャンも毒麦のような偽のクリスチャンも収穫の時までは混在状態にあるということである。
やがて、毒麦が畑を覆い尽くすようになったが、この期間にも真のクリスチャンは存在した。ものみの塔協会もこの点は認めている。
エホバの証人は年に一度「主の記念式」を開く。その時パンを食べ、ぶどう酒を飲む人が天へ行く人々で、何も食べない人が地上での永遠の命をめざす人々である。記念式のときにパンとぶどう酒に与かった人の数を数えると天的クラスの人数がわかる。
ものみの塔協会の教理ではキリストは1914年に臨在したことになっている。収穫の時はすでに到来しているという見解になっているので、その仮定に立って人数を数えることにする。それゆえ現代のクリスチャンの数の中には、ものみの塔協会のあげる人数以外は含めないことにする。
1899年 3月26日 | 2,501人(不完全な報告) (「1976エホバの証人の年鑑」p.42) |
1917年 4月 5日 | 21,274人(不完全な報告) (「1976エホバの証人の年鑑」p.94) |
1919年 4月13日 | 17,961人(不完全な報告) (「秘義」p.301) |
1925年 4月 8日 | 90,434人(これは出席者数であるがこの当時は地的な希望を持つ人は記念式に招待されなかった) (「千年王国」p.236) |
1939年 世界の伝道者数 | 71,509人(他の羊が集められはじめたばかりなので大多数は天的クラス) (「自由の子」p.150) |
ものみの塔協会は
「そうした集めるわざが過去18世紀余なされた後の、この二十世紀の時代までには、代わりとして用いられねばならない人々は比較的少数、あるいはごく少数しかいないはずです」
と指摘している。(ものみの塔誌1975年 2月15日号 p.120)
ところが、少数といいながら実際は、ピーク時には何と「9万人以上」を記録しているのである。14万4千人の半分を大幅に越える数字である。これも大きな矛盾点の一つといえる。
現実の証拠を検討してみると、どんなことがいえるであろうか。それは、あまりにもクリスチャンの数は多すぎるということである。
天に行く人を14万4千人に限定してしまうには、天をめざした人は膨大すぎる。その数はどう少なく見積もっても何百万人にもなる。その中から、わずか14万4千人しか選ばれなかったのであろうか。神とキリストの神性からいっても、とうていそのようなことは考えられない。
ものみの塔協会は「天と地を同時にめざすことはできません。天的希望と地的希望を両天秤にかけることはできません。最後まで天をめざした場合、片方が駄目だからといって別の方に乗り換えることができるわけではありません」と教えている。それでは14万4千人以外のクリスチャンはどうなってしまうのであろうか。
イエス・キリストが「招かれる者は多いが選ばれる者は少ないのです」(マタイ22:14)と語ったのは事実である。しかし、それでも天をめざした人の数はあまりにも多い。キリストはまだ再臨していないわけだから(この問題は後の章で検討する)、この要素を加えると天的クラスの候補生は何千万という数字になってしまう。現実にはとうてい、天に行く人=14万4千人説はありえない教理である。
この矛盾に対する有効な答えはない。内部向けには幾つかの解答を試みているが、立証可能な現実の証拠はない。
例えば、ものみの塔協会は「三位一体や魂の不滅のようなバビロン的な教理を信じていた人は皆だめです」というようなことを主張してきた。これは、つまり、「背教が生じてからのクリスチャンはみな除外される。現代では、ものみの塔協会が真理を回復してからの、真のクリスチャンしか含まれない」ということを意味している。しかし、仮にそうであったとしても、ものみの塔協会だけで過半数を越えるというのは数が多すぎるのである。加えて、この主張は「ものみの塔協会の教理だけが唯一の真理である。神の組織はその他にはない」という全く立証されていないことを前提としている。とうてい成り立つような論議ではない。
教理の異なった人を是認するかしないかは、本来、天の判断すべきことであって、ものみの塔協会の独善的な裁量で決定すべき問題ではない。論証したなら後は天に委ねるべきことである。
もう一つの方は、組織の幹部の実態を知らない人には説得力があるかもしれない。「天へ行く人には非常に高い規準が求められる。真理を深く愛し、キリストの足跡に固く付き従う者でなければならない。彼らには不滅の命が与えられるので、絶対に不忠節にならないことが要求される。ゆえに、選ばれる人はわずか14万4千人しかいないのである」という説明である。
しかし、この点も今や完全に否定された。レベルの高い人々の代表であるはずの統治体が、偽善者の集団であったからである。天の権威を軽んじ、組織崇拝を推し進め、聖書の原則を擁護しない人々をキリストが共同統治者に選ぶことなど絶対にあり得ない。
この世には「神の組織」と「サタンの組織」以外にはない。すべての人は意識するしないにかかわらず、そのいずれかの組織に属している。中立、中間はあり得ない。唯一の神の組織はエホバの証人、その他はすべてサタンの組織、エホバの証人の伝道を受け入れようとしない者や敵対する者はすなわち神の敵、そのような人々はやがて大患難で滅びることになると、ものみの塔協会は教えている。
この神の組織に関する教えはものみの塔協会にとって最大の意義を持つ。というのは「神の組織」という概念は、預言の解釈を含めほとんどあらゆる教理の土台になっているからである。組織の教義がエホバの証人に及ぼす影響は非常に大きい。膨大な量の規則や戒律の設定など大概がこの教理を規準として定められている。
この教理は、統治体を始めとするものみの塔の幹部には非常に都合のよい教理でもある。格好の言い訳や口実を与えてくれるのみならず、逆に相手の方に責任を転嫁してしまうこともできる。さらに都合の良いことには、エホバの証人をものみの塔協会に引き止めておく最も強力な理由にもなる。この教理はものみの塔協会の常套手段、最後の切り札でもある。
「神の組織に敵対する者は皆サタンです。決して惑わされてはなりません。エホバは組織を確かに導いておられます。たとえ、組織に間違いや問題があっても、やがてエホバが正してくださいます。あなたは組織の中にいてその時をじっと待つべきです。組織を疑うようになりサタンのワナに陥ってはなりません」とか「組織の問題を正すのはあくまでもエホバであり、イエス・キリストです。それは神権組織を通して行われます。あなたが行うのではありません。先走ることは不信仰、不忠節の罪を犯すことであり、僭越な行為に他なりません。神を待てるかどうか、あなたの信仰が試されているのです。」という具合に用いるわけである。
単に質問や嘆願をしただけなのに、それが彼らにとって都合の悪いものであれば、いつの間にか組織に対する反抗、先走った行為にされてしまう。あるいは、「確か最初に問題となることをしたのは組織の方だったはずなのに、それはどこかへ行ってしまい、気が付いたらこちらの方が悪いことになっていた。最後には完全に問題がすり替えられてしまっていた」というようなことになりかねないのである。この程度の欺きは狡猾な幹部にとってはたやすいことであろう。
神の組織、神の組織とあまりに強調されるので、すでに強迫観念になっている人もいる。組織の否認は神の否認、組織の是認は神の是認である。こうなると組織は神そのものになる。
この神の組織の教理こそ、ものみの塔協会の最大の武器といえるものであろう。
ものみの塔協会が外部から最も批判を受けているのは、その偽善的、排他的、独善的、秘密主義的な体質である。これは、ものみの塔の幹部と何らかの否定的な面で関わりを持つことになった人々が、一様に口にすることでもある。末端の信者がこういう一面を目にする機会はめったにない。幹部にとって都合の悪いことでもなければ、なかなか表面には出てこない部分だからである。
好意的な人には天使の顔でも、そうでない人には不遜なもう一つの本当の顔が現れてくる。特に見切りをつけた成員に対してはそれが顕著になる。ものみの塔協会の極めて陰湿な一面が姿を表す部分である。もっとも、組織とは大概そういうものであろうが、純粋に信じていた成員ほどそのギャップに驚くことになる。
こういう傾向はなぜか宗教組織に特に強いように思えるが、それなりの理由は確かにあるに違いない。宗教界ほど本音が建前によって、妙にゆがんでしまう世界は他にないからである。
統治体、支部委員などの幹部はこれをいったいどのように考えているのであろうか。直接聞いてみたわけではないのでハッキリしたことは言えないが、どうも反応からするとあまり問題意識は持っていないようである。目をつむっているのか、どうしようもないと思っているのか、そういう体質の方がむしろ性にあっているのか、それはわからない。もしかしたら意外と第二の顔は本人の自覚に上らないのかもしれない。進歩した人は二つどころか幾つもの仮面を持っているであろうし、真剣な人ほど「好意的でないものは皆サタン」と本気で信じてしまうわけだから、どうしようもないのかもしれない。
ともかく、ものみの塔協会の体質、大多数の幹部の高姿勢で尊大な態度の元凶になっているのはこの教理である。もっとも、公的な場では彼らは気持ちが悪いほどていねいだし、概して組織の代表者は姉妹たちには親切であるが。ものみの塔協会の改善は(それが可能であればの話だが)この教理の改正なくしてはあり得ない。真理の組織だというのであれば、まず真っ先にこの教理から正すべきであろう。
組織の定義それ自体はほとんど問題はないが、ポイントをはっきりさせるために定義の検討から始めることにしたい。最初にものみの塔協会の定義と辞書の定義を比較してみることにする。
「ある特定の仕事もしくは目的のために各人の努力が調和的に作用するようにまとめられた人々の集合体また社会集団。組織の成員は、管理のための種々の取り決め、また一定の規準や要求によって結び合わされます。献身し、バプテスマを受けて、エホバの証人となる人々は、生まれつきの関係や強制などにはよらず、個人的な選択の結果としてエホバの組織に加わります。それらの人々は、エホバの地上の組織が教えている事柄や行っている事柄のゆえに、またその組織が進めている仕事に自分も加わりたいという願いのゆえに、その組織に引き寄せられます。」「聖書から論じる」(p.293)
「(ある目標を達成するために)人または物が一定の役割や地位をもって集まり、秩序ある全体を組み立てること。また、その組み立てられたもの。」(学研国語大辞典)
組織の基本的な概念は、「取り決め」「秩序」であり、それに基づいて構成されたものが「組織」であるとする考え方には、全く問題はない。だいたいどの辞書もそういう定義になっている。
これを基にして「神の組織」を簡単に定義してみると、
と定めることができる。サタンの組織の場合は「神」を「サタン」に変えればそれでよい。
ここで注意を要するのは、1も2も厳密で絶対的な定義ではないという点である。キリスト教の体制という大きな枠組みはあっても、その中の細部に至るまでの絶対的な神の取り決めというものは確立されていない。それは今日聖書解釈に絶対的なものがないのと同じである。神が直接、絶対的な方法で決定しない限り、万人の認める絶対的な規準を定めるのは不可能なことである。したがって現実には、取り決めのほとんどがその教団の裁量しだいで決められているのである。
さらに、自称神の取り決めに従う人々、つまり偽善的な神の組織や本人たちは誠実かつ真剣であっても大いなる錯覚を冒している組織等と、本当の神の組織は区別して考えねばならない。それに組織全体と個人の問題もある。ある組織がサタン的だといっても、その中にいる人のすべてがサタン的だとは限らない。神の取り決め、それに従う人の意味合いによっては、判定がかなり変化しうるのである。
こうした幾つかの問題点はあるが、論議を進めて行く基準としては、神の組織の定義は「神の取り決めに従う構成体」ということでよいと思う。
不思議なことに「論じる」の本には組織の定義は載っていても、神の組織の定義は記されていない。組織の定義に単に「神の」をつければそれでよいと考えているのかそれとも、神の組織を明確に定義するとものみの塔協会に都合が悪いのでそうしないのかはよくわからないが、後の方に「今日のエホバの見える組織をどのように見分けることができますか」という項目を設けてごまかしている。これは意図的になされた可能性が高い。なぜなら神の組織を厳密に定義しようとすると、本当はものみの塔協会が困ることになるからである。
ものみの塔協会は聖書の取り決めから出てきた組織ではなく、カエサルの法律に基づいて作られた組織である。神が直接ものみの塔協会を作るようにと指示したわけではない。事実、協会の会長や副会長、会計秘書などの役員は、神権的な方法ではなく「聖所を汚した」とされる民主的な選挙(「2300日」の項目参照)で決められている。「ものみの塔協会を作るようにという神の取り決めは聖書のどこに記されていますか」と問われたら、おそらく返答に窮するであろう。神の組織の条件を別に定めて、それにかなっているから神の組織であるという言い方しかできないからである。
ある組織を100パーセント神の組織、サタンの組織と断定するのであれば、その組織は100パーセント神の取り決めに従っているか、サタンの取り決めに従っているかでなければならない。ところが現実には、はっきりそのように言い切れる組織はほとんどない。そもそも取り決め自体、100パーセント断定することができない以上、基準の設定すら難しいのである。たいていの組織、人は、ある部分は神であったりある部分はサタンであったり、またあるときは神であったりあるときはサタンであったりする。100パーセントの神の組織、サタンの組織などといいうものは、天の領域は別にして現実には存在し得ない。ただし、後のほうで取り上げるが、神が明確な行動を起こした場合は別である。
サタン的な要素を指摘されたらどうするか。ものみの塔協会の場合は「人間は不完全だから」という得意のせりふで逃げることにしている。不完全は誰がもたらしたんですか。・・・直接はアダムですが元凶はサタンです。ですから私たちの責任ではありません。・・・そうですか。でも不完全さは根源的にはサタンから来たものでしょう。それではやっぱりサタン的なところがあるということになりませんか。
これは一種のパラドックス(逆説)であろう。
神は常に一つの組織しか用いられなかったのでしょうか。「もちろんそうです。神が同時に二つの組織を用いたことなどありません」とものみの塔協会は主張する。「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本は、その点について次のように述べている。
エホバが二つ以上の組織をお用いになった時代がかつてあったでしょうか。ノアの日には、ノアおよびノアと共に箱舟の中にいた人だけが神に保護されて大洪水を生き残りました。(ペテロ第一3:20)また、第1世紀にもクリスチャンの組織が二つ以上あったことはありませんでした。神が交渉を持たれたのは一つだけでした。「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ」でした。(エフェソス4:5)わたしたちの時代においても、神の民のための霊的教えの源は一つしかないことを、イエス・キリストは予告されました(p.193)
この他にも、23章「目に見える、神の組織」の項目の中には「神の組織が一つである」とする理由がさらに幾つかあげられている。あわせてその根拠を整理してみると、だいたい以下のようになる。
これらの項目は大旨正しい。ただ、6はイエス・キリストが到来して、弟子たちと清算をした後でなければならないという時節的な条件はあるが。
1〜6の項目は基本的には正しいとしても、こうした根拠を基にして神の組織は常に一つであったとするのは早計である。この教理は適用と状況を画一化しないと成り立たない。総合的には聖書の歴史と現実を忘れたあまりにも単純な見方であるといえる。
組織の最小単位は家族と考えることができる。そういう意味では地上に神の組織が一つしかなかった最初の時は、エデンの園の時代といえる。この時には、神の設けた取り決め以外のものはなかったし、地上で他の取り決めに従う人間も存在しなかった。
その次に神の組織がはっきりしたのはノアの時代である。箱舟を作るようにとの神の定めに従ったのはノアの家族だけであって、他の人々はその取り決めに加わろうとはしなかった。やがて大洪水は「生き残った8人」対「滅ぼされた邪悪な人々」という形で、「神の組織」と「サタンの組織」を明確に区別するものとなった。
さらに、神が律法契約を通して組織された国民はイスラエル民族だけであったという点も指摘されよう。神がイスラエル以外の国民と契約を結んで、何らかの組織を作ったということはない。また、紀元1世紀ペンテコステの日にクリスチャン会衆が発足したとき、聖霊を注がれたのは12使徒を中心としてエルサレムに集まっていた人々だけであった。他にどこかで聖霊が注がれて、独自に別のクリスチャン会衆が組織されたというような記録は全くない。
こういう事例ばかりを見せられると、ものみの塔協会の教理はやはり正しいではないかとエホバの証人は考えるかもしれないが、”忘れてはならない”、こういうケースは聖書の歴史からすると、ほとんど例外的なことなのである。多くの場合、神の組織とサタンの組織の明瞭な区別はつかない。神の明確な行動がなければ判断は非常に難しいのである。サタンのしもべは常に「義の奉仕者、光の使い」に装っている。偽物と本物を見分けるのはそれほど易しいことではない。これは多くの信仰の人々を悩ませてきた問題でもある。
ものみの塔協会が主張するほど、現実は決して単純ではないのである。これは一律に神、サタンと簡単に決められるようなテーマではない。この問題には、神の組織の意味合い、取り決めのレベル、預言的な時節等々の様々な要素が関わってくる。決して無条件で「神の組織は唯一である」とは言えないのである。
出エジプトしたイスラエルの民はシナイ山でモーセを仲介者とし、神と律法契約を結んだ。その時以来、イスラエル国民は組織された神の民となった。それはキリストがやって来て律法契約を終了させるまで続いた。この間、神の組織はどうなっていたであろうか。本当に一つしかなかったのであろうか。
確かに限定された意味においては神の組織は一つしかなかったといえる。しかし、これはあくまでも限られた範囲ということであって、決してあらゆる意味で成り立つということではない。
当時、神が正式に認定した契約は律法契約であり、それ以外にそのような契約は存在しなかった。そして律法契約を結んだ組織は唯一イスラエルの民であった。したがって、そのような意味、つまり、法的な意味においては、神の組織は一つしかなかったと言える。
しかし、神の組織にはもう一つの側面がある。すなわち実質的に神の取り決めに従っているかどうかという問題である。律法契約という取り決め下にいるというだけでは不十分である。本当に神の取り決めに従っているのかどうかが大きな問題となるのである。聖書的にはこの要素の方がはるかに重要な意味を持つ。法的意味と実質的な意味の双方において神の組織でなければ、真の神の組織であるとは言えないのである。
法的な意味においては神の組織は一つ、しかし、実質的な意味においてはそうではないという状況は、イスラエルの歴史上普通のことであって決して珍しいことではなかった。むしろ、国民全体が背教してしまい、神の組織とは名目だけであって、実質的にはサタンの組織と言えるような場合が非常に多かったのである。
典型的なのは、バビロニア帝国に滅ぼされてしまった時のイスラエルの状況である。この時イスラエルは法的には神の組織であった。形式的には、ソロモンの建てた神殿でエホバの崇拝を続けていたし、律法契約も依然として有効であった。しかし崇拝の実質においてはどうであったろうか。エレミヤ、エゼキエルなどの預言者たちの糾弾からわかるように、イスラエルはもはや神の組織とは言えないような状況にあったのである。行っていることは神の取り決めなどとはほど遠いサタン的な精神に満ちていたものであった。
当時の状況についてエレミヤは
「盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているのではないか」
(エレミヤ7:9,10 新共同訳)
と記している。
神の唯一の組織イスラエルは、神の組織とは表面的、神が律法契約を破棄していないというだけの法的意味、実質的にはむしろサタンの組織になっていたと言えるのである。
イスラエルの最初の王となったのはサウルである。彼は当初は神に忠実な良い王であったが、やがて神の指示やその取り決めを無視するようになり、ついにはエホバに捨てられてしまう。
その後、油注がれて王になるよう任命されたのはダビデであった。しかし彼はすぐに王位に就くことができたのではない。サウルに妬まれて命を付け狙われ、逃亡を余儀なくされる。そして荒野を何年間も放浪した後ようやく即位するのである。それでもただちに全イスラエルの王になったわけではなく、初めは二部族の王にすぎなかった。サウルの家とは七年余に及ぶ戦争があった。このダビデの物語はよく知られていることなので、詳しい説明は要らないと思う。
ここで問題になるのは、サウルがおかしくなってからダビデの王権が完全に確立されるまでの期間についてである。この間、神の組織はいったいどうなっていたのであろうか。
もちろん、サウルもダビデもイスラエル国民に属し、共に律法下の体制にいたので、そういう大きな意味では組織は一つであったと言える。しかし、実際には二人はいつまでも同一の組織の中にいたのではない。やがてダビデはサウルのもとを離れ、二人はそれぞれ独自の組織を形成するに至る。
イスラエルの体制全体を掌握していたのはサウルの方である。ダビデのもとに集まったのはごく少数の人々であった。サムエル記上22章2節はその時の様子について「困窮している者、負債のある者、不満を持つ者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた。」(新共同訳)と記している。ダビデについたのは反主流派の人間ばかりであった。
ではダビデのものに形成されつつあったこの組織は、どちらの組織になるのであろうか。はたして神の組織として認められていたのであろうか。心の中ではダビデの方が神の是認を得ていると考えていた人もかなりいたのかもしれないが、何といっても法的に神の組織の体制全体はサウルの配下にあった。彼がそのような見方を許すはずがない。一般的にはアビガイルの愚かな夫、ナバルの「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。」(サムエル記上25:10 新共同訳)という受け止め方が普通であったと思われる。まさかサウルが「私はダビデを妬んで彼の命を狙いました。ダビデは仕方なく逃げ出したのです」と素直に真実を語るはずがない。当然「ダビデは逃亡者だ、主人を捨てて逃げたのだ、王位をねらうよからぬ輩だ」と宣伝したに違いない。
サウルが実際どんなことを行ったのか、詳しい記録がないのでよくわからないが、ナバルの言葉は当時の一般的な見方を反映したものであろう。ダビデの組織は体制派からは認められない存在であったと考えられるのである。
それでは神ご自身はいったいどのようにご覧になっていたのであろうか。この間ダビデが神の是認を得ていたのは確かなことである。イスラエルの体制からは退けられても、神から見捨てられるようなことはなかった。そういう意味ではダビデの組織は、まさに神の組織であり、決してサタンの組織などではなかったといえる。
ダビデの組織が実質的には神の是認を得た組織であったとすれば、サウルの組織の方はどういうことになるのであろうか。ものみの塔協会のいうように神の組織が一つしかないと仮定するなら、ダビデを認めればサウルの方は否定するしかない。もしそうだとすると、実質的にはサウルの組織はサタンの組織だったということになるが、はたしてそう言い切れるであろうか。
サウル自身が神に否認されていたのは間違いない。しかし、それは必ずしも即サウルの組織全体の否認を意味しているわけではない。サウルの組織をサタンの組織だと断定すると、おかしなことになってしまう。別の困った問題が起きてくるのである。
ダビデとヨナタンといえば、美しい友情の代名詞のようになっている。ものみの塔協会もヨナタンを高く評価し、「千人に一人の人物、勇敢で、忠節で、利他的な人」と述べている。(1980年2/15号)まさかこのようなヨナタンを、サタンの組織の一員ということなどとてもできないであろう。
では、ヨナタンを神の組織の成員とすると、どういうことになるであろうか。現実にはヨナタンはダビデの組織の中にいたのではない。彼はサウルの子であり、その後継者としてサウルの組織を代表する人物であった。ヨナタンを神の組織の一員、彼が属する組織を神の組織とすると、サウルの組織も神の組織ということになってしまう。そうすると現実には、神の組織はダビデの組織と合わせて二つ合ったという結論になってしまう。
ところがサウルが不忠節になってからは、サウルの組織は神の取り決めと真っ向から反することを再三にわたって行うようになった。サムエルかを脅かし、ダビデの命を付け狙い、祭司の町ノブの住民を虐殺している。こういう命令を発するほどサウルは悪霊的になっていたのである。聖書は、サウルが神の霊的裁きを受けて聖霊を取り去られると、すぐに悪霊の攻撃に悩まされるようになったと記している。(サムエル記上16:14)いうまでもなく、このような組織のトップの状態や行為は神の組織の業ではありえない。
このように考えてくると何とも妙なことになる。法的契約関係からいえば、神の組織は一つ、しかし現実には神の組織は二つに分かれて争い合っている。実質的には神の組織とサタンの組織が入り乱れているという複雑な状況になっているのである。
こうしたことは何もダビデの時代に限ったことではない。規模や関係の程度はそれぞれ異なっても、様々な時代にごく普通に見られたことである。アブラハムとロト、ヨセフの家とイスラエルの民、追い出されたエフタとイスラエルの家、イエス・キリストの伝道期間等々数多くの例を上げることができる。
結局、神の組織は一つであるといっても、「一つ」の意味が問題になるのである。加えて、取り決めのレベルの問題もある。「神と契約下にある組織」「神の認めている組織」「神の義認している組織」「神の用いている組織」これらは常に同一であるとは限らない。一時的には諸国民さえ神に用いられた組織になっている。神の決定的な裁きがなければ、現実には入り乱れていることの方が多いのである。
繰り返すが、これは意味の意味を考えずに単純に論じられるようなテーマではない。「この世には神の組織とサタンの組織しかない。神の組織はただ一つ、あとは皆サタン」というものみの塔協会の教義は、現実とは遠く掛け離れた、あまりにも単純で短絡的、一義的、御都合主義的な教義と言わざるをえない。
最初は一つだったキリスト教も、現在では何千という教派、宗派に分裂してしまった。小さな組織まで入れるとその数は膨大なものとなる。はたしてものみの塔協会の教える通り、この数ある組織を「ただ一つの神の組織」対「その他のサタンの組織」に分けてしまうことができるのであろうか。その一つの神の組織がものみの塔協会か否かは別にしても。
この点でカギを握っているのは「小麦と雑草、あるいは小麦と毒麦の例え話」である。同様のものとしては他にも「引き網の例え話」などがある。これらの例え話はキリスト教がどのように進展し、最終的にどうなるかを示したものである。
その中の代表的な「小麦と毒麦の例え話」と、イエス・キリストの語ったその解き明かしを聖書から見てみることにする。
「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったのではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
それから、イエスは群集を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちをを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行なう者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々は、その父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:24〜30,36〜43 新共同訳)
この例え話とその解説からわかるのは、「キリスト教が最初は小麦だけの真のクリスチャン、すなわち純粋な唯一の神の組織から始まっても、すぐに毒麦、まがいもののクリスチャンに汚染されてしまう。その結果、神の組織と偽善的なキリスト教の組織との明瞭な見分けはつかなくなる。そういうことをするのはサタンであって、神の組織とサタンの組織が混在する状態は“終わりの時”まで続く。しかし終わりの収穫が始まると神の組織とサタンの組織は分けられる」ということである。
従って、神の組織が唯一か否かを決めるポイントは一点に絞られることになる。み使いたちが派遣されて小麦、真のクリスチャン、聖徒たちを集める時が到来したのかどうかということである。すでにその時が到来したのであれば、どこかに世界的なネットワークを持つ真の神の組織が存在するはずである。ただしこれは、一度は聖徒たちが地上で集められると仮定したうえでのことではあるが。まだその時でないとすれば、聖徒たちの集合はこれから行われることになろう。
1914年の問題のところで詳しく検討するが、現在の諸情勢から判断すると、終わりの時はまだ到来していないと言えるようである。そうであれば、今は神の要素とサタンの要素が混在する時代、神の組織とサタンの組織が入り乱れている時代ということになろう。ものみの塔協会の現実もこの位置付けにピッタリする。
自分たちを唯一の神の組織であるとするものみの塔協会の論理も、一応は小麦と毒麦の例え話の線に沿って組み立てられている。「終わりはすでに始まっている。(ものみの塔協会の教えにはいろいろな終わりの日があって、もっともよく知られているキリストの臨在による終わりの日は1914年、収穫の終わりの日は1870年代、千年統治も裁きの終わりの日といわれている)収穫の時期はすでに到来した。全地の小麦クラスのクリスチャンは、ものみの塔協会を通して各地の会衆に集められている」といった組み立てである。
この主張は二つの前提を土台としている。それは、
というものである。
ものみの塔協会の教えはひとえにこの前提にかかっている。これが崩れてしまえば、その主張もすべて崩壊してしまう。
1については「1914年」の問題のところで詳しく論じるので、ここでは2の点について検討することにしたい。神の組織の条件については、ものみの塔協会が上げているもので十分だと思うので、それを基にして吟味してみることにする。
ものみの塔協会が上げているのは次の七つである。
「聖書から論じる」p.297より
今日のエホバの見える組織をどのように見分けることができますか
- (1)それはエホバを唯一のまことの神として真に高め、そのみ名を大いなるものとしている。−マタイ4:10 ヨハネ17:3
- (2)それはエホバの目的におけるイエス・キリストの重要な役割、すなわち、エホバの主権の立証者、命の主要な代理者、クリスチャン会衆の頭、支配するメシアなる王としての役割を十分に認めている。−啓示19:11−13;12:10.使徒5:31.エフェソス1:22,23.
- (3)それは神の霊感によるみ言葉に堅く従い、教えと行動の規準をすべて聖書に基づいて定める。−テモテ第二3:16,17.
- (4)それはこの世から離れている。−ヤコブ1:27;4:4.
- (5)それは、その成員の間に、道徳的に非常に清い状態を保つ。エホバご自身が聖なる方であられるから。−ペテロ第一1:15,16.コリント第一5:9−13
- (6)それは、その主要な努力を、聖書がわたしたちの時代のために予告した仕事、すなわち神の王国の良いたよりを証しのために全世界で宣べ伝える仕事のために傾ける。−マタイ24:14.
- (7)人間の不完全さがあるとしても、その成員は、神の霊の実、すなわち、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制を培い、かつ実際に示し、それによって一般の世とは異なるようになる。−ガラテア5:22,23.ヨハネ13:35.
上記の規準をものみの塔協会自体に当てはめるとどうなるであろうか。宣伝を抜きにした実態はだいたい以下のようなものである。
こうして見てみると、ものみの塔協会は雑誌の誇大宣伝ならいざ知らず、厳密にはとうてい神の組織とは言い難い状況にあることがわかる。それでは、神の組織でなければサタンの組織ということになってしまうのかというと、どうもそうとは言い切れないようである。
だいたいどっちかに決めつけてしまうというのは、ものみの塔的一義的な発想であって現実的ではない。現実には、すべての組織がそうであるが、サタン的なところもあれば神にふさわしいところもある。どっちか一方というのは、よほど極端な組織でなければあり得ない。もちろんあるとすれば今のところは間違いなくサタンの方であるが。ものみの塔協会が神の組織に見えるという人はそういう部分しか見えないか、あるいは見ない人である。全面的にサタンの組織に見えるとすれば、それは偏見や先入観に基づいて眺めているせいであろう。
ものみの塔は神の組織か、それともサタンの組織か。そのどちらでもない。サタンと神が半々くらい、偽善的な幹部ほどサタンに近くなる。これが現実的かつ妥当な判定であろう。
ものみの塔協会の最後の切り札、都合が悪くなった場合の最後の逃げ道は「やがてエホバが正してくださる、それを待てない人は不信仰だ、僭越だ」である。
エホバがいつ?どのように?・・・それは誰にもわからない。すべてはエホバによることなのだから。神が定めの時にご意志にかなった方法で行ってくださるはずであるということになる。具体的な保証は何もない。
皆が忘れてくれればそのままうやむやにしてしまう。どうしても扱わなければならないものは、まず一生懸命理屈を考える。これで成員を納得させられる、あるいはごまかせるという有力なものが見つかると、ただちに「やはりエホバの組織です」という顔で堂々と行う。ちょっと弱いな、根拠薄弱だなというものは、皆の記憶が薄れた頃にさらりと変更してしまう。
現実にはものみの塔協会の対応のパターンはこの程度なのだが、エホバの証人はエホバの名を出されるとどうにも弱い。組織の中にいると幹部の“へ理屈”に簡単に瞞されてしまう。
よく考えてみるとコラとダビデの場合は全く違うのである。この相違はモーセとサウルの違いに基づいている。二人とも神の組織、イスラエルの指導者であるという立場は同じであった。ところが決定的に異なっていたのは、サウルは霊的な裁きを受けてすでに神から否とされていたのに対し、モーセは神の義認を得ていたという点である。このゆえに、サウルに対するダビデの離反、反逆は必ずしも神に対する反逆にはならなかったが、モーセに対するコラの反逆は神に対する反逆を意味するものとなったのである。
モーセの場合は、何らかの過ちや間違いを犯しても、神の義認を得ていたので全体としては神が導いていることになった。その過ちや間違いは神の義認を失うほどのものではなかった。したがって、イスラエルの民は問題があっても神が正してくださることを期待して待っていればよかったのである。
しかし、サウルの場合は事情が大いに異なっていた。彼は神の義認を失っていたので、その過ちや間違いは致命傷になった。やがてエホバが正して下さるのではないかと待ち続けていったらどうなったであろうか。おそらくサウルの家と共に滅んでしまったに違いない。組織と個人、何が神に対する忠節か、いずれの道が神への忠節になるのか、カギとなるのは神の義認である。エホバの霊的な裁き、聖霊の判決がどうなっているかがターニングポイントになる。
もう一度強調する。その組織が本当に神の義認を得ているなら、その中にとどまって神が行動されるのを待てばよい。しかし、そうでなければすべての努力はやがて徒労に終わる。神が癒し不能とみなしたものは、誰も癒せないからである。
カギとなるのはその組織のトップに対する神の霊的裁きである。その点から判断すると、ものみの塔協会はもはや癒し不能であることがわかる。日本支部は偽証を改めるどころか、ますます偽りの宣伝を流している。R・V・フランズ兄弟の経験に示されるように、この点では統治体も全く同罪である。しかも、彼らはこうしたことを意識的に行っているのである。全員が真相を知っているとは言えないが、組織体として知らないということは絶対にありえない。なぜなら、彼らはその点をはっきり指摘されており、それに対して偽りの宣伝で答え応じているからである。
統治体を初めとする幹部に対する神の義認が取り去られたことは、今回の事件によって法的にも実質的にも立証された。エホバの天の法廷が実際に機能しているのであれば、神の霊的な判決の影響は間もなく明らかになるはずである。
黙示録には極めて特異な一人の娼婦が登場してくる。彼女の名は秘義であって大いなるバビロンと呼ばれている。もちろんこの女は文字通りの女ではない。他のところでは大いなる都市とも呼ばれている。
神の前に大いなるバビロンの罪は非常に重い。ついに彼女の罪は天にまで達し、神により有罪の判決を受ける。その滅びは速やかに臨み、荒廃は徹底的なものとなる。復興することはもはや永久にない。神の民は大いなるバビロンと共に滅びることのないよう、急いでそこから出るよう勧められている。
聖書預言によると、大いなるバビロンは滅ぼされることに定められているので、その正体を見分けるのは非常に重要な問題であると言える。裁きの時が到来してからでは、遅くなってしまうからである。
そのためにはまず、大いなるバビロンの特徴をしっかりと押えておく必要がある。
黙示録17,18章に記されている記述から、大いなるバビロンの特徴、あるいは識別するためのポイントを整理してみると、だいたい次のようになる。
当然のことながら、ここにあげた特徴のすべてにかなうものが「大いなるバビロン」なのであって、一つか二つしか合わない組織であれば、大いなるバビロンとは断定し難い。すべての条件を満たしていない組織の場合は、どの程度バビロン的であるとかないとか言えるくらいなものであろう。大いなるバビロンであると断言するには、あくまでもこれらのすべての条件を満たすものでなければならない。
大いなるバビロンが何を表すかについては、数多くの解釈がなされている。その中の代表的なものを以下に上げてみる。
これらの様々な見解を整理すると、
というだいたい二つの考え方にまとめることができる。
前述の二つの見解が同時に成り立つことは、ほとんど百パーセント不可能である。なぜならキリスト教そのものとキリスト教に敵対する勢力が、全く同じものを表すということはあり得ないからである。1が正しければ2は間違いであり、2の方が正しければ1の方が間違っている。意味合いや視点を変えれば両方の解釈が可能であるというようなことはない。
この両者のどちらがより聖書にかなった見解であるかは、先にあげた「十の条件」と比較してみると明らかになる。
証拠は圧倒的に1の方に有利である。地の王たち同士で淫行を行うということも考えられなくはないが、大いなるバビロンは「地の王たち」と淫行を行うとはっきり述べられている以上、大いなるバビロンを地の王と同一視することには無理がある。2の解釈はまずこの基本的な条件に合わない。
もっとも、宗教と政治が一体となった古代イスラエルの時代であれば、王国同士の淫行が普通であろうが、エルサレムやローマが心霊術を多用して政治を行っていたという証拠はない。それにローマの場合は「情夫である王はいったい誰だったのか」という問題が残るし、エルサレムの場合は「全世界に大きな影響力を有するような都市ではなかった」という点がネックになる。古代のローマやエルサレムはすでに滅んでしまった。現在のローマもエルサレムも厳密な意味ではもはや宗教都市国家ではない。
加えて、黙示録は「主の到来の日」すなわちキリストの再臨に焦点をあてた預言書であるとされている。古代のローマやエルサレムを主な対象として記された書ではない。大いなるバビロンを乗せた野獣は、大いなるバビロンを倒したあとイエス・キリストと戦って滅ぼされることになっている。それが生じるのはキリストの再臨の時なので、大いなるバビロンの最終的な実態は「キリストの再臨」の時に示されるはずである。この点も2の解釈とは合わない。
やはり妥当なのは1の解釈であろう。これならだいたい黙示録の描写全体に当てはまる。もちろん9と10はまだ生じていないので確定できないが、十の条件とも矛盾する点はない。
したがって、大いなるバビロンとは、一言でいえば、「偽りの宗教全体」ということになろうか。
ものみの塔協会の解釈も基本的には先にあげた1の解釈と同類のものである。しかし、強烈なのは、身勝手というべきかもしれないが、その適用である。大いなるバビロンの定義は次のようになっている。
「唯一まことの神エホバの真の崇拝と一致しない教えや慣行をもつ宗教すべてを包含する、偽りの宗教の世界帝国をいう。キリスト教世界は同帝国の最も有力な部分であり、偽りの宗教はサタンの組織の一つの重要な部分となっている。」(「論じる」p.112、「救い」p.234、「楽園」p.209)
キリスト教世界を一括して大いなるバビロンとするのは事実と一致しないが、この定義そのものは必ずしも全部間違っているというわけではない。「偽りの宗教の世界帝国」というとらえ方は、大いなるバビロンの本質をつかんだものであると言える。しかし、問題となるのは、組織レベルでの実際の適用である。
ものみの塔協会は同時に、唯一まことの神エホバの真の崇拝を押し進めているのはエホバの証人だけ、他の宗教はみな間違った教理を奉じていると教えている。つまり、実際に主張していることは、自分たち以外はすべて大いなるバビロンだということである。言い換えれば、神の裁きを生き残るのは自分たちだけで、他の宗教は全部滅びてしまうというわけである。
ものみの塔協会のこの教義、冷静に考えると極めて独善的かつ一方的な教義だとの感を深くするが、この教えが成り立つには、少なくとも二つの条件が必要になる。その条件が満たされないのであれば、この教えは完全に否定されたことになる。
その二つの条件とは
さて、事実はどうであろうか。結論からいえば、この二つの条件とも絶対に成立しないと断言できる。ものみの塔協会自体、単に大いなるバビロンの大合唱を繰り返すだけで、少しも実のある証明はしていない。おそらくこの立証は今後とも永久に不可能であろう。
様々な宗教組織を調査して見ると明らかなように、ものみの塔協会のいうほど現実は単純ではない。それほど簡単に大いなるバビロンかそうでないか、はっきりした色分けができるわけではない。たいていの組織はバビロン的なところもあれば、そうでないところもある。ものみの塔協会も決して例外ではなく、厳密に調べるとかなりバビロン的な要素が濃い。最近は特にその傾向が顕著になってきているように思われる。
さらに組織と個人という問題もある。ものみの塔協会は他の宗教組織に属していれば、個人がどうあろうが皆大いなるバビロン一色で見てしまう。これは実に理不尽で非聖書的な見方である。
第一神殿時代のエルサレムは背教した都市として、数多くの預言者から糾弾されている。確かに組織体としては、大いなるバビロンの一部といえるような状態にあった。それでは神はその中に住む人を皆ことごとく背教者とみなしたのであろうか。聖書を読むとわかるように、決してそのようなことはなかった。神は組織は組織、個人は個人として評価し、扱っているのである。
よく大いなるバビロンの代名詞のようにいわれるカトリック教会であるが、なるほど単一の宗教組織として黙示録の描写にもっともよく合うのは確かにローマ・カトリック教会であろう。バチカンという都市を擁し、膨大な富を蓄積している。その財宝は値段がつけられないほどであるという。中世ヨーロッパの歴史をひもとくまでもなく、カトリックの歴史は政治的な色彩に色濃く縁取られている。加えて十字軍戦争、三十年戦争、ナントの大量虐殺、異端審問、魔女裁判等々流血の罪にも事欠かない。
しかし、そうだからといってカトリック教徒がすべてバビロン的かというと、現実は決してそうではない。中にはものみの塔協会の幹部などより、よほどバビロン的でない立派な人もたくさんいるのである。献身的な生涯を全うしたクリスチャンも決して少なくない。
ものみの塔協会は1919年以来大いなるバビロンから出てきたと、事あるごとに宣伝している。この年は清い国民の誕生の年ということになっており、以来バビロン的な要素は組織から一掃されてきましたと主張しているのであるが・・・。はたして本当にそうであろうか。
大いなるバビロンの特徴をものみの塔協会にあてはめてみると次のようになる。
確かに、ものみの塔協会は戦争に行って文字通り人を殺したりすることはないが、今回広島町で起きた大量排斥事件を始め、組織の都合で裁きを曲げた事例はかなりの数に上る。ものみの塔協会自身が教えてきたとおり、霊的にはそれらはすべて流血の罪、宗教上の殺人になる。
もう一つ問題となるのは輸血拒否の教義であろう。この教義が神の是認を得るため、絶対に必要なものであるのなら話は別だが、そうでなければ(不可欠なものでないことは後の章で論証する)輸血を拒否して死んだ人々の血に対する責任は、すべてものみの塔協会の上に降りかかる。
ものみの塔協会は、外部に対しては自分たちは清い民であり、すでに霊的パラダイスを楽しんでいると宣伝してきたが、内部の実態はそれとは大幅に異なっている。
笑顔で表面を上手に取り繕いながら、心の中はねたみやそねみの精神に満ちている人。組織の権威をかさに平気でウソをつく協会の幹部たち。うわさ話が好きで、陰口、悪口、中傷を言い歩く特権好きの姉妹たち。こういう状態を放置しておいて霊的パラダイスなどとはとんでもない話である。
大いなるバビロンが悪霊的な宗教だとするなら、ものみの塔協会も十分その資格にかなっている。汚れた精神とは悪霊的な精神に他ならないからである。
「しかし、あなた方が心の中に苦々しいねたみや闘争心を抱いているなら、真理に逆らって自慢したり偽ったりしてはなりません。それは上から下る知恵ではなく、地的、動物的、悪霊的なものです。ねたみや闘争心のあることろには、無秩序やあらゆるいとうべきものがあるからです。」(ヤコブ3:14〜16 新世界訳)
大いなるバビロンを一言で表現すると、“偽りの宗教”ということであった。ものみの塔協会がいかに偽善的かは、今回の事件で完全に立証された。新世界訳聖書にも教義にも偽りがあり、この点では疑問の余地なく大いなるバビロンの一部であるといえる。
ものみの塔協会は、他の宗教組織すべてを大いなるバビロンと決めつけ、自分たちだけが真の崇拝を行っている唯一の組織であると主張してきた。偽宗教のバビロン的な世界帝国の滅びを生き残るのは自分たちだけなので、生き残りたいと願う人はものみの塔協会の管理下に入らねばならないと教えてきた。しかし、今まで検討してきたように、幾つかの点を除いては、ものみの塔協会も大いなるバビロンの特徴を十分に満たしていることがわかる。しかも、バビロン的な要素は次第に増えつつある。
皮肉なことに事態は今や、ものみの塔協会の主張とは全く逆になっている。神の裁きを生き残りたいと願う人は、ものみの塔に入らねばならないどころか、そこから出なければならなくなっている。組織の中に留まっていてはむしろ危ないのである。ものみの塔が“偽りの塔”であることが明らかになった今、神の民は速やかにそこから出るべきであろう。
今後いつの日か、ものみの塔協会が大いなるバビロンの教義を改正することがあり得るだろうか。おそらくはそれはないものと思われる。論理的には疑問の余地なく否定されたとしても、ものみの塔協会がこの教義を放棄することは考えにくい。会員を増やし、教勢を拡大することを至上命令としている以上、たとえその排他性、絶対性を強化することはあっても、捨て去ることはまず考えられない。というのも、ものみの塔協会のような体質の組織は、そのような教義を採用しなければ、その組織に入るべきあるいは留まるべき必然性がなくなってしまうからである。
エホバの証人は「1914年に終わりの時が始まった、キリストの臨在は1914年に開始された」と固く信じている。この教えは「神の組織、思慮深い奴隷級」の教義と並んで、ものみの塔協会の最も重要な柱となっている。エホバの証人が終わりは近いと強調する最大の根拠は、1914年ーキリスト臨在説である。
この1914年という年を初めて提唱したのは、ものみの塔協会の初代会長、C・T・ラッセルであった。それは約百年以上も前のことで、「1976年エホバの証人の年鑑」には次のように記されている。
「C・T・ラッセルは、『異邦人の時;それはいつ終わるか』と題する記事を書きました。それは1876年10月号の『バイブル・イグザミナー』誌に掲載されました。その中でラッセルは『七つの時は西暦1914年に終わるであろう』と述べています。」(p.37)
彼はこの1914年という年をどのようにして算出したのであろうか。計算の根拠にしたのは、ダニエル4章でネブカデネザルに成就した「七つの時」とルカ21章24節でキリストが預言した「異邦人の時」であった。「七つの時」と「異邦人の時」を結びつけ、それが同じ期間を指していると考えたのが、彼の新しい閃きだったのである。
そして、ユダ王国が滅び神の民の統治が終わった年を紀元前607年とみなして、「七つの時」を次のように計算した。
聖書の月と年は、陰暦です。ネブカデネザルの場合、ひとつの「時」は陰暦の一年を表わしました。その一年は三百六十日です。・・・長い期間については、一日は一年を表わすと神は言われました。このことから、三百六十日の陰暦の一年は、「一日を一年として」三百六十年を表わします。(民数14:34、エゼキエル4:6)それで、象徴的なひとつの「時」は三百六十年ということになります。象徴的に言われる七つの「時」は二千五百二十年になります。ネブカデネザルが正気を失っていた「七つの時」すなわち七年は、二千五百二十年の期間を予表しました。聖書の示すところによると、この「七つの時」すねわち二千五百二十年は西暦六0七年の初秋に始まりました。すると、「諸国民の定められた時」は(西暦)一九一四年の初秋に終わります。(「御心が地になるように」p.100,101)
2520−607=1913になるが、紀元0年はないので1をたす。そうすると1914年がでてくる。
C・T・ラッセルが異邦人の時の計算に用いた紀元前607年という年代は、一般の歴史年代とは大幅に異なっている。新バビロニア軍によるエルサレム攻略の年は、普通BC607年ではなく、BC586年(あるいは587年)とされており、ラッセルの用いた年代とは約20年のずれがある。
この食い違いを説明した最新の資料は、1981年に発行された「あなたの王国が来ますように」という本である。その本の最後の「14章の付録」というところで、この問題が扱われている。
論旨を一言でいえば「私たちは、一般の考古学や歴史学の提唱する年代よりも、聖書預言の方を重視します」ということである。
新バビロニア年代表によれば、エルサレム滅亡の年は間違いなく紀元前586年になるが、この年代は絶対的なものではない。確かに、この年代を支持する資料には、プトレマイオス王名表、ナボニドスのハラン石柱、VAT4956:楔形文字の粘土板、商業用粘土板などがあるが、しかし、いずれも聖書預言に基づく年代を超えるほどのものではない。
エレミヤは、エルサレムが荒廃する期間は「70年」であるとはっきり述べている。この70年という期間は文字通りの期間であって、正確な数字と考えることができる。バビロンがペルシャのクロスの手に落ちたのは、紀元前539年、クロスの布告が出てイスラエル人がエルサレムに帰還したのが紀元前537年、そこから70年をさかのぼると紀元前607年になる。(エホバの証人は、BC539年は絶対日付になると教えられている)
以上がものみの塔協会の主張する論旨であるが、おそらくこの問題はもっと決定的な証拠でも出てこない限りは、断定的なことは言えないのではないかと思う。現時点では、結局のところ、どちらを信用するかという問題になりそうである。「考古学上の明白な証拠を無視するのですか」というのと、「あなたは聖書預言を信じないのですか」というのと、はたしてどちらに説得力があるだろうか。
七つの時と異邦人の時を同一の期間とするラッセルの解釈に対しては、様々な批判がなされてきた。中でも論議の的になったのがダニエル4章の解釈である。
ダニエルはネブカデネザルが見た「巨大な木の夢」を次のように解説している。
「さて、王様、それを解釈いたしましょう。これはいと高き神の命令で、わたしの主君、王様に起こることです。あなたは人間の社会から追放されて野の獣と共に住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれ、こうして七つの時を過ごすでしょう。そうして、あなたはついに、いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままにそれをだれにでも与えられるのだということを悟るでしょう。その木の切り株と根を残すように命じられているので、天こそまことの支配者であると悟れば、王国はあなたに返されます。王様、どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう。」
(ダニエル4:21−24 新共同訳)
このダニエルの解き明かしを読んでみると明らかなように、「七つの時」とはネブカデネザルが神によって王位を追われる期間、彼が狂人のようになって野をさ迷う期間であることがわかる。それ以外の意味があるとは説明されていない。「異邦人の時」を示唆するようなことはどこにも述べられていないのである。
また、イエス・キリストが「異邦人の時」について預言したときも、「七つの時」と関連するようなことは、何も語っておられない。ダニエル4章の幻を匂わせるようなことは、一言も話されなかったのである。つまり、「七つの時」と「異邦人の時」の双方を結びつける直接の記述は、聖書のどこにもないということである。したがって、当然のことながら、次のような批判が起きてくる。
ダニエルもキリストも何も語っていないのに、どうして「七つの時」と「異邦人の時」を結びつけるのか。そのように解釈できる聖書的な根拠はどこにもないではないか。
1914年の教理が極めて重要なせいであろう。ものみの塔協会もこうした批判に対し、それなりの反論を試みてきた。なぜ「異邦人の時」と「七つの時」を同じ期間と考えることができるのか、少々苦しいがその理由として主に次の二点をあげている。
さて、ものみの塔協会のこの反論はいったいどの程度のものであろうか。はたして、批判に十分答えるほどの正当な根拠となりうるであろうか。どうも詳しく検討してみると、何とも弱い、根拠薄弱、苦しい理屈であると言わざるを得ないようである。
まず1の点であるが、これはダニエル書を全部読んでみればそれではっきりする。確かにダニエル書が全体として「終わりの日」に焦点を当てているのは事実であるが、しかし、すべての幻や啓示がそうだというわけではない。例えば、5章の「壁に記された奇跡的な文字」などはその一つになる。
結局、4章の「巨大な木の夢」がどちらになるかは主観の問題といえよう。ただ、ダニエル書の他のところは「終わりの時」に関係があればはっきりそのように書かれているのに、4章には一言も出てこない。何も述べられていないことを論証しようというのは大変難しいことである。その方が不利なのは言うまでもない。
次に2の点であるが、これもやはり単に視点の問題にすぎない。ネブカデネザルは正気を失い動物のようになってしまったわけだから、そういう意味では「最も立場の低い者」ということができた。神は彼を再び王位に戻し、結果としてネブカデネザルは神を至高者と讃えることになった。当時の世界支配者が神の主権を、その至上権を確かに認めたのである。そうであれば「主権は誰にあるのか、それを疑問の余地なく明らかにするという」この幻の目的は、十分達成されたといえるであろう。
むしろ、幻の目的の達成という点では、七つの時が終了したとされる1914年の方がはるかに弱い。というのは神の至上権を立証するような出来事は、1914年には何も生じなかったからである。
結論として言えることは、「異邦人の時」と「七つの時」を結びつける正当な聖書的根拠は何もないということである。そう考えたいのであればそれはそれで自由だという程度にすぎない。
預言の解釈というのは、現実にその通りのことが起きて初めて正しい解釈といえる。すべての点でそうならなければ、結局その解釈は間違っていたということになる。したがって、ラッセルの解釈が正しかったのか、それとも間違っていたのかその最終的な証明は、本当に1914年に異邦人の時が終了したといえるような出来事が生じたのか、それともそうではなかったのかによって確かめられることになる。
1877年、C・T・ラッセルはN・H・バーバーとの共同出版で「三つの世界およびこの世界の収穫」と題する本を著し、イエス・キリストの目に見えない臨在と三年半の収穫をもって始まる40年の期間は1874年の秋から数えられるという見解を発表した。
現在と違いこの当時は、1874年からキリストの再臨が始まり、40年の終わりの時を経て1914年にハルマゲドンが起きると考えられていた。異邦人の時が終了する1914年には、戦争が起こり、革命または無政府状態へと事態が進展する。そして油注がれ、聖別されたクリスチャンは天に上げられると期待されていたのである。
1914年についてラッセルは、
ということを予言していたわけである。
この音信に引き寄せられ、次第に多くの人々がものみの塔協会に集まってくるようになった。拡大は続き、組織としてはかなりの成功をおさめたと言えるまでになった。「1914年ーハルマゲドン」はものみの塔協会の合言葉のようになったのである。
しかし、1914年が近づくにつれて、C・T・ラッセルは予言が外れた場合のことを懸念するようになったらしい。徐々にトーンダウンするような発言が多くなった。
例えば、1912年12/1号のものみの塔誌には次のような記述が載せられている。
「最後に、わたしたちは、1914年10月とか1915年10月、あるいは他の何らかの日付までではなく、『死に至るまで』捧げた[献身した]ことを記憶しましょう。わたしたちが預言の計算を間違うことをなんらかの理由で主が許されたとしても、時代のしるしからして、その間違いが大きいものであり得ないことを確信できます」
さらに、1914年1/1号のものみの塔誌では、
「わたしたちは、時に関する事柄を教理的な事柄と同様の絶対的な確実さを付して読まないでしょう。なぜなら、聖書の中で、時は基本的な教理ほど明確に述べられていないからです。わたしたちは今なお見えるところによってではなく信仰によって歩いています。しかし、不忠実また不信仰なのではなく、忠実を保って待っているのです。もし、教会が1914年10月までに栄化されないことが後日はっきりしたなら、わたしたちは、主のご意志がどのようなものであれ、それに満足するように努めるでしょう。」 と語ったと伝えられている。(下線はものみの塔協会)
(「1976エホバの証人の年鑑」p.74より)
1914年についての予言が当たるかどうか絶対的な確信はなかったということであろう。
またある時ラッセルは、私は個人として何らかの予言をしたのではない、単に聖書の預言を解釈したにすぎない、それを信じるかどうかは読者の判断に任せる、というような主旨のことまで述べている。極論すると、1914年を信じて騒ぐのはあなたがたの勝手であって私のせいではない、ということになってしまう。
これを巧妙な事前の責任逃れ、責任転嫁と受け取るか、それとも実に率直で正直な態度であるとみなすかは評価が分かれると思うが、常識的には、期待を抱かせて人々を集めている以上無責任だということになろう。何やらその後のものみの塔協会の対応を予示させるような発言ではある。
しかし、ラッセルのこうした事前の努力にもかかわらず、1914年が近づくにつれ人々の中には天へ行くという期待が高まっていった。「1976年エホバの証人の年鑑」は当時の状況について次のように記している。
ある聖書研究者は、1914年に天へ行くという考えを強く持っていました。ドワイト・T・ケンヨン姉妹はこう語っています。
「わたしたちが考えていたのは、戦争が革命へ、また無政府状態へと進展し、当時油そそがれていた、つまり聖別されていた人々はその時に死んで栄化されるだろうということでした。ある晩、わたしはエクレシア(会衆)全体が汽車に乗ってどこかに行く夢を見ました。雷といな光がすると、たちまち仲間の人たちがあたり一面死に始めたのです。わたしは、それがごく当然だと思って死のうとしましたが死ねませんでした。それにはほんとうにあわててしまいました。それから突然わたしは死んで、大きな解放感と満足感を味わいました。この古い世に関する限り、万事がまもなく終わろうとしていること、また、『小さな群れ』の残りの者が栄化されようとしていることを、わたしたちがどれほど確信していたかは、これでおわかり頂けると思います。」
「1914年のサトラガ・スプリングス大会での出来事は、その年に天へ『帰還する』というマクミラン兄弟の考えを特に際立たせました。兄弟は次のように書いています。『わたしは、水曜日(9月30日)に、「万物の終わりが近づきました。冷静にし油断なく見張り、祈りなさい」という題の講演をするように頼まれました。ところで、それは、いわばわたしの得意とするところでした。わたし自身そのこと、つまり教会は10月に「帰還する」ということを心から信じていました。その話の中で、わたしは、『わたしたちはまもなく帰還するのですから、おそらく、これがわたしの最後の講演になるでしょう』というふさわしからぬことを言ってしまいました」(p.72,73)
人々が1914年にいかに大きな期待を寄せていたかが理解できる。ラッセルは別に予言したわけではないと語ったが、大多数の人はそうは受け取らなかったのである。
やがて待望の1914年がやって来た。異邦人の時に関するラッセルの予言(本人によれば聖書解釈)はどうなったであろうか。
おそらく最近エホバの証人になった人は皆、ラッセルの予言は成就したと信じているはずである。ものみの塔協会は、「1914年に気を付けろ!それが町々を行く聖書文書頒布者たちの合言葉であった。この預言は異例の成就をみた。神はラッセル兄弟に異邦人の時が1914年に終わることを四十年以上も前に啓示されたのです」という具合に宣伝しているからである。
しかし、これは物事のほんの一面にすぎず、真実は大幅に異なっている。確かに第一次世界大戦という大規模な戦争は起きた。そういう意味では、ものみの塔協会の宣伝通り、予言は成就したと言えないこともない。
だが、ラッセルは第一次世界大戦が起きるという主旨の予言をしていたのではない。彼のメッセージの中心は、あくまでも当時の聖書研究者(エホバの証人はかつてそのように呼ばれていた)たちが期待していたように、ハルマゲドンと昇天からなっていたのである。
人々が最も期待した事柄は何一つ生じなかった。この世が終わることもなければ、会衆が天に迎えられることもなかった。1916年の暮れにはC・T・ラッセルが死亡し、1918年には第一次世界大戦が終了してしまう。ハルマゲドンが来ないことは決定的になり、失望した人々は組織から離れていった。予言が本等に当たっていたのであればこういうことはないはずで、結局は成就しなかったと受け取られたことを意味している。ラッセルの予言は外れたのである。
人々の天に上げられるということへの期待は相当根強いものであったらしく、「1976年エホバの証人の年鑑」には1914年から5年経った1919年当時も依然として天への「帰還」が大きな関心事となっていたことが記されている。組織を存続させるためには、ラッセルの預言の解釈をどうしても修正せざるを得なくなった。
C・T・ラッセルのあとを継いで二代目の会長となったJ・F・ラザフォードは、ものみの塔協会史上最大の危機となったこの難題に積極的に取り組んだ。その努力は1922年、シーダーポイントで開かれた二回目の大会で結実する。歴史的な日となった9月8日、金曜日の講演の中で彼は次のように述べている。
「・・・1914年以来、栄光の王はその力を執って統治しておられます。彼は神殿級の口びるを清め、彼らに音信を携えさせて遣わしておられます。王国の音信の重要性はどれほど強調してもし過ぎではありません。それは音信の中の音信です。また、現代の音信であり、それを宣明するのは主に属する人々の義務です。天の王国は近づいています。王は統治しておられ、サタンの帝国は倒れようとしています。現存する万民は決して死ぬことはありません」(「1976年エホバの証人の年鑑」p.131)
1914年に異邦人の時は終わり、キリストは王位についた。すでに神の王国は天において支配を開始している、信仰の篤い霊的な目をもつ人々はそれを理解することができるはずだというわけである。
そして講演は次のように結ばれている。「ADV(advertise,宣伝する)」で知られるラザフォードのこの言葉は、ものみの塔協会が最も好んで引用しているものである。
「音信を遠く広く述べ伝えなさい。世界は、エホバが神であり、イエス・キリストが王の王、主の主であることを知らねばなりません。今日こそ、あらゆる時代のうちで最も重大な日です。ご覧なさい、王は統治しておられます!あなたがたは王のことを広く伝える代理者です。それゆえに、王とその王国を宣伝し、宣伝し、宣伝しなさい。」(「1976年エホバの証人の年鑑」p.132)
成就を地上から天に置き換えるというこの解決の仕方は、ものみの塔協会が初めて用いた方法ではない。
再臨派の代表的な人物として知られるウィリアム・ミラーは、ダニエル8章の研究から預言的な「2300日」が1844年に終了するとの結論に達した。その年にキリストは再臨し、地上を清めると彼は考えたのである。しかし、人々の期待に反しキリストは再臨しなかった。預言は外れたのである。
これはどのように修正されたであろうか。E・G・ホワイト著「各時代の大闘争 下」(p.137)には次のように記されている。
「こうして、預言の言葉の光に従った者たちは、キリストは、二千三百日が一八四四年に終了した時に、この地上に来られるのではなくて、再臨に備えて贖いの最後の働きをするために、天の聖所の至聖所に入られたのだということを知った。」
成就を天にしてしまえばもはや誰も確かめようがなくなる。成員にはなんとなくモヤモヤした気持ちが残ると思うが、やがて時がそれを解決してくれる。期待感を失わせないようにして、エネルギーを別の方向に向けてしまえばそれで何とかおさまる。ものみの塔協会が採用したのはまさにこのパターンであった。
1914年にハルマゲドンは来なかったが大患難は始まった。そうであればハルマゲドンは間近に迫っているはずである。大いなるヨベルになるであろう1925年は、1914年よりも可能性が高いかもしれない。最終的な終わりは非常に近づいている。しかし、ハルマゲドンが来る前に、全地にキリストの王国の支配を告げ知らせるという神のご意志がまだ残っている。それを果たさないうちはハルマゲドンも来ない。前途にはまだ膨大な業が残っている。
ラザフォードはそのことを強調して人々の関心とエネルギーを伝道に向けさせた。こうしてエホバの証人を特徴づけるようになった熱心な伝道活動が世界中で展開されるようになったのである。
その後さらに調整が加えられた。1914年から終わりの日という「一つの時代」が始まり、キリストは目に見えない様でその時からずっと臨在しているが、大患難は1914年に始まったのではない。それは終わりの日の最終部分に生じる出来事である。ハルマゲドンは大患難の頂点をなす。油注がれ、聖別された人々の復活は1918年から始まっている。・・・・etc.
C・T・ラッセルの預言は外れ、その解釈は間違いであることが明らかになった。では、調整を加えたものみの塔協会の「1914年ーキリスト臨在説」はどうであろうか。
イエス・キリストは再臨と終わりの日のしるしについて弟子たちに尋ねられたとき、しるしの一部として異邦人の時に関する次のような預言を語られた。
「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」(ルカ21:24 新共同訳)
終わりの時は本当に1914年に始まったのか、キリストの王国はそのとき確かに支配を開始したのか、この点で一つのカギとなるのは「異邦人の時」の持つ意味である。異邦人の時をどう位置付けるかということが、判断のポイントになる。
この預言から確実に言えることは「異邦人の時」とは「エルサレムが異教の民に踏み荒らされる、つまり、異教徒に支配される期間だ」ということである。したがって当然のことながら、異邦人の時が終了すればエルサレムは回復されることになる。こうした異邦人の時の意味そのものについてほとんどの聖書注解者の意見は一致している。しかし、エルサレムを文字通りの都市と考えるかそれとも象徴的な意味にとらえるか、エルサレムが踏みにじられ始めた年を何年とするか、異邦人をどう規定するかなどによってその見解は分かれてくる。
以下に幾つかの代表的な解釈をあげる。
「異邦人のこの世の権力が支配する全期間のこと、エルサレムは紀元前1000年にダビデが統治し始めてから、わずか400年間だけ独立国家の都としてのつとめを果たしたが、BC586のバビロン捕囚以来ほとんどの期間、異邦人の支配下に置かれてきたのである」(「ウェスレアン聖書注解」)
「バビロンから始まる四つの大帝国が、イスラエルに対する異邦人の支配の時代を形成する。その全期間が異邦人の時。キリストの地上への再臨によって異邦人の時が完成する。」(「主要教理」)
「異邦人がエルサレムを占拠している期間」(啓示11:2)
「異邦人が神の王国に入る機会を許される期間」(マルコ13:10,ローマ11:25)(「新聖書注解」)
「ネブカデネザルによるエルサレムの最初の滅亡から千年紀の初めの最後の回復までの期間」(「再臨」ルネ・パーシュ著p.163)
少々変わっているのは「新聖書注解」の後者の方の説明である。これは「異邦人の時」を霊的な意味に解釈し、「異邦人の時」を異邦人のための期間、異邦人にとっての恵みの期間と考えるということであろう。ただ、実質的には、表現の視点が異なるだけでそれほど変わりはない。
エルサレムを中東にある実際の都市と考えるにしても、あるいは天のエルサレムや神の支配の象徴と見なすとしても、「異邦人の時」がエルサレムを踏みにじることによって始まり、エルサレムの復興によって終わることに変わりはない。「異邦人の時」を見分ける基本的な特徴はすべての解釈においてまったく同じである。
文字通りのエルサレムだとすればどうなるであろうか。「異邦人の時」の始まりは、第一次神殿崩壊のBC607年(一般の歴史はBC586年)か、あるいはローマ軍がエルサレムを滅ぼしたAD70年ということになろう。そして終了したのがAD1948年に始まった現代のエルサレム再建以降ということになる。
ただし、この解釈には一つの問題がある。それは滅ぼされた時のエルサレムは(第一神殿崩壊の時)確かに神の都であったが、律法契約が廃されて神の義認がキリスト教に移ってからは、エルサレムには初めの時と同じような宗教的意義はなくなってしまったという点である。それでも、神は憐れみ深いのでイスラエルは引き続き神の民であると考える人もいるとは思うが、しかし基本的には、イスラエルの首都、現在のエルサレムは大多数のキリスト教徒にとってはもはや神の王国の首府ではない。それに将来、仮にキリストが今のエルサレムに再臨したとしても、はたしてそれだけでユダヤ教国家のイスラエルが簡単にキリスト教に改宗するものであろうか。宗教の本質を考えると現実的には非常に可能性の薄い話に思える。
こういう観点からすると、エルサレムを文字通りに取るよりも「神の主権の象徴」と考える象徴的な解釈の方が、聖書全体には調和しているのではないかと思える。
さて、問題のものみの塔協会の解釈であるが、第一次大戦後の見解修正以来、ものみの塔協会はエルサレムも異邦人も字義通りではなく、象徴的な意味に理解する立場を取ってきた。「異邦人の時」に関するものみの塔協会の典型的な説明は次のようなものである。
「二千五百二十年にわたる『七つの時』が終わったので、そのような御国の荒廃とその象徴的な首都の踏みつけも終わりました。どのように?ダビデ王と結ばれた御国契約にしたがい、神の国を再び設立することによります。この世の諸国家が、その神の御国を踏みつけることはもはやできません。」(「御心が地に成るように」p.102)
「西暦1914年の初秋に異邦諸国民がメシアの王権を踏みにじることが終わり、地上のエルサレムにではなく、今やダビデ王の主であるみ子がエホバ神の右に座している天で、メシアの王国が誕生することを意味していました。」(「とこしえの目的」p.177)
神の王国、キリストの王国は天の王国なので、キリストが天のエルサレムで王位に就くというのは別におかしなことではない。「異邦人の時」が終了すれば当然メシアの王国は天で誕生するはずである。問題なのは「異邦人の時」を天で終了させて、それで終わりにしてしまったことである。
そもそも「異邦人の時」とは「地上」を異邦諸国民が自由に支配する期間のことであって、「天」を踏みにじる期間のことではない。地上の人間は天を支配することなどできないわけだから、これは当然のことである。天からすれば、地上における「異邦人の時」を認めるか認めないかということだけであって、文字通りの「異邦人の時」など天にはあり得ない。もし本当に「異邦人の時」が終わったのであれば、「地上」で神の王国の支配が始まるはずである。
したがって、BC607年に「異邦人の時」が始まったというのはまだよいとしても、1914年に「異邦人の時」が終了したとするのは百パーセント成立しない教義だといえる。1914年には第一次世界大戦以外には何もなかった。異邦人は引き続き自由に地球を支配している。キリストが支配している現実の証拠は世界のどこにもない。
こういう点を指摘すると、教理にあまり詳しくない人には、キリストの支配を霊的な支配にすり替えてごまかそうとするかもしれない。おそらく、全世界で王国の良いたよりが宣べ伝えられているとか、エホバの証人の数が世界中で増加していることなどを根拠としてあげるに違いない。
しかし、そうした事柄は異邦人の時終了の根拠にはならない。霊的な支配であれば何も1914年を持ち出す必要はないからである。1914年よりはるか前、すでに西暦一世紀のペンテコステから、キリストの霊的な王国は支配を開始している。世界的な伝道や信者の増加はその時から生じていることである。加えて、伝道や信者数の増加は必ずしもキリストの「政治的な支配」の結果生じる特徴ではない。
あらゆる意味で、1914年に「異邦人の時」は終了していないと断言できるのである。
それでは、地上ではまだであっても、天においては「異邦人の時」が終わったというようなことがありうるだろうか。ものみの塔協会がどうこじつけようとも、そういうことは絶対にあり得ない。「異邦人の時」とは、あくまでも地上に関する期間である。天が終了したとみなしたのであれば、地上でキリストが支配を開始するはずである。キリストの支配がまだ地上で始まっていないということは、「異邦人の時」が1914年に終了したとするものみの塔協会の見解が間違っていることの絶対的な証拠にほかならない。
そういう意味ではC・T・ラッセルの「異邦人の時」に対する考え方は正しかったといえる。もっとも1914年に終了するというのは間違ってはいたが。ラザフォードは1914年を残そうとして、「異邦人の時」の本来の意味を捨ててしまった。「天」はそのための苦肉の策に過ぎない。当時としては、組織存続のため仕方のないことであったとは思うが。
1914年に「異邦人の時」は終了したーこの解釈の致命的な欠陥は、地上の期間であるべき「異邦人の時」を天に置き換えてしまったことである。
おそらく「1914年ーキリスト臨在、終わりの日開始」説の最後の砦は、終わりの日のしるしが1914年以来成就しているという論議であろう。統計の取り方の問題はあるかもしれないが、大旨ものみの塔協会の指摘は間違ってはいない。確かに、世界大戦、疫病、地震、飢饉、天変地異、不法の増大、偽キリストや偽預言者の出現、世界的な伝道などのしるしはこの二十世紀に顕著に現れている。
しかし、これらのしるしが現れてきているからといって、単純に終わりの日に入ったと結論することはできない。というのは、聖書的にこれらのしるしをどう位置付けるかという問題が残っているからである。ものみの塔協会のように「すでに終わりの日に入ったしるし」と考えるのか、それとも「終わりの日が近づいているしるし」と解釈するのかによって、しるしの意味はかなり異なってくる。
マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章に記されているキリストの預言と調和するのはどちらの方であろうか。全体の主旨を検討してみると明らかなように正しいのは後者の方である。
キリストは繰り返し、「これらのしるしが現れても終わりはまだである、終わりはすぐには来ない、それはキリストが“すでに到来した”しるしではなく“近づいている”しるしである」と語っている。
ものみの塔協会のようにしるしを見てすぐに騒ぐのは、キリストの主旨、キリストの警告に反している。落ち着いてキリストの再臨を待つようにと教え諭すのが、あるべき姿であろう。
それともう一つ、黙示録6章の封印と関連の問題がある。もし、福音書の戦争のしるしが、黙示録6章の第一の封印と対応するものであるならば(その可能性はきわめて高い、ものみの塔協会もそういう見解である)、福音書のしるしは「まだ成就していない」と言えるのである。それらのしるしは、70年や80年のような長い期間ではなく、もっとコンパクトな短い期間の内に、集中的に成就すると考えられるのである。
封印は第七まである。黙示録を読むとわかるように、七番目の封印がラッパにつながり、第七のラッパが七つの鉢を明らかにするという構成になっている。第七の封印には七つのラッパと七つの鉢のすべてが含まれている。この点が一つのポイントになる。
さて、簡潔にまとめると、ものみの塔協会の封印の解釈は次のようになっている。
イエス・キリストは1914年に天で王位についた。白馬の騎士に冠が与えられたのはそのことを示している。続いて、この封印の通りのことが生じた。第一次世界大戦、飢饉、スペイン風邪・・・・しるしの成就は現在も続いている。あとは大患難、ハルマゲドンの到来を待つのみである。
ものみの塔協会は以上のように説明してるわけだが、この解釈には次のような難点がある。
(2)と(4)については、今までコメントがなされたことはない。ものみの塔協会がまだ説明を試みたことのないポイントである。残りについては公式、非公式を含めると、だいたい次のようになる。
教義に詳しいエホバの証人はそれでも、テロスとシンテレイアを持ち出してくるかもしれない。ものみの塔協会は「終わり」を意味するギリシャ語シンテレイアとテロスの違いをあげて、この二つの語の相違を基に、終わりの日が一世代の長さを持つ期間であるとする論議を組んでいる。
イエス・キリストが終わりの日のしるしについて語った有名な預言は、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書の中に記されている。その中では確かにこの二つの語が用いられている。
次にあげる聖句はマタイ24章からの引用である。
- 3. [イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ、弟子たちが自分たちだけで近づいて来て、こう言った。「わたしたちにお話ください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、あなたの臨在と事物の体制の終結(シンテレイア)のしるしには何がありますか」。
- 6. あなた方は戦争のこと、また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わり(テロス)はまだなのです。
- 13. しかし、終わり(テロス)まで耐え忍んだ人が救われる者です。
- 14. そして、王国のこの良いたよりは、あらゆる国民に対する証しのために、人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わり(テロス)が来るのです。
(新世界訳)
3節の「終わり」は「シンテレイア」そのほかの「終わり」は「テロス」になっている。
これらの語にはどのような相違があるのだろうか。ものみの塔誌1981年12/1号はその23ページで、シンテレイアとテロスについて次のように説明している。
W・E・バインの『新約聖書用語解説辞典』には、シンテレイアの説明として「この語は終末を示すものではなく、物事が定められた頂点へと向かって行くことを示す」と述べられています。ですから「収穫は事物の体制の終結[シンテレイア]であ(る)」と語られたイエスは、始めと終わりがある一定の活動期間について述べでおられたのです。マタイ13章30節によると、イエスは「収穫の季節」に言及しておられますが、これは明らかに、預言者ダニエルが「終わりの時」と述べた期間、つまりある期間のことを指し示しています。(ダニエル12:4 新)おもしろいことに、ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちはダニエルのこの節を翻訳した際、シンテレイアという言葉を用いました。
・・・・テロスという語は、「終末、中止、・・・最後の部分、終止、特に最終的な事物の終結、宇宙的ドラマの最後の行動という意味における」「終わり」のことです。
簡単にいえば、これは「シンテレイアは一定の長さの期間を有する終わりを表す。それに対して、テロスの方は最終的な終わり、究極的な終わりを意味している。したがって、最後にテロスを有するシンテレイア、つまり、テロスで終わる一定の長さの終わりの時、終わりの日が存在する」という論議である。
ものみの塔協会はこのテロスとシンテレイアを用いて、「1914年にシンテレイアという一定の期間を持つ『終わりの日』が始まった。そして、大患難の最終部分、ハルマゲドンでテロスを迎える」と説明しているわけである。
このシンテレイア、テロス説を補強する根拠としてあげられているのは、マタイ24章3節に出てくる「臨在、パルーシア」と同24章30節の「来る、エルコーメノン」の違いである。
「臨在」と訳しているギリシャ語パルーシアについては、「神の千年王国は近づいた」の166ページで次のように説明している。
パルーシアという語は、文字どおりには「そばにいる」という意味を持っています。それはギリシャ語の前置詞パラ(「そば」)とオウシア(「いる」)から来ているからです。リッデルとスコットの「希英辞典」は第二巻1,343ページ、2欄にパルーシアの第一の定義として「臨在」という語を掲げ、第二の定義として到着ということばを挙げ、次いで、「特に王室のもしくは公職にある名士の来訪」という説明をつけ加えています。これと一致して、「新約聖書神学辞典」(ゲルハルト・フリードリッヒ編)はその五巻で、「一般的な意味」として「臨在」という語を挙げています。(859ページ)次いで同辞典は、ヘレニズム時代のギリシャ語の『専門的語法』として、「1 支配者の来訪」という説明を載せています。」
一方、マタイ24章30節の「来る」については、
「その時、人の子のしるしが天に現れます。またその時、地のすべての部族は悲嘆のあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見るでしょう」−マタイ24:30。
これはキリストのパルーシア、つまり目に見えない臨在の始まりについてではなく、「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難」にさいしキリストが「来る」(ギリシャ語、エルコーメノン)ことについて述べているのです。」(ものみの塔 1975 3/15 P.175)
と注解している。
ものみの塔協会お得意の字義的解釈によると、1914年にキリストが来たのは「パルーシア、臨在」であり、その後大患難のときに裁きのために「来る」は「エルコーメノン」、この二つの「来る」の使い分けは、1914年に「シンテレイア、終わりの日」が始まり、ハルマゲドンで「テロス、終わり」を迎えるという説と見事に符合しているというわけである。
さらにこの説は、成就するためにはある程度の期間を要する一連の終わりの日のしるしに関する預言によって補強される。確かに、戦争、疫病、飢饉、地震、天変地異、迫害、偽預言者、偽メシアの出現、良いたよりの世界的な伝道などの預言が成就するには、かなりの期間を要するに違いない。
次のたとえ話も成就するには、それなりの期間がかかる。
以上のような根拠に基づいたテロス、シンテレイア説から、ものみの塔協会は、1914年に終わりの日が始まったとするのは正しいと主張しているのであるが、はたして本当にそう言えるだろうか。
たしかに、聖書は「終わり」に関してシンテレイアとテロスという二種類の言葉を使っている。シンテレイアについて、バインの「新約聖書用語解説辞典」には、ものみの塔協会の指摘している通りのことが述べられている。
しかし、キッテル、バウアーなどの辞典では単に「完成、完了、終末、終結」と記されており、テロスとの間に厳密な違いがあるというようなことは述べられていない。
パルーシア、エルコーメノンに至っては、意味の使い分けを支持している学者はほとんどいない。単なる同義語と考えるのが普通になっている。事実、ものみの塔協会が1914年のキリストの再臨に適用している(1982年3月1日号P.7,8参照)啓示1章7節の「来る」は、パルーシアでなくエルコーメノンである。
またパルーシアにしてもエルコーメノンにしても、「来る」という言葉は一瞬の動作だけを表しているわけではない。「来る」には当然、その後その場所に「いる」という」ある程度の期間が言外に含まれている。パルーシアの「来る」にだけ特別長い「期間」という意味があるわけではない。
字義的な研究にはそれなりの意義があるとは思うが、一つの字義そのものに教義上の決定権を有するほどの比重を置くのは間違いであろう。もしそのようにするなら、どんな珍奇な説でも成立してしまうかもしれない。
シンテレイアやパルーシアには期間を表す意味もあるので、そのように取ろうとすればそうすることもできないわけではない。しかし、シンテレイアがある期間を表わすとしても、それが1914年から「終わりの日」が始まったということの直接の根拠にはならない。単に一定の期間があるということだけでは、1914年にシンテレイアが始まったという証拠にはならないのである。
プロテスタント系の聖書学者たちも終わりの時として7年間に及ぶ「患難時代」という期間があることを述べている。シンテレイア、テロスから、「1914年=終わりの日開始」説に至るのは少々短絡的と言わざるを得ない。
キリストが本当に再臨したのであれば、その年は人類史上最も重要な年になる。もし1914年がそうであるとすれば、1914年は歴史上極めて意義のある年になる。しかし、この逆は成立しない。
キリスト再臨の年か否かを決定するのは、再臨そのものの証拠であって、歴史的な重要性ではない。預言された出来事が生じていないのであれば、歴史的にいくら重要な年であったとしても、それだけではキリスト再臨の証拠にはならないのである。
ものみの塔協会は極力、1914年をそのように印象付けようとしている。何とかして1914年を他とは異なる「特別な年、特異な年」にしたいわけである。著名な人が1914年を特別視しているような記事は、すべて利用されることになる。例えば、以下のようなものである。
「一つの時代から別の時代への変わり目となった年があるとすれば、それは1914年であった。それは、安心感のあった古い世界を終わらせ、我々が今日日ごとに抱く不安を特色とする現代の始まりとなった年である。」(ニューヨーク・タイムズ紙、1959年6月28日、ジェームズ・カメロン著「1914」に関する、A.L.ロウスによる書評 「真の平和と安全どのように見いだせるか」P.73より)
「1914年6月28日にサラエボで起きた銃撃事件は、安全と創造的理性とを備えた世界を打ち砕いた。・・・以来世界は決して元の状態に戻ってはいない。・・・それは転換点であり、魅力と静穏と美しさのあった昨日の世界は消えて、二度と戻ってはこない。」(ランドルフ・チャーチル著「ウインストン・S・チャーチル伝」第2巻の書評。エイジ誌(オーストラリア、メルボルン)、1967年12月9日、23頁 「真の平和と安全どのように見い出せるか」P.73より)
「一九一四年以前、地上には真の平和と静けさと安全とがあったーそれは恐怖を知らない時代であった。・・・安全と静けさは一九一四年以来、人々の生活から失われた。平和?一九一四年以来、ドイツ国民は真の平和を知らない。このことは人類の多くについても同じである。」(1966年1月20日付け、クリーブランドの「ウエスト・パーカー」紙、1ページに掲載された、元の西ドイツの首相コンラート・アデナウアーの言葉 「とこしえの命に導く真理」p.91,92より)
「1914年の夏には国々に平和があり、将来も安らかなものに思われた。その時である、突如砲声がとどろき渡り、事態は一変してもはや元に戻らなかった・・・1914年は人間の歴史の上できわめて決定的な年の一つであった。・・・その年は、千年に1度か2度しか訪れないほどの意味深い転換点を迎えたのである。」(歴史雑誌「アメリカン・ヘリテイジ」 「あなたの王国が来ますように」p.120より)
まだ他にもたくさんあるが、ものみの塔協会はこの種の資料をもとにして、1914年の印象度を高めようと努力している。1914年は一般の歴史家も認める歴史的な転換点の年、他の年とは全く異なる極めて特異な年、だからキリスト臨在にふさわしい年なのだと。
かりに1914年が最も重要な年であるとしても、それが直接キリスト再臨の証拠になるわけではない。歴史的重要度は預言の成就とは関係ないのであるが、「1914年=キリスト臨在説」に対する成員の確信を強めるのには貢献している。
確かに、純粋に歴史的な観点から眺めたとしても、1914年が非常に意義深い重要な年であることは間違いないと思う。しかし、すべての歴史家がこの年だけを特別な年と考えているわけではない。
次に紹介するのはそうした例の幾つかである。
「世界史的規模において『現代』の範囲を画定しようとする試みは混乱した状況を呈している。試みに世界史に関する概説書の類を一見しただけでも、或いは20世紀初頭をもって、或いは1917年をもって、或いは1945年をもって現代の開始点とする等々の記述方法をとっている。それらの見解はそれぞれ有力な根拠を持っているが、そのどれも排他的に絶対的規準となりうるものではない。・・・現代の起点を現代世界を構成する諸特質の発生に求めるとしても、現代世界の特質そのものがすでに複雑多様であり、そのどれを重視するかによって現代史の起点もまた異なってくるのである。」(岩波講座「世界歴史 24」p.6)
「長期的にみた場合の現代世界の歴史的起点がどこにあるのか。それは、十五世紀後半から十六世紀初めのヨーロッパの動きの中に求めるのが適当だと思われる。・・・あの『大航海時代』の開幕期がそれである。」(「世界現代史」柴田三千雄著p.5)
「第一次世界大戦は、1914年7月28日オーストリアのセルビアに対する宣戦布告に始まり、18年11月11日ドイツの降伏によって終るものであるが、この戦争の背景は1900年ころの〈帝国主義〉開幕の時期から考えるべきであろう。19世紀を終るにあたって、世界の各地域はアフリカや太平洋上の島々にいたるまでおおむね世界強国に占拠され、いわゆる〈世界分割〉は完了していた。強国にとっては、相互に戦って勢力範囲を再分割する道のみが残され、ここに帝国主義の時代が始まり、当然に近代強国相互の間の新しい戦争の時代が予見される。」(平凡社、世界大百科事典17p.316)
戦争が起きるにはそれなりの背景がある。何の原因もなく戦争が生じるということはない。そう見えるとすれば、それは背景を知らないせいであろう。サラエボの一発の銃声が第一次世界大戦に発展するには、それなりに十分な下地があったと考えるべきである。
人類が初めて地球そのものを滅ぼすだけの武器を獲得した時代はかつてない。そういう意味では、1914年よりも1945年の方がはるかに重要な年である。その年以来、人類は核宇宙時代を迎えることになったからである。しかし、1945年の出来事は1914年に始まった第一次世界大戦に起因していると考えるならば、1914年の方がもっと重要な年ということになろう。
こういうことをやっていくと、だんだん取り留めがなくなる。歴史は閉じられているのではなく、連続しているからである。1914年の出来事の原因を帝国主義と世界分割に求めるとすれば、今度はそれがいつから始まったのかということになってゆく。そういう意味で言えば1914年よりも、産業革命の開始時期の方が歴史的にはもっと重大だということになるかもしれない。
最近はどうか分からないが、一頃は大いに強調したものである。「キリストは1914年から臨在しているます。終わりの日は1914年から始まったのです。ハルマゲドンは1914年の世代の人々が生きているうちにやって来ます。終わりは近いのです。」一時期は、おおよその終わりの日の長さを指定することも行っていた。
この根拠になっているのは次の聖句である。
「あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません」(マタイ24:34 新世界訳)
この「世代」の部分が「単数形」になっていることに注目すべきである。複数形ではないので、世代は「一つの世代」であることがわかる。したがって、しるしを目撃し始めた世代の人々が生きているうちに大患難は生じる。
世代の長さの目安を指定するときは、さらに次の聖句を用いた。
「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年」(詩編90:10)
一世代の長さは70年〜80年、1914年の出来事を目撃するには少なくとも5歳にはなっていなければならない。そうすると1914年から数えてだいたい65〜75年後にはハルマゲドンが起きることになる。それは1979〜1989年の間と考えられる。
1975年がはずれたころは、よくこういうことを語っていたものである。だから、やはり終わりは近いのだと。
ところが、1980年が近づいてもハルマゲドンが生じる気配は全くなかった。だんだん時間は残り少なくなっていった。世代の問題を何とかしないと、時間切れになる心配が生じてきたのである。
その点を扱った最初の記事は、1979年1月1日号のものみの塔誌に登場した。
そういうわけで、わたしたちの時代の適用を考える場合、論理的にいってその「世代」が第一次世界大戦中に生れた子どもたちにあてはまるとは言えません。それは、イエスの挙げられた複合の“しるし”の成就として生じた戦争や他の出来事を観察できた、キリストの追随者及び他の人々に適用されます。そのような人々の中のある人たちは、現在の邪悪な体制の終わりを含め、キリストの預言された事柄すべてが起こるまでは「決して過ぎ去らない」でしょう。
イエスはこの「世代」の正確な長さを計算することを追随者に勧めたりされませんでした。(詩90:10)長く見積もって終わりまでにあと何年あるかと数えるのではなく、クリスチャンはイエスの次の警告の言葉を思い起こすべきです。「ずっと見張っていなさい・・・あなたがたの思わぬ時刻に人の子は来るからです」−マタイ24:42−44。(p.32) (下線はものみの塔協会)
世代の長さの計算をすべきではないとはっきり述べている。かつて伝道で、そう宣べ伝えるよう教えた人はいったい誰だったのかと言いたくなるような記事であるが、それは忘れることにしたのかもしれない。よく言われる“180度の転換”“右へ行ったり左へ行ったり”の一例である。もっともこれは、組織の宣伝ではタッキング(帆を操ってジグザグに風上に向かって進む技術)ということになってはいるのであるが。
2年後のものみの塔誌、1981年1月15日号ではもう一歩進んで、
では「これらのすべての事が起こるまで、決して過ぎ去ることのない」、この「世代」とは何ですか。これを30年、40年、70年、あるいは120年など一期間を指すものと解釈しようとしてきた人もいますが、それは期間ではなく、人々、つまりこの罪に定められた世の体制に対する「苦しみの激痛のはじまり」の際に生きてきた人々を指しています。それは1914年以降、第一次世界大戦と関連して生じた大惨事を目撃した人々の世代です。(p.31)
と述べている。
何と世代の長さを計算しようとしたのは、自分たちではなく“ある人”だということにしてしまった。
これを光の増し加わった斬新な見解というふうに宣伝すれば、世代の問題はもはや完全に組織の責任ではないということになってしまう。以降、世代の問題で騒ぐ人が出てきたとしても、それは調整できなかった不信仰な人として片付けてしまうことができるのである。
このように世代の意味合いを変えて、ものみの塔協会は1914年の教理の存続を図って来たわけであるが、それでも十分の時間が残されているというわけではない。徐々に1914年の世代の人々は少なくなってきている。1914年の出来事を知っている人が、ものみの塔協会の中からいなくなる前に、何とかしなければならないことに変わりはない。1914年説に残された時間はしだいに尽きようとしている。
ただ、世代の意味を操作してごまかす手は一つ残っている。世代を「人々」ではなく、「その時代の特徴」を表す言葉にしてしまえば良いのである。そうしておいて、世代の特徴で長持ちするのを選べば、まだかなりの寿命を伸ばすことはできるかもしれない。あと二、三年もすれば、前述のものみの塔誌を知っている人は稀になるだろうから、この方法は一時的には有効ではないかと思われる。
しかし、たぶん成員の多くはそれでは心情的に納得できないだろうから、やはり長い期間は無理であろう。せいぜい今世紀末くらいまでであろうか。1914年を捨てるか、それとも根本的に改正するか、いずれにしても、何とかしなければならない時は迫っているといえる。
すでに統治体にとって、1914年の教理は重荷になって来ているとの指摘があるが、それももっともなことであろう。
いいかげんだといえば本人たちには心外かもしれないが、結果としてそうなっているのだから、これは仕方のないことである。その原因は解釈の方法そのものにあるというよりは、そういう解釈を導いてきた根本理念の方にある。そちらの方がはるかに責任は大きい。つまり、前提の方が悪いのである。
前の章でも取りあげたが、他でもない、それはすべての解釈の基準となっている「組織論」と「1914年」の教義である。ものみの塔協会はこの二つの教義を大前提として他の預言を解釈しているので、結果としていいかげんなものになってしまったのである。
それは取りも直さず、ものみの塔協会の組織論と1914年の教義に対する反証にもなる。いいかげんな解釈が出てくるということは、組織の教義と1914年の教義が間違っていることを意味するからである。
ダニエルは一頭の雄山羊が二本の角のある雄羊に突進して行くのを見た。雄山羊は雄羊を倒したが、力の極みで角が折れてしまう。折れたその角の代わりに今度は4本の角が生え、雄山羊は全地に向かって行く。やがてその4本の角のうちの一本から小さな角が生えてくる。小さな角は強大になり、聖所を汚し、真理を地に投げうつ。ついに小さな角は天軍に戦いを挑むが、最後には滅ぼされてしまう。
「2300日」の預言はこの幻の最後、ダニエル8章13、14節に出てくる。以下はその部分の新共同訳と新世界訳からの引用である。
- 13 わたしは一人の聖なる者が、こう話しているこのわたしに問いかけるのを聞いた。「この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか。」
- 14 彼は続けた。「日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。」(新共同訳)
- 13 そしてわたしは、ひとりの聖なる者が話しているのを聞いた。すると別の聖なる者が、その話している者に向かってこう言った。「聖なる場所と軍を共に踏みにじるべきところとする、常供のものと荒廃を引き起こす違犯とに関するこの幻はいつまでのことだろうか」。
- 14 するとその者はわたしに言った、「二千三百の夕〔と〕朝を経るまでである。こうして聖なる場所は必ずその正しい状態にされるであろう」。 (新世界訳)
この預言的な幻はいったい何を意味しているのであろうか。ダニエルにその解き明かしを伝えるために派遣されたみ使いガブリエルは、次のように説明している。
- 19 そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。
- 20 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとペルシャの王である。
- 21 毛深い雄やぎはギリシャの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。
- 22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。
- 23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。
- 24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。
- 25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。
- 26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」 (ダニエル8:19〜26 新改訳)
二本の角のある雄羊は、メディアとペルシャの王を表している。メディアとペルシャは毛深い雄山羊、すなわちギリシャの王によって滅ぼされる。メディアとペルシャを滅ぼしたギリシャの第一の王とは、アレキサンダー大王のことである。彼は権力の頂点で倒れ、その王国は四つに分裂した。
やがてこの四つの国の一つから、一人の強大の王が出現する。この王は聖徒たちと戦い、聖所を汚す。しかし、「2300日」を経て聖所は清められる。
み使いガブリエルの解き明かしを簡単に要約すると以上のようになるが、この説明とダニエルの幻に関する記述から、「2300日」の預言の特徴を整理すると次のようになる。
以上の特徴が「2300日」に関する預言を解くカギとなる。これらの特徴のすべてが満たされていなければ、完全な成就といえないのはもちろんのことである。
ものみの塔協会の解釈が正しいのか、それともそうでないのかは、これらの特徴と比較してみればすぐに明らかになる。
「1914」年の場合のように「2300日」に関しても、ものみの塔協会は途中で解釈を変えている。およそどちらもまともな解釈とは言い難いのであるが、最初に、古い方の見解を見てみることにする。
変更される前の見解は、「御心が地になるように」という本に載っている。「2300日」の期間がいつかについて、「御心」の本は次のように記している。
「すでに学んだごとく預言的な時を数える聖書の規則を適用するなら、三六0日を預言的な一年とする基礎的な単位にもとづき、二、三00の夕と朝は六年四ヶ月と二十日に相当します。一日は夕と朝によって構成されています。(創世1:5,8,13,19,23,31)一九二六年五月二十五日のロンドン国際大会の最初から二、三00の夕と朝を計算すると、一九三二年十月十五日に達します。」(P214、215)
なぜ「2300日」が「1926年5月25日〜1932年10月15日になるのかはこの引用の前後で説明されているが、何ともはっきりしない解説である。話があちこちにとんでいて論理の一貫性はあまりない。まとめるにはかなり苦労するが、一応ものみの塔協会の立てた論理を追ってみると、
となる。
つまり簡単に言えば、真理に敵対して聖所を汚す特異な王とは「英米世界強国」、その英米世界強国が聖所を汚すべく設立したのが「国際連盟」、聖所とは文字通りの建物ではなく「組織の霊的な状態」、民主的な選挙をやめて神権的な任命制にしたので聖所は清められた、その顕著な時期を追ってゆくと「1926年5月25日〜1932年10月15日」になるというわけである。
選挙制度の問題を扱ったものみの塔誌が発行されたり、顕著な大会が開かれたりしたことが、この期間の根拠とされている。そして1914年から「終わりの日」が始まったという教義が、この解釈の大前提になっている。
しかしながら、これはもう一見しただけで、とうてい成り立つ論議ではないということがわかると思う。「2300日」の預言の特徴の大部分は、全く満たされていないからである。
以下にその点を具体的に列挙する。
これだけの問題点をよくぞ無視したものだと思う。論議を取り繕って一応の体裁を整えるには、かなり苦労したに違いない。
しかしはっきりいえば、これは相当にいいかげんな解釈である。なかでも極めつけは「2300日」の期間決定の主な根拠にされている、「選挙による長老の選出制」という問題である。「御心」の本を書いた人は気がつかなかったのかもしれないが、この解釈では聖所を汚した直接の当事者は「国際連盟」ではなく、「C・T・ラッセル」その人ということになってしまう。
繰り返すが、会衆の長老を選挙で民主的に選ぶというのは、英米世界強国や国際連盟がものみの塔協会に強制したことではない。それは、他ならぬものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルが導入したものである。民主的な選挙が聖所すなわち組織の霊的状態を汚したというのであれば、聖所を汚したのは国際連盟でも英米世界強国でもない。なんと、その張本人はC・T・ラッセルであったという結論になってしまうのである。
それでも、ものみの塔協会得意の責任転嫁の論理でゆけば、C・T・ラッセルは英米世界強国の民主的な考えに影響されてそうしたのだから、「御心」の論議は成り立つというかもしれないが、どうこじつけてもそれはとうてい無理な話である。誰に影響されようがやった本人はC・T・ラッセルなのだから、聖所を汚した責任者はC・T・ラッセル以外にはあり得ないということになる。
何ともこれはおそまつな解釈である。もっとも,私たちも組織の中にいたときには全く気がつかなかったのだから、あまり大きなことは言えないが。
さすがにこれではものみの塔協会も、あまりにもひどいと考えたのであろう。やがて見解を調整することになる。その変更された「2300日」の新しい解釈は1972年3月1日号のものみの塔誌に載せられている。これが最新の記事である。これ以降、正面から「2300日」の預言を取りあげた記事は出ていない。
いつものことながら変更に関するコメントはいっさいない。この記事もまた実にわかりにくい記事である。実質のなさをカモフラージュするために、わざとそうしたのではないかと勘ぐりたくなるような内容である。
次の表は、ものみの塔誌(1972 3/1)に載せられた、「2300日」の新しい見解を整理したものである。見るとすぐ分かるように、初めをどう合わせても終わりには何もないという結果になっている。
日付 | 俗界 | 神権的領域 |
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1938年6月1日 | 「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の 第I部を発表 |
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1938年6月15日 | 「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の 第II部を発表 |
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1944年10月2日 | ペンシルバニア州ピッツバーグで開かれた、 ものみの塔聖書冊子協会の年次業務総会は、 修正事項に関する決議を採択し、協会の定数 を前途の最終的なわざおよび神権的な取り決 めによりよく沿えるものにした。 |
|
1944年10月8日 | 1938年6月1日から計算した場合の2,300日 の終わり |
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1944年10月9日 | アメリカ合衆国、グレート・ブリテン、ソビエト 連邦および中華民国は、「国際連合」建 設提唱する決定を発表 | |
1944年10月15日 | 「ものみの塔」誌は「最終的なわざのために 組織される」と題する記事を発表 |
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1944年10月22日 | 1938年6月15日から計算した場合の2,300日 の終わり |
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1944年10月23日 | フランス臨時政府に対するアメリカの承認が 発表され、フランスは国際連合の中で地位を 高められた。ソビエト連邦、連合王国、および カナダも同様の発表を行なう。 | |
1944年11月1日 | 「ものみの塔」誌は「活躍する神権組織」 および「今日の神権的路線」と題する記事を 発表 |
「聖所を汚すこと」は「長老の民主的な選出制」という問題から「第二次世界大戦中の迫害」に変えられているが、結局はこの新たな解釈も「御心」の場合と大差はない。「2300日」の預言の特徴の大部分は全く成就していないからである。
特に問題となるのはこの新たな期間でゆくと、国際連盟が第二次世界大戦の影響でほとんど機能を停止してしまったという点である。幾度も繰り返して連盟が「荒らす憎むべきもの」であると主張している以上、連盟が聖所を荒らすことに直接関わっていないのはおかしな話である。また順序からいえば、連盟が無活動状態になると「2300日」の期間が終了していなければならないのであるが、実際はそうなっていない。この点も事実とは全く合わない解釈になっている。
この「2300日」の預言のすべての特徴を満たす出来事はまだ生じていない。現時点では、荒らす憎むべき者も小さな角も、特徴は識別できてもその実体を特定することはできない。
聖書預言の中で最大の頂点を成しているのは、何といっても“大患難”“ハルマゲドン”に関する預言であろう。この「3時半」という期間は、大患難と直接関わっているので非常に重要な預言的期間といえる。ものみの塔協会にとっては特にそうである。というのは初代会長C・T・ラッセルが「1914年ーハルマゲドン説」を唱えて以来、ものみの塔協会は「終わりの預言」で人々を集めてきた背景を持っているからである。
預言的な「3時半」は聖書中の何か所かに出てくるが、大患難とセットで登場するのはダニエル12章である。北の王と南の王に関する長い預言を終えたあと、み使いはダニエルに次のように述べた。
- 1 そして、その時に、あなたの民の子らのために立つ大いなる君ミカエルが立ち上がる。そして、国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時が必ず臨む。しかしその時、あなたの民、すなわち書に記されている者はみな逃れ出る。
- 2 また、塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。この者は定めなく続く命に、かの者は恥辱に、[また]定めなく続く憎悪に[至る]。
- 3 また、洞察力のある者は大空の輝きのように照り輝く。多くの者を義に導いている者たちは定めのない時に至るまで、まさに永久に星のように[輝く]。 (ダニエル12:1〜3 新世界訳)
北の王と南の王の抗争の最後には、ミカエルが立ち上がり、大患難が起こる。しかし神の民、命の書に名を記されている者たちは皆救われる。続いて死者(善人も悪人も含む)の復活が生じ、神の義が永遠に確立される。
こうした壮大な預言が成就するのは、一体いつのことであろうか。
聖書預言を学ぶ者にとっては非常に興味のある問題であるが、この点についてダニエル12:5〜7には次のように記されている。
- 5 そしてわたしダニエルが見ると、見よ、ほかに二人の者が、一人は流れのこちらの岸に、他の一人は流れの向こうの岸に立っていた。
- 6 そうして一人の者が亜麻布をまとった人、すなわち流れの水の上方にいた者に向かってこう言った。「これら驚くべき事柄の終わりに至るまでにどれほどの時があるか」。
- 7 するとわたしには、亜麻布をまとって流れの水の上方にいた人が右[手]と左[手]を天に挙げ、定めのない時にわたって生きておられる方にかけて誓いながら、こう[言う]のが聞こえてきた。「それは、定められた一時、定められた[二]時、そして半[時]の間である。聖なる民の力を打ち砕くことが終了するとすぐ、これらのすべての事もその終わりに至る」。 (新世界訳)
一時と二時と半時、合計すると「3時半」になるが、この「3時半」という期間がカギを握っている。これはダニエル12章6節の質問(簡単にいえば最終的な成就はいつになるのか)に対する答えとして与えられたものである。
ダニエルに伝えられた驚くべき預言、末の日における南北の王の最後の抗争、ミカエルが立ち上がること、大患難、神の民の救出、死者の復活等は、亜麻布をまとったみ使いによれば、それは定められた「3時半」が過ぎるとすべて成就するという、つまり「3時半」の終わりには、預言として語られたこれらのことはみな成就を開始していなければならないということになる。もしそうでないとすれば、それは間違った解釈になる。
ポイントになるのはこの点である。ものみの塔協会の解釈が正しいか、それとも間違っているかを見定める決定的な基準になるのは、「3時半」に関連する預言が成就しているかどうかである。
この「3時半」が何時かについて、ものみの塔協会の説明は次のようになっている。
「この三年と半年が終わるとき、エホバ神の聖なる民、聖徒、聖所級の力を打ちくだくことは必ず終わります。この時の期間は、おそらくダニエル書七章二十五節(新口)に述べられている同じ長さの時に相当するでしょう。それは象徴的な角である英米両国の世界強国と聖所級に対するその悪い仕打についての予言です、『彼は・・・いと高き者の聖徒を悩ます。・・・聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる』この三年六ヶ月は、一九一四年の十一月の上旬に始まり、一九一八年の五月七日に終わりました。」(「御心が地に成るように」p.327.12節)
「『聖なる民の力を打ち砕くことが終了』したのは、明らかに1918年6月21日と思われます。・・・聖書太陰暦によると、1918年6月21日は1918年タンムズ11日に当たります。それから太陰年三年前は、1915年タンムズ11日、つまり1915年6月23日になります。それから太陰年半年つまり六か月さかのぼると、1914年テベテ11日、1914年12月28日になります。−『ユダヤ一般百科』(英文)の“200年間のユダヤ暦”の項、634−639ページをご覧ください。」(「来たるべきわたしたちの世界政府ー神の王国」p.127.16,18節)
「御心」は「1914年の11月の上旬〜1918年の5月7日」、「世界政府」は「1914年12月28日〜1918年6月21日」を「3時半」の期間としている。双方に若干の日にちのズレはあるものの発想は全く同じである。「1918年5月7日」は二代目ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードを含む本部職員8人が逮捕された日、「1918年6月21日」はそのうちの7人に対して80年に及ぶ懲役刑が宣告された日である。
さて、み使いの説明から明らかなように、「3時半」というのは聖なる民が迫害され、打ち砕かれる期間であるが、ここで問題となるのは「3時半」の期間の終わりをどう位置付けるかということである。聖徒たちが完全に打ち砕かれると考えるのか、それとも打ち砕かれることが終了すると考えるかによって、3時半の終わりの状況は正反対になる。
新世界訳が「聖なる民の力を打ち砕くことが終了すると」と訳している聖句は、翻訳の仕方によっては次の二通りの異なった意味に訳出することができる。
幾つかの翻訳を比べてみると、
となっている。
日本聖書協会口語訳、新改訳は1の意味に、新共同訳は2の意味に解釈しているようである。
ものみの塔協会は間違いなく1の方である。「世界政府」の本(p.127、15節)には、明確に次のように記されているからである。
「これは言うまでもなく、エホバの『聖なる民』の力を打ち砕く政治的代理者の能力もその終わりに至る、そうする能力が効力を失うことをも同時に意味しています。ジェームス・モファット博士の聖書翻訳が訳出している通りです。『それは三年と半年であって、神聖な民を打破する者の力が尽きる時、すべて[の事柄]の終わりが到来する』。(アメリカ訳、新アメリカ聖書も参照)」
したがって、ものみの塔協会の解き明かしでゆけば、1914年12月28日に迫害が激しくなったとしても、1918年5月7日あるいは6月21日にはそれが終了していなければならないことになる。「エホバの『聖なる民』の力を打ち砕く政治的代理者の能力もその終わりに至る」というのであれば、当然そうなってしかるべきである。
ところがところが、預言の解釈と現実に起きていることは全く逆なのである。
1918年6月21日には、聖なる民の力を打ち砕く政治的な権力が覆されるどころか、反対に頂点に達している。先に記したように、この日に、ものみの塔協会の会長と本部職員に対する実質上の終身刑が、アメリカ連邦裁判所により言い渡されているからである。
こうした見事な矛盾に加えて、さらに、ものみの塔協会の解釈には重大な欠陥がある。
み使いの説明では「3時半」が過ぎると、極めて重要な預言の幾つかが成就することになっていた。しかし、1918年6月21日を過ぎても何事も起こらなかったのである。ものみの塔協会の期待も空しく、第一次世界大戦は大患難、ハルマゲドンの戦いには至らず、1918年11月には終了してしまう。北の王や南の王が滅びてしまうこともなく、神の民が皆救われるということもなかった。もちろん死者の復活など全く生じなかった。つまり預言されていたことは、何一つ起きなかったのである。
1918年6月21日が「3時半」の終了する日時として正しいものであれば、その時がすぎても何事も起こらないということはあり得ない。
これは「ものみの塔協会の解釈が間違っているといえる」決定的な根拠となる。
預言的な位置付けとしては、7章の「3時半」は12章の「3時半」と同じものと考えられている。これも非常に重要な預言の一つである。7章には、世界強国の行進と、天の法廷が開かれた後、地の支配権が最終的に誰に与えられるかが記されている。ここの「3時半」はその最終的な判決の時期と関係がある。
最初、ダニエルは4頭の大きな獣が海から現れるのを見た。これらの獣はみな普通の獣とは異なっていたが、特に第4の獣は異常な姿をしていた。その様子について、ダニエル7:7,8は次のように記している。
- 7 この夜の幻で更に続けて見たものは、第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。
- 8 その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。」 (新共同訳)
この幻の後、やがて天の法廷が開かれ判決が下される。支配権が誰に与えらるかについて、ダニエル7章13,14節は次のように述べている。
- 13 夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
- 14 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。 (新共同訳)
この幻の意味についてみ使いは、
- 23 さて、その人はこう言った。
「第四の獣は地上に興る第四の国これはすべての国に異なり全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。- 24 十の角はこの国に立つ十人の王そのあとにもう一人の王が立つ。彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す。
- 25 彼はいと高き方に敵対して語りいと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ。聖者らは彼の手に渡され一時期、ニ時期、半時期がたつ。
- 26 やがて裁きの座が開かれ彼はその権威を奪われ滅ぼされ、絶やされて終わる。
- 27 天下の全王国の王権、権威、支配の力はいと高き方の聖なる民に与えられその国はとこしえに続き支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。」 (ダニエル7:23〜27 新共同訳)
と説明している。
この解説から「3時半」は、第四の国から起こる最後の王が滅び、聖徒たちに地の支配権を与えられる時と関係のあることがわかる。人の子が支配権を得ることと、聖徒たちに支配権が与えられることは、同列に扱われている。これが、ダニエル7章の「3時半」の持つ最大の意義といえる。つまり、「3時半」がすぎると支配権は聖徒たちに与えられていなければならないのである。もし聖徒たちに支配権が委ねられないのであれば、その「3時半」の解釈は間違っていることになる。この点が、7章の「3時半」の解釈の是非を識別する最大のキーポイントになっている。
それでは、その規準をもとにして、ものみの塔協会の解釈を検討してみることにしよう。
次のページの図はダニエル7章の預言を解説したものである。ご覧いただければわかると思うが、小さな角は大英帝国という解釈になっている。ただ、正確には本文の説明のように米国が加わる。
ダニエル書7章8節(新)は何と述べていますか。そうです、「三本の角」がこの「小さな角」の生える前に引き抜かれ、その小さな角は「大げさなこと」を語るのです。ですから、英国という世界強国が登場し、後に米国がそれに加わることによって、わたしたちはこの壮大な預言が完全に成就したのを見ることになります。(1981.8/15p.26 19節)
また、ダニエル7:13,14については、
イエス・キリストは、地上におられたとき、自分のことを人の子とくり返し語っておられました。(マタイ16:13,25:31)エルサレムの最高法廷であるサンヘドリンは、自分がだれであるかを誓にかけて言えとイエスに命じました。そのときイエスはこう語りました、「わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。(マタイ26:59〜64 新口)それでダニエルの天的な幻の中で、天の雲に乗って来たもの、そして日の老いたる者の前に連れて来られた者とは、復活を受けて栄化されたイエス・キリストです。日の老いたる方エホバは、彼と御国契約をむすびました。それでダビデ王と結ばれた御国契約により表し示されました。ダビデは、イエス・キリストの予表になっています。エホバは、霊感を受けたダビデ王を通し、御子イエス・キリストが正しい諸国民を相続し、地の果てまで所有するようエホバに願い求めよ、と預言的に招待されました。(詩編2:7,8,使徒4:24〜26新口)そのときは、「諸国民の定められた時」が一九一四年に終了したときです。さてイエス・キリストが天で待っていたその時になると、彼は日の老いたる者の法廷に現われます。彼は、全地を支配する御国契約に従い、当然彼に属すべきものを裁き主に求めます。目に見えるものと、また霊的なものとを含めて、すべての証拠は、全地の人々を支配する支配権が彼に与えられて、ダニエルの幻を成就した事を証明します。」(「御心」p185,31節)
と説明している。
これはダニエル7章の「3時半」と12章の「3時半」を同じ期間とする見解で、「世界政府」の本の126ページ14節には
「この三時半の『定めれた時』がダニエル7章25節に述べられている三『時』半と同じ期間に相当すると考えるのは道理にかなっています。」
と記されている。
したがって、ものみの塔協会の説く「3時半」は、
「1914年12月28日〜1918年6月21日」までということになる。
しかし、この解釈も12章の「3時半」同様、全く成立し得ないものである。間違っているといえる決定的な根拠は次の二点である。
聖徒たちに地の支配権は与えられなかった
現実は預言そのものとは正反対である。聖徒たちに(ものみの塔協会を聖徒の集合と仮定した上でのことだが)支配権が与えられるどころか、逆に聖徒たちの代表は投獄されてしまった。
ものみの塔協会は、天に聖徒が復活して集められたのではないかと主張するかもしれないが、そういう論議は成立しない。なぜなら、ダニエル書が問題にしているのは天の聖徒たちではなく、地上の聖徒たちだからである。
聖徒を迫害する王が滅ぼされてはいない
「3時半」が終了してすでに70年が経過しようとしているが、小さな角は依然として存続している。
加えて問題となるのは、預言的な出来事が生じる順序である。み使いの説明では、「第四の獣から生じる角が3時半聖なる者たちを悩まし、苦しめてからその後に王権が聖徒たちに与えられる」ことになっている。つまり、神の王国が設立されるのは7章26,27節にあるように聖徒たちが迫害に苦しんだ後、そしてその聖徒たちに戦いを挑んだ王が滅ぼされてからである。
ところがものみの塔協会の解釈では、順序が全く逆になっている。「1914年に10月に天に王国が設立され、キリストが王権を受けた。それから3時半が始まる」というのである。
何故こういう聖句の文脈を無視するような解釈が出てくるかと言えば、それはものみの塔協会にとって、1914年が生命線とも言えるような年で、絶対に捨てられない教理になっているからである。1914年を最大のセールス・ポイントにして人々を集めてきた以上、これは無理からないことかも知れないが。
2300日、3時半の他にもまだまだ変な預言の解釈はたくさんある。ダニエル12:11,12に出てくる1290日、1335日の解釈などもおよそ成立し得ないものである。そのすべてを論じてゆくと長くなるので、最後に一つだけ、いかにものみの塔協会が勝手に預言の解釈をやっているかということを示す、典型的な例を付け加えることにする。
黙示録11章の前半には二人の証人の活動について記されている。彼らは1260日の間、粗布を着て預言することになっている。その後二人の証人がどうなるかは、11章7〜11節に次のように述べられている。
- 7 二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。
- 8 彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。
- 9 さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。
- 10 地上の人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。
- 11 三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上がると、これを見た人々は大いに恐れた。」 (新共同訳)
二人の証人は1260日の間預言した後、底知れぬ深みから上がってくる獣に殺される。しかし、三日半の後に、神の力によって復活させられる。
ものみの塔協会の主張では、二人の証人とは「油注がれた者たち」つまり、天に行く人々の中でまだ地上に生き残っている者たちということになっている。2という数字は文字通りの数ではなく、象徴的なものと考える。だから、二人の証人は何人いてもかまわないことになる。二人の証人が殺されるというのも、文字通り死ぬことではなく、象徴的な死、すなわち無活動状態になることとみなしている。
いつ二人の証人が殺されたのか、また殺されたままでいる「3日半」とはいつからいつまでなのか、その点について「その時、神の秘義は終了する」という本は、次のように説明している。
「ふたりの証人」が「粗布を着て」預言した年数は三年半です。しかし、彼らが都市の大通りに死んで横たわっていた「三日半」の期間は、エゼキエル書4章6節にあるように、各一日を一年の象徴とし、三日半と解してはなりません。啓示11章9−11節に明記されている「三日半」は、油そそがれた残りの者の公の証言活動が不活発となる、また、彼らの敵が悪意をもってほくそえむ、極めて短い期間を表わしています。この「三日半」は1919年3月に終了しました。ものみの塔聖書冊子協会の代表者八人の釈放を求める請願書が、署名をする人たちの間に回されていましたが、その請願書がアメリカ合衆国の油そそがれた残りの者たちによって完成させられる前の1919年3月21日に、連邦刑務所の八人の囚人は保釈を認められました。」(p.304,305 下線は発行者)
本来、「三日半」に対する考え方は二通りしかない。文字通りの三日半と考えるか、一日を一年と計算して三年半とするかのいずれかである。ものみの塔協会の「単なる短い期間の象徴」というのは、まさに苦肉の策である。彼らにとっては都合の悪いことに、現実が預言された期間と全く合わなかったのである。
ものみの塔協会の幹部が逮捕されたのが「1918年5月7日」、判決が言い渡されたのが「1918年6月21日」、そしてかの有名なアトランタ刑務所に送られたのが「1918年7月4日」である。釈放されて生き返ったとされるのは「1919年3月」なので、死んでいた期間は「約8か月〜10か月」となり、3日半とは大幅に異なる。
これではどう工夫してもだめである。「文字通りの3日半でも3年半でもありません」と言わざるを得ない。つじつまをあわせるには、「単なる短い期間の象徴」とせざるを得ないわけである。
なぜ各一日を一年の象徴とし、三年半と解してはなりませんと言えるのですかと問われたら、おそらく返答に窮するであろう。
この三日半の解釈にはさらに二つの問題がある。一つは、ものみの塔協会の役員が逮捕された「1918年5月7日」と、預言の期間「1260日」が終了したとされる1918年3月26(27)日に、一か月以上のズレがあるという点である。二人の証人は預言を終えてすぐ殺されることになっているのだから、こう期間があいてはまずいわけで、ものみの塔協会も説明のしようがなかったのか、この点についてはノーコメントである。(もっとも以前は荒布を着て預言するの意味を変えて期間を合わせていたようではあるが)
もう一つは「3時半」の解釈との矛盾である。1914年10月〜1918年3月の期間は「3時半」のところでは「常供の供え物が取り除かれる期間」とされていた。常供の捧げ物とは霊的な犠牲、その代表的なものは公の宣明つまり伝道のことである。従って、「3時半」の解釈でいけば、1914年10月〜1918年3月の期間中は、顕著な伝道は行なわれてはならないことになる。ところがこの期間は同時に二人の証人が世界中に預言する「1260日」でもあるという。預言するということは当然伝道するわけで、3時半の期間とは意味が正反対になっている。常供の供え物が廃されて死んだようになる期間と荒布を着て預言する期間が同じというのは、どう考えても矛盾していると言わざるをえない。
ある部分は字義通りに取り、ある部分は単なる象徴と取る。どう考えても合わない場合はそこを無視してしまう。組織の都合で預言の解釈を決定するとどうなるかを示す典型的な例である。
今までの事例を見てすでにお気付きと思うが、ものみの塔協会の預言の解釈の間違いは枝葉末節のレベルのものではない。その欠陥はより本質的なものであり、問題の根は深い。
先にも触れたが、これは預言の解釈の根本、その土台に原因があるせいに他ならない。ものみの塔協会の教義の体系は組織論に大きく支配されており、預言もその例外ではない。さらに、預言の体系には組織の背景もあって、1914年の教理が大きな影を落としている。土台が二つも間違っているわけだから、その上に建てられる家が崩れて行くのは当然であろう。
時節の解釈が現実と全く合わなくなっているのは1914年の教理のせいである。この教理を何とかしないことには、正しい預言年を見定めることは永久に不可能であろう。
また、預言適用の対象が間違っているのは、特にキリスト教という畑に生じることになっている預言の解釈であるが、ものみの塔協会の組織論が間違っているせいである。
そもそも預言の解釈というのは、現実に預言されていた出来事が生じなければ、成就とは言わないのである。ところが、ものみの塔協会の解釈には霊的成就が非常に多い。
この霊的成就というのが曲者なのである。霊的な成就だとはっきり見定めることが難しい。成就したと言えばそう言えなくもないが、何ともすっきりしない気分が残る。死んだといっても、本人たちはしっかり生きているし、復活したというのは、単に元気になったことではないかということになるからである。
これは、エホバの証人にとっては極めて大きな意義を持つ。というのは、預言に基づいて組み立てられた将来のビジョンが崩壊してしまうからである。
組織論と1914年の教理が崩れてしまうと、残るのは「大患難が来る、ハルマゲドンが生じる、千年統治が行なわれる、パラダイスは復興する」などの、いわゆる誰が解いてもたいして変わらない部分くらいしかなくなってしまう。ものみの塔協会の特徴となっている預言の解釈はすべて崩壊してしまうのである。
次の点も将来深刻な問題になる可能性が高い。組織論、1914年の教理に基づくと、イザヤ書、エゼキエル書、ゼカリヤ書、黙示録などのかなりの部分がすでに霊的に成就してしまったことになっている。しかし、それらの多くがまだこれから文字通り成就するとすればどうなるであろうか。ものみの塔協会はそうした事態の意味がわからず(本能的にその意味は悟るが)、対応することができなくなってしまうと予想される。その指導に従ったエホバの証人も、同じ運命をたどることになろう。
もう一つ問題なのは組織の幹部の動機である。彼らは真理を求めているのではない。心の中では、組織の都合、組織の利益しか考えていない。わからなくなっても正直に認めることは、ほとんど期待できないのである。おそらく何とかごまかして、ひたすら組織の存続を計ろうとするであろう。
彼らは「平和でないのに平和だ」という古代の宗教指導者に非常によく似ている。たくさん犠牲を捧げていれば大丈夫だと考えている点もそっくりである。内面の清さは脇において、戒律を不器用に守っていれば清いのだと教えている点でも実によく似ている。
こういう動機の人々に、神とキリストが預言の正しい解釈を啓示することなど、それこそ絶対にあり得ない。これは大きな問題になる。現時点ですべての預言が解かれているわけではないからである。これから理解の増し加わる預言は多いはずである。動機が問題なのはその点で致命傷になる。
確実に言えることは、現在のものみの塔協会の預言のビジョンでは、ハルマゲドンに至る前に対応が非常に難しくなってしまうということである。特に黙示録の解釈の間違いは決定的なものとなるであろう。エホバの証人には次の聖句をよく考えてみることを勧めたい。
「19 したがって、わたしたちにとって預言の言葉はいっそう確かなものとなりました。そしてあなた方が、夜があけて明けの明星が上るまで、暗い所に輝くともしびのように、心の中でそれに注意を払っているのはよいことです。
20 なぜなら、あなたがたはまずこのことを知っているからです。つまり、聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。
21 預言はどんなときにも人間の意志によってもたらされたものではなく、人が聖霊に導かれつつ、神によって語ったものだからです。」 (IIペテロ 1:19-21 新世界訳)
ものみの塔協会が、ハルマゲドンの特定の年を指定して物議をかもしたのは、1975年が最初ではない。大きな騒動となった年としては、1975年の他にも1914年と1925年がある。
新しいエホバの証人は、1914年はラッセルの預言の外れた年ではなく、聖書預言が劇的に成就した年だと信じている。総合的な情報が全く与えられていないので、預言の外れた年だといわれると驚くに違いない。ほとんどの人は、外れたといって騒いだのは背教者だぐらいにしか思っていない。1925年について知っている人はたぶんいないはずである。最近の記事では、1925年について取りあげたものは一つもない。ラザフォードは「1925年は1914年よりも確かかもしれません」と発言したのであるが、予言が外れてしまった後で、「馬鹿なことをしてしまった」と後悔したと伝えられている。こういうことは、組織が正直さの自己宣伝に使えると判断しないかぎり、雑誌に登場することは絶対にないので、新しいエホバの証人は全く知らないのである。
次第に、1975年も1925年の仲間入りをしそうになっている。時の経過と共に、1975年の出来事を知らないエホバの証人が増えているからである。ただ、1975年には、1925年と比較すると人類創造の6000年という教義上の意義があるので、簡単に消えてしまうことはないと思うが、ものみの塔協会がうやむやにしてしまう可能性は強い。1975年の様々な問題を明確にしておくことには、それなりの意義があることと思われる。
一部のエホバの証人が勝手に騒いだのではない。1975年騒動の責任は、確かにものみの塔協会の側にある。騒いでもおかしくないような記事が数多く出版されているし、大会でもその種の発言が少なくなかったからである。
おそらく、1975年狂想曲を奏でる点で、最も貢献したのは巡回監督たちであろう。彼らは諸会衆を回っては終わりの日を強調して歩いた。テープに取ってあるわけではないので物的証拠ははないが、当時を知っている人であればよく覚えているはずである。(もっとも、吹聴して歩いた人は忘れてしまったかもしれないが。)特に1972年、1973年はそういう意味では非常に顕著な年であった。その地方によって多少は異なるかもしれないが、1975年フィーバーが最も白熱したのはそのころであったように思う。
ものみの塔協会は1975年の予言が外れたあと、「私たちは一度も1975年にハルマゲドンが来るとか、終わりが来るというようなことは述べていません」と断言したのであるが、この発言の真偽は意味合いによって異なってくる。直接そういうことを述べていないということであれば、確かにそれはそのとおりである。また、彼らが預言をしなかったというのも事実である。
しかし、間違いなく予言はしたのである。そう受け取られても仕方のないような発言はかなりの数に上る。
それは以下の資料に見る通りである。
「神の自由の子となって受ける永遠の生命」より
エホバ神がこの第七の千年紀を休息と解放の安息の期間とし、全地の住民に自由をふれ示すための、大いなるヨベルの安息にされるのは、全く適切なことではありませんか。・・・人類の前途には、・・・キリストの千年統治があるからです。・・・「安息日の主」イエス・キリストの支配が、人間生存の第七の千年期と時を同じくしていることは、単なる偶然ではなく、エホバ神の愛の目的によるのです。」(p.30,43節)
ご存知のように、安息日の律法とは6日働いて1日休むという制度のことであり、ヨベルの律法とは、50年ごとに奴隷の解放や負債の免除、所有地の回復などをふれ告げる律法のことであった。イスラエルの民にとって、ヨベルの年は大いなる解放の日、自由の年となった。(ただし、イスラエルの歴史では、この律法が満足に守られたことは一度もなかったとされてはいるが。)
一日を千年とする神の基準でいえば、人類にとっての大安息は千年間、それは大いなるヨベルの年、キリストの千年統治に相当するというのが「自由の子」の説明である。
確かに、1975年にハルマゲドンが起きるとは書いていないが、ハルマゲドンは『千年統治の前』に生じることになっているので、「1975年は人類創造の六千年の終わる年、千年統治は第七千年期」とはっきり書いてあれば、1975年までにハルマゲドンが起きると考えるのはむしろ当然であろう。事実、当時のエホバの証人はほとんど皆そのように受け止めたのである。
さらに、目ざめよ誌1969年1月8日号には、次のような思わせ振りな記述が載せられていた。
「わたしたちが、『終わりの日』の最後の数年に生きていることを証明するもうひとつの方法があります。・・・
これは前記の証拠が(アダムがBC4026年に創造されたということ)、一九七五年を、この事物の体制の終結の時として明示しているということですか。聖書が明確にそう述べていない以上、だれにもそう言うことはできません。しかしこれだけはたしかです。それは一九七0年代に、人間がいまだかつて経験したことのないきわめて重大な危機が訪れるということです。
この記事には、終わりに日の『最後の数年』と確かに書いてある。「数年」という以上普通は2、3年、仮に最大限譲歩したとしても9年までである。この記事が正しければ、終わりは1978年までに来ていなければならなかったのである。
「人類がいまだかつて経験したことのないきわめて重大な危機」とは何であろうか。この当時の感覚でいえば、エホバの証人なら誰でも大患難、ハルマゲドンのことだと考えた。もちろん、執筆した人もそのことは知っていたはずである。
この他にも、まだまだたくさんの資料がある。代表的なものとしては、1968年8/15日号、1970年1/1日号、1974年3/15,5/1,9/15日号などをあげることができる。
ものみの塔協会が終わりまでの期間を指定し、1975年について多くのことを予言していたのは、間違いのないことである。
なかには冷めた人もいなかったわけではないが、そういう人は非常に珍しい存在で、体制側からは霊的に未熟な人、信仰の弱い人という評価がなされていた。全体的には、熱病にかかっているような雰囲気があった。あれが一義的な教理の作り上げる特殊心理状態なのかもしれない。純粋で熱心な人ほど感染しやすく、組織の宣伝の影響を大きく受けたのである。特に若い人々がそうであった。
若い成員の多くは、未信者の親に反対されながらも、大学へ行くよりは必要の大きな地へ開拓者として赴くことが神の使命であると考えた。ものみの塔協会も、「開拓奉仕は二度と繰り返されない業です、機会を逃すべきではありません」といって若い人々をけしかけたのである。大学をやめ、仕事をやめてそのようにした人もいた。
また、大患難が迫っているのだから、子供を設けるのはふさわしいことではありませんとか、結婚は新秩序へ行ってからすべきですという発言もなされていた。今はそのようなことより、宣べ伝える業に専念すべきだというわけである。なかには、伝道から注意をそらすものはみなサタンだ、と主張する人までいた。
1975年狂想曲は多くの人に様々な影響を与えた。人生の方向が全く狂ってしまった人は少なくない。
ものみの塔協会も、1975年にハルマゲドンが起きるのではないかと本気で信じて、真剣に人々に警告したというのなら、まだ罪は軽いと思う。少なくともそうであれば、動機そのものに偽りはないからである。残念ながら予言は外れたとしても、自分は使命感に従って行動した、神に対して正直な良心は守ったという自覚は残るはずである。
しかし、もしそうでないとすれば、それは理解不足とか、熱心さのあまり判断を早まってしまったというレベルの問題ではなくなってしまう。クリスチャンとしてはもっともっと深刻な問題になる。それは根本の動機が腐っていることを意味している。
はたして、ものみの塔協会の幹部はどちらであろうか。エホバの証人には気の毒であるが、ものみの塔の幹部の場合は動機に欠陥があるというパターンの方である。彼らの責任の取り方が、何よりもその点を雄弁に物語っている。
ただひたすら1975年フィーバーをあおっていたものみの塔協会が、手の平を返したように豹変し出したのは、1974年の夏の地域大会からであった。
「終わりは近い。今よりも緊急な時はありません。滅びは迫っています。もはや、残されている時は尽きようとしています。エホバが行動を起こされる時は間近に迫っています。キリストが諸国民を一掃する時はすぐそこまできています。わたしたちの救出の日は戸口までやって来ています」といった具合に、言葉を尽くして終わりを強調していたのが、一変してしまったのである。
今度は、「私たちは決して特定の日や年に献身したのではありません。生きているかぎり、そして永遠までもエホバに仕えることを決意したのです。例え1975年に終わりが来なくても、私たちはエホバに仕えることを止めたりはしないでしょう。特定の日に重きを置きすぎていた人々がいるなら、今すぐ直ちに理解と信仰を調整すべきです」というふうになった。
1974年の大会でこういう種類の話を聞いたとき、終わりの日はいったいどこへいったのかと、考え込んでしまったことを思い出す。東北地方で1975年フィーバーに非常に貢献したある巡回監督がいた。地域大会の会場でその巡回監督と話をする機会があった。
大会の主旨が、その巡回監督が教えて歩いたこととはあまりにも異なっていたので、「兄弟、終わりの日はどうなってしまったんでしょうね。1975年には、もうハルマゲドンは来ないということでしょうか。」と聞いてみた。こちらとしては多少皮肉のつもりもあったのだが、「終わりの日はいつ来ても、エホバに仕えていればそれでよいということではないでしょうか」と、明るい顔で返事をしたのが非常に印象的であった。
自分が何を教えて歩いたのかという自覚が全くなかったのである。まだほんの数カ月しかたっていないのに。これは実に驚くべきことであった。今思えば、あれがものみの塔協会の典型的な体質だったのかもしれない。巡回監督にしてみれば組織が言ったことだからという意識であろう。自分の発言に責任を感じないということは、そういう背景でしかとらえようがない。
水をさすような大会のプログラムにもかかわらず、たいていの人はまだ組織の真意に気がついてはいなかった。今に決定的な発表があるのではないか、何か特別な集会の発表があるのではないかと期待していたのである。そういう非公式の手紙や噂は、かなり活発に組織内を飛び交っていた。
やがて待望の1975年がやって来た。しかし、何かが起きるような気配は全くなかった。春がすぎ、夏が近づくころには、もうハルマゲドンは来ないのではないかと、たいていの人は思うようになった。そういう雰囲気を組織も察したのであろう。その年の夏の大会で、1975年にはハルマゲドンはあり得ないという決定的な講演が行なわれた。
1975年狂想曲はものみの塔協会には、圧倒的な黒字で終わった。次の表を見ていただくとよくわかると思う。
平均伝道者数 | 増加率 | |
1973 | 1,656,673 | +3.8 |
74 | 1,880,713 | +13.5 |
75 | 2,062,449 | +9.7 |
76 | 2,138,537 | +3.7 |
77 | 2,117,194 | -1.0 |
78 | 2,086,698 | -1.4 |
79 | 2,175,403 | +0.5 |
77年と78年は減少しているが、79年には増加に転じている。いずれにしても、75年狂想曲により一気に百万台から二百万台に入ったことは、揺るぎない成果として残ったのである。
親族に1975年までと約束したり、やめることを固く決意していた人もいたので、もちろん無傷では終わらなかった。中には、公に謝罪すべきであるとものみの塔協会に迫った人もいたようである。
しかし、あらかじめ張った防衛線が功を奏し、被害は最小限に食い止められた。ところによっては、少なからぬ騒ぎはあったと伝えられているが、組織全体にはそれほど大きな影響はなかったのである。
1975年の問題を批判するとき、諸教会がよく持ち出すのは、申命記18章20〜22節である。そこには偽預言者の見分け方について、次のように記されている。
ただし、その預言者が私の命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。(新共同訳)
この聖句をものみの塔協会に当てはめるとどうなるであろうか。厳然たる事実からすると、確かに諸教会の指摘していることは正しいということがわかる。
ものみの塔協会が予言したのは事実であるし、自分たちを預言者として紹介した記事も確かに出ている(1972年7/1号p.406「彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るであろう」)。そして、その予言がすべて外れてしまったのもまた事実である。現実に実現しなかったのだから、ものみの塔協会は間違いなく『偽預言者』ということになる。そういわれても仕方がない。確かにその通りなのである。
ところが、諸教会が期待するほどには、この指摘はエホバの証人に対してあまりインパクトがない。外部の人からすると不思議に見えるのではないかと思う。
結局のところ、ものみの塔協会は非常に狡猾であったということになるかもしれない。新しい人は当時の状況をよく知らないということもあるが、ものみの塔協会の責任転嫁の戦法が実にうまく機能したというべきであろう。
多くの人の意識では、1975年騒動はすでに終わった問題になっている。騒いだのは調整できなかった不信仰な人たちであるくらいにしか思っていない人が大多数である。
組織のごり押し、信者への責任転嫁の論法がまかり通るには、それなりの背景と体質がある。
この点でものみの塔協会に非常に有利に働いているのが、「常に最新の理解に従ってください」という組織の教育方針であろう。「真理の光が増し加わったのです」という宣伝の下に、古い見解はどんどん捨てられて行く。調整される前の理解を教える人は、遅れた人とみなされる。最新のものみの塔誌に精通していることは、組織内の評価を高めることに貢献する。
こうした背景があるので、昔のものみの塔誌を持ち出してきても、「あれは古い見解だから」の一言で片付けられてしまうことが多いのである。ものみの塔協会は、自らの作り上げたこのような体質をフルに活用している。
最初の宣言は一種の詭弁であった。
エホバの証人の出版物は、聖書の年代記述から考えて人間存在の満6,000年は1970年代の半ばに終わるということを示してきました。しかし、それらの出版物は、その時に終わりが来るとは一度も述べていません。それにもかかわらず、この問題に関してかなりの個人的推測がなされてきました。それで、「『その日と時刻』がわたしたちに告げられていないのはなぜですか」と題する大会の話は実に時宜を得たものでした。その話は、神がいつ終わりをもたらすかその厳密な時をわたしたちは知らない、という点を強調しました。(1975年1/1号p.27)
この雑誌は、ものみの塔協会が豹変した1974年の夏の地域大会についてコメントしたものである。「終わりが来るとは一度も述べていません」と宣言している。
先にも記したように、この宣言自体大いに問題なのだが、それよりももっとひどいのは『それにもかかわらず、この問題に関してかなりの個人的推測がなされてきました。』という陳述である。
人間存在の満6,000年について、「大いなるヨベルだとか、キリストの千年統治開始の年と一致する」などと推論したのはいったい誰であったか。それは他ならぬ、ものみの塔協会だったのである。ところが、「自分たちはそういうことはしていない、やった人は個人的にしたのだ」ということにしてしまった。組織の正式な機関紙で公表しておきながらである。内心では、この記事に疑問を感じた人は少なくなかった。
ここで使われているのは、言葉の一つの意味だけを問題にして、全体の意味をはぐらかすという詭弁のテクニックの一つである。
ともかくも、これで騒いだのは騒いだ人の方に責任があるのだということにしてしまった。
次に行なったのは、なぜ1975年に終わりが来ないのかという教義的な説明である。
では以上のことは何を意味するでしょうか。それはこういうことに過ぎません。そうした要素や、またそれらの要素から生まれ得る幾つかの可能性がある以上、アダム創造から最初の女の創造までにどれほどの時が経過したかを、はっきり言うことはできない、ということです。それが一か月、数か月か、または一年といった短い期間であったのか、あるいはもっと長い期間であったのか、わたしたちには分かりません。しかし、それがどれほどの期間であったにせよ、神の第七「日」、すなわち神の大安息日が始まってからどれほどの時がたっているかを知るには、その期間を、アダムの創造以後経過した時間に加えなければなりません。そういうわけで、人間が存在し始めてから6,000年たったということと、神の七番目の創造の「日」が始まってから6,000年たつということは、全く別の問題なのです。そしてこの点に関してはわたしたちは、自分たちが時の流れをどこまで下っているか知りません。(1976年10/15p.629,25節)
簡単に言えば、アダムが造られてから、動物に名前をつけること、女の創造などの出来事があったので、1975年にはハルマゲドンはありません、その期間のことが聖書には記されていないので、終わりを推測することは不可能ですという説明である。この記事も大会の講演(1975年夏の大会)をまとめたものである。これで、教理的な説明のけりはついたのである。
1979年で伝道者数の減少が収まると、ものみの塔協会も強気になった。本格的な責任転嫁の開始である。
「神の自由の子となってうける永遠の生命」という本が発行され、その中に、キリストの千年統治が人類生存の第七千年期に当たると見るのは極めて妥当であるという注解があったことから、1975年という年に関するかなり大きな期待が生じました。そのときにも、またそれから後にも、それは単なる可能性に過ぎないということが強調されました。しかし不幸にして、そのような警告的情報と共に、その年までの希望の実現が、単なる可能性よりも実現性の多いことを暗示するような他の陳述が公表されました。後者の陳述が警告的情報を覆い隠して、すでに芽生えていた期待を一層高める原因になったらしいのは残念なことでした。
「ものみの塔」誌は、1976年10月15日号の中で、特定の日だけに目を留めるのが賢明でないことに触れ、次のように述べました。「こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら、そういう人はみな、自分の期待に背いて、あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく、自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り、自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」。「ものみの塔」誌が「みな」と言っているのは、落胆したエホバの証人全部ということです。したがって、その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々も、これに含まれます。(1980年6/15p.17,18。5,6節)
断言したことなどすっかり忘れて(まちがいなく意識的に無視)、自分たちは単なる可能性を示したに過ぎないということにしている。しかも、私たちは警告したのだと。これで悪いのはすべて調整できない人のせいになってしまった。
警告というのも本当は眉唾ものである。次に引用するは、1975年7月15日号に載せられた夏の大会の宣伝である。
1975年は、間違いなく、非常に意義のある興味深い出来事のあった年として歴史に残る年となるでしょう。そうした出来事の中には、4日間にわたるエホバの証人の「神の主権」地域大会があります。この大会は出席した人々にとってとりわけ長く記憶に残るものとなるでしょう。・・・(p.448)
もし、1974年の夏の地域大会から本気で警告を開始したのであれば、警告に徹するべきであった。「1975年は・・・歴史に残る年になるでしょう」などという思わせ振りなことは、書くべきではなかったのである。こういうことをものみの塔誌に載せればどういう影響があるか彼らは十分に知っていたのだから。
1984年になると、もっと大胆な記事が出た。諸教会はキリストの再臨に関して怠惰で霊的な眠りを誘ってきたのに対し、ものみの塔協会は目覚めるよう勧めてきたと述べたあとに、次のように記している。
なるほど、聖書の年代学の裏付けのあるように思えた期待が予想通りの時期に実現しなかったのは確かです。しかし、神の目的が成就されるのを見たいと熱心に望むあまり多少の過ちを犯すことは、聖書預言の成就に関して霊的に眠っているよりもはるかに好ましいのではないでしょうか。モーセも40年の計算間違いをして、イスラエルの苦悩を取り除くために早まって行動しようとしたのではありませんか。(1984年12月1日号p.18,14節)
乱暴な論議である。モーセも間違いを犯したから良いではないか、警告したのだから自分たちは正しかったのだという主張である。ここまで来れば、もう完全な開き直りである。
これが、ものみの塔協会の責任の取り方である。彼らが正直に真実を認め、謙遜に間違いや過ちを改めることなど、とうてい期待できないことがよくわかると思う。この体質は今に始まったことではない。長い間、ものみの塔協会はこういうやり方で通してきたのである。エホバの証人も組織が改善するなどとは考えない方がよいだろう。
そろそろまずいなというころになると予防線を張り、都合の悪いときはひたすら沈黙、徐々に責任転嫁を計り、もう大丈夫だということがわかると開き直る。ものみの塔協会は、今後もこのパターンを踏襲してゆくに違いない。
1975年騒動はすでに過去のものになろうとしているが、教義上の問題はまだ残っている。一つは、1975年は本当にアダム創造以来六千年の区切りになるのかということであり、もう一つは大いなるヨベルの問題である。
1975年の計算は正しいことになっている。これはまだ否定されてはいない。したがって、この観点に立つと、私たちは今、アダム創造から罪が入るまでのエポックにいることになる。アダムは今年の秋には14歳を迎えることになる。
アダムが造られてからの出来事を整理してみる。
問題はこれがどのくらいの期間になるかということある。それによって、1975年からハルマゲドンまであとどれほどの時間が残されているかの目安がつくことになる。
神は少しも急ぐ必要はなかった。時間は有り余るくらいあった。しかし、一般的には、これはそれほど長い期間ではなかったとされている。「アダムは最初から成人として造られた。彼には生計を立てるという問題はなかった。エデンの園にいたのは原種だったので、動物の種類はそれほど多くなかった。神は初めから人を男と女を造る予定でいた。産めよ増えよという命令が与えられていたのに、二人にはまだ子供ができていなかった。」こうしたことがその理由としてあげられている。
C・T・ラッセルはこの期間を数年、終わりの時の計算では2年と考えていた。
ものみの塔協会は、1975年の夏の大会の講演、1976年ものみの塔誌10月15日号以来、この問題については沈黙したままである。もっとも、もう答えようがないとは思うが。
アダムは何年一人でいたのか、罪が入るまでにどのくらいの期間があったのかーもちろん正確なことは誰にもわからない。しかし、ある程度の妥当な範囲というものはあるだろうから、いずれ、1975年についてはそれなりの結論が出るはずである。
対型的ヨベル、大いなるヨベルとは、ものみの塔協会の説明では、イエス・キリストによる千年統治のことであった。この見解をさらに拡張する記事が1987年1月1日号に登場した。この記事はヨベルを霊的に拡大したもので、クリスチャンはすでにヨベルを祝っているという主張であった。
検討してみると、すぐに幾つかの論理上の欠陥や矛盾点が目についた。それに、もうヨベルを祝っているのだと言われても、末端のエホバの証人にとっては、ものみの塔協会の体制の中でそういう気分になるのはかなり難しいことだろうと思われたので、1986年12月18日付けで次のような質問を本部に送ってみた。
(1) 1/1号p.21,11節にはクリスチャンのヨベルが罪とその影響からの自由をもたらすものであることが述べられています。
しかし、今まで私たちが学んできたことからしますと、罪から解放するキリストの完全な犠牲を予示していたのは、むしろ、多くの動物の犠牲に関する律法の方でした。言うまでもなく罪の許しは血を注ぎ出すことなしにはありえません。(ヘブライ9:22)
それでこの研究記事のように、ヨベルの予示している事柄に罪からの自由を含めるとすると、ヨベルの律法は動物の犠牲に関する律法をも含んでいたということになってしまいますが、それでよろしいのでしょうか。もしそうだとすると、そのように言えるのはどうしてでしょうか。
あるいは、もしそうでないとすると、ヨベルに罪からの解放を含める聖書的根拠にはどんなものがあるのでしょうか。(贖罪の日は、あくまでも贖罪の日であると思いますので)
(2) 経済的自由、社会的自由と罪からの自由、義認を比較すると聖書的には罪からの自由のほうがはるかに重要であると言えます。ヨベルの律法の基本的な特徴は前者の方です。解放、自由という観点だけでヨベルの意味を罪からの解放にまで拡大すると、その特徴における比重は、むしろ後者の方に移ってしまうことになると思います。それでよろしいでしょうか。
(3) p.24,6節の副見出しは、「1919年ー最初の解放」となっています。1919年が最初ということは、ラッセル兄弟のように1919年より前に死んだ現代の油注がれた残りの者たちは、「このヨベルの解放」を祝わなかったことになりますが、そのように受け取って宜しいのでしょうか。
もしそうであるとしますと、ラッセル兄弟たちが祝ったヨベルはどんなヨベルでしょうか。それは西暦33年から始まっているクリスチャンのヨベルということになるのでしょうか。そのように考えることが正しいとすれば、33年と1919年のヨベルにはどのような違いがあるのでしょうか。
(4) クリスチャンが祝うべき祭りに対型的な仮小屋の祭り(14万4千人ーAD33年から天へ行くまで、その他の人々ーバプテスマを受けてから千年統治後の最後の試練が終わるまで)があります。この祭りはクリスチャンが、その住むべき地の完全な住人になるまでは祝い続けるべきであるとされています。ヨベルの祝いはこの仮小屋の祭りの期間と対応するのでしょうか。またクリスチャンは相続地にはすでに帰っていても、そこを所有してはいないということになるのでしょうか。
(5) ヨベルを罪からの解放に拡大することには、どんな産出的な意味があるのでしょうか。
予想したことではあったが、この質問に対する返事はなかった。間もなく同年の3月1日号に興味深い記事が出た。何とヨベルの記事は、百年を越えるものみの塔誌の歴史の中でも、ベスト23に入る画期的な記事だというわけである。しかも、ものみの塔の記事は、選ばれた統治体の成員による綿密な検査を受けたものである、と述べられていた。
それで、次のような前書きを添えて、もう一つの質問を送ることにした。
1987年1/1号の研究記事が、108年に及ぶものみの塔誌の歴史の中でも23の重大記事の一つにあげられるほど重要な記事であるとは全く知りませんでした。普通の記事でも綿密な検査をされているということですので、1/1号ほどの記事ならなおのこと、徹底的に検査し吟味なさったものと思います。そうであれば、私の質問に答えるのはそれほど難しいことではないと思いますので、よろしくお願い致します。
「追加の質問」
言うまでもなく、ヨベルは世襲地に戻る制度です。AD33年、クリスチャンとなった人々は、新しい契約に基づき新たにその身分を得たのであって、その身分に戻ったのではありません。これはヨベルの特徴に合いませんが、この点はどのようにお考えでしょうか。神と人間の関係における歴史的回復という点では、確かにそのように言えると思います。しかし、解放、自由だけでヨベルにあてはめるのは何とも無理があるように感じられますが、いかがでしょうか。
返答はものみの塔誌上でもけっこうですと申し添えたのであるが、いまだに何の解答もない。
統治体は歴史的な記事だと全世界に向かって宣言したのだから、神と人に対して責任を感じるのであれば、何らかの形で答えるべきであろう。ただひたすら沈黙というのは、はなはだ無責任な態度である。どれもこれも彼らにとっては都合の悪いことなのであろうが、それでもクリスチャンとして一片の良心が残っているのであれば、少しくらいは誠意を示してもよいはずである。
まともな返答がもはや全く期待できないというのは、何とも寂しい話である。統治体とものみの塔協会は、今まで何度も繰り返してきた公約不履行をこれからも続けて行くに違いない。
1985年6月、川崎市で交通事故にあった小学生が輸血を拒否して亡くなったという事件は、センセーショナルな問題としてマスコミにも大きく取り上げられた。その後も輸血に関連した事件が相次ぎ、宗教上の理由から輸血を拒否するというエホバの証人の立場は広く知られるようになった。
ものみの塔協会の教義の中でも、この輸血禁止は最も社会的な摩擦を引き起こす戒律である。即、生命が関わってくる問題なのでそれは当然のことといえよう。基本的人権、人命尊重という点では一つの社会問題ともいえる。
世界的な組織を有するキリスト教の団体で、輸血禁止の教義を唱えているのはものみの塔協会の他にはない。そうした点を考えると次のような疑問が沸いてくると思う。はたして、輸血にはどの程度の聖書的根拠があるのか。また、本当に緊急時であっても命をかけてまで守らねばならないほどの戒律なのか。神はそうした点をいったいどのように見ているのか。
この章ではこうした問題点を取り上げることにしたい。まず最初に、ものみの塔協会があげている輸血禁止の根拠から検討を始めることにする。
輸血の歴史は中世にまでさかのぼるといわれているが、本格的に行なわれるようになったのは第一次世界大戦以降とされる。その当時は、ものみの塔協会もP・S・L・ジョンソン等の内紛で、輸血どころではなかったようで、組織の幹部も、まだ血の律法と輸血の関係に注目するには至っていない。
血の神聖さと血の誤用に関する記事が、ものみの塔誌に登場するようになったのは1927年ころからと伝えられている。しかし、すぐに輸血禁止が教義として定められたわけではなかった。組織の戒律として制定されるのは、第二次世界大戦の終了する1945年ころのことである。その年までには、「血を避けるように」という聖書中の禁令は輸血にも当てはまるとの見解が、世界中のエホバの証人に発表されるようになった。(「1976年 エホバの証人の年鑑」p.222参照)
その後、この問題については多くの出版物で論じられてきたが、それらをまとめるとだいたい以下のような論議になる。
神は創造者として「血」についてすべてのことを知っており、命の与え主として「血」をどう扱うべきかを定める全面的な権利を有しておられる。それゆえ人は創造者の律法を尊重しなければならない。
神は大洪水の直後、ノアに対してはじめて「血」についてのご自分の見解を明らかにされた。
その規定は創世記9章3、4節に記されている。
「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように、わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし、その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。」(新世界訳)
血の律法には直接関係のないことであるが、新世界訳のここの翻訳は少々変である。「その魂つまりその血を伴う肉」と訳すと、魂=肉(血を伴う)となってしまうからである。こだわらなければそれほど問題にならないかもしれないが、ものみの塔協会の教義にはたしか、魂=肉というのはなかったはずである。
新共同訳では次のようになっている。
「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」
この血に関する禁令は、極めて重要な道徳的原則として、全人類に課せられた神の律法であった。「血」は「命」と同格に扱われており(レビ17:10〜14.申命記12:23〜25)、非常に神聖なものとされている。殺された動物の「血」を注ぎ出すことは、生命が創造者からのものであり、同時に命が神に依存するものであるという認識の表明を意味していた。この聖句が直接述べているのは動物の血に関してであるが、人間の血についてはなおのこと当てはまるはずである。神が動物の血でさえ神聖なものとみなされるのであれば、神の像に創造された人間の血はそれ以上に神聖なものとみなされて当然である。
このように、人類史の初期に、神は血についての考え方を明らかにされ、殺人と血を食べるという行為を禁止されたのである。
ノアに与えられたこの禁令はモーセの律法にもそのまま取り入れられた。しかし、これは律法下のイスラエル人にだけ当てはまるというものではなかった。というのは、キリスト教の体制に移ってからも、この律法の順守は引き続き求められることになったからである。
西暦49年にエルサレムで開かれた会議の際、非ユダヤ人でキリスト教徒になる人々が守らねばならない事柄について、次のような決定がなされた。
「すなわち、偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば、あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください」(使徒15:29 新世界訳)
このエルサレム会議の決定から、初期クリスチャンたちは、「血を食べてはならない」という命令をキリストによって廃止されたモーセの律法とは区別し、恒久的に守らねばならない神の要求と受け取っていたことがわかる。
その点について、ドイツ、ゲッティング大学の教授ヴァルテル・ツィメルリはこのように注解している。
「最初のユダヤ人クリスチャン会衆は、使徒15章に伝えられる決定の中で、モーセを通してイスラエルに与えられた律法と、ノア[を通して]全世界に与えられた命令との区別を明らかにした」−Zurcher Bibelkommentare (「エホバの証人と血の問題」p.12)
この命令が一時的なものでなかったことは、使徒たちの活動の記録から理解できる。そこにはエルサレム会議から約10年後の状況について記されており、当時のクリスチャンたちが「血を避けなさい」という決定に従っていたことが述べられている。(使徒21:25)
さらに、2、3世紀の神学者たちが残した文献は当時のクリスチャンたちが、「血を避けなさい」という命令を忠実に守っていたことを物語っている。
したがって、「血を避ける」という戒律は単に一時的な戒律として与えられたものではなく、人類が恒久的に守るべき戒律として制定されたものであることがわかる。
では、この律法は具体的にはどのようなことに当てはまるのだろうか。血の律法が適用される範囲について、ものみの塔1982年1月15日号は次のように述べている。
「神のお考えを知らなかったり考慮に入れなかったりする大勢の人は、人間の血液を輸血に用いることをよしとします。また土地によっては、人々がブラッドソーセージのように食物に動物の血を混ぜて食べるところもあります。血の誤用の例はこれだけではありません。と殺した動物の血で肥料を作ったり、それをドッグフードやキャットフードに加えたり、他の商品に加えたりして利益を得ようとする実業家もいます。・・・・・・律法が取り除かれた後も、神はクリスチャンに「血を避け」ねばならないと指示されました。それで、エホバの証人は血を食べることも輸血を受けることもしないのです。また、血の様々な商業的な利用をも是認しません」(p.30)
文字通り血を飲むのはもちろんのこと、輸血、血の入った食品を食べること、さらに血を商業的に利用することなどは、神の律法に対する違反行為であると断定している。
輸血については「とこしえの命に導く真理」p.167で、さらに次のように説明されている。
今日の、人間の血の使い方についてはどうですか。血に命をささえる力のあることを知る医師たちは、病人の治療にあたって、自由に輸血を採用しています。これは神の御心にそうことですか。輸血は血を「食べる」こととは異なると考える人がいるかもしれません。しかし、患者が口から物を食べることができない場合、医師はときに輸血を施すのと同じ方法で養分を取らせるのではありませんか。聖句を細かに調べ、『血から離れていなさい』、また『血を避けなさい』と命じている点に注意してください。(使徒行伝15:20,29)これはどういう意味ですか。医師が酒類を避けなさいと命じた場合、それは酒を口から飲んではならないが、直接に静脈に注入することはさしつかえないという意味ですか。もとよりそうではありません!それで、『血を避ける』ということは、血をいっさいからだの中に入れてはならないという意味です。(下線はものみの塔協会)
聖書が書かれた時代には輸血というものがなかったのだから、とうぜん輸血という言葉は聖書中には出てこない。しかし「血を避けなさい」という神の命令は、明らかに輸血にも当てはまる。注射で取り入れることも口から摂取することも、結果的に血を体内に取り入れることに変わりはないからである。
以上が、輸血は「血を避けなさい」という神の命令に違反するものであるとする、ものみの塔協会の見解である。エホバの証人はこうした組織の説明を少しも疑うことなく受け入れている。
ものみの塔協会は、輸血禁止が緊急時で生命に関わるような状況であっても固守しなければならない規則であると主張している。これは決して、日本支部のコメントのように、成員の自由意志に任せられているような規則ではない。
なぜ、命をかけてまで守らなければならないのか、その理由として、「話し合いのための聖書の話題」という小冊子は以下の点をあげている。
ロ.命を救うからといって神の律法を破ることは正当化されない
- (1) 従順は犠牲に勝る
- サム前 15:22(神は犠牲より従順を喜ばれる)
- マルコ 12:33(心をこめて神を愛することは捧げ物をすることよりはるかに価値がある)
- (2) 家族に対する愛はキリストへの愛に次ぐ
- マタイ 10:37(キリストよりも家族に愛情を持つ者はキリストの追随者としてふさわしくない)
- (3) アブラハムは従順に息子を捧げようとした
- ヘブル 11:17〜19(神に対する信仰からアブラハムはイサクを犠牲として捧げようとした)
- 創世記 22:9(アブラハムは息子イサクを縛って祭壇の上に寝かせた)
- (4) 神の律法より自分の命を大切にするのはゆゆしいこと
- マルコ 8:35,36(自分の魂を救おうとする者はそれを失い、良いたよりのために自分の魂を失う者はそれを得る)
(41.血 p.23参照)
はっきり断っておかなければならないのは、これらの聖句は決して無条件で輸血に適用できるものではないという点である。エホバはパリサイ人的な体質の神ではないので、明確な適用が規定されていない律法を機械的にすべて同じレベルのものとして見ておられるわけではない。加えて、ご自分の民が置かれている状況を無視して、規則のみを優先するような神でもない。
ここにあげられている聖句を輸血に適用するには、「輸血禁止が神によって定められた絶対的な律法である」という条件が不可欠になってくる。もしそれが満たされないとすれば、これらの聖句とその論議は輸血の教義には当てはまらないことになる。判断の分岐点となるのは、「神が本当に輸血をしてはならないと定めたのか、それとも定めたのはものみの塔協会にすぎないのか」ということである。
エホバの証人はものみの塔協会に教えられている通りに受け取っている。だから、輸血をしなければ助からないというような状況に直面した時には、命をかけて戒律を守らなければならないという圧力の下に深刻に悩むのである。死にたいと思っている人は誰もいない。ただ、輸血禁止が絶対的な律法だと思っているので、神に対する忠節が試されているのだとしか考えられないのである。
最近の日本支部のコメントとは異なり、最初からものみの塔協会がそういう主旨で教えていたことは間違いのないことである。
それは次の経験によく示されている。
マリー・M・グリーサムは、彼女の弟ダン・モルガンが経験した事柄をよく覚えています。ガンの末期にあった彼は、輸血をきっぱりと拒絶したためにニューヨーク市のある退役軍人の病院から三度追い出されました。四度目の入院が認められた時も、なお彼は輸血を拒否しました。グリーサム姉妹はこう語っています。「それは1951年8月のことで、ダンは1951年10月に54歳で亡くなりました。ダンはとても幸福で平安そのものでした。死ぬちょうど四日前、彼は別の姉妹に、自分はまもなく眠りにつくけれども、忠実を保つことができ、またキリストの追随者の『小さな群れ』のひとりになるという大きな報いがあるので幸福だと語りました」
・・・・グラティス・ボルトンの場合を考えましょう。彼女は、脾臓に通じる大動脈に脈瘤ができているので脾臓を切除しなければならないと医師から言われました。それで、輸血をしないという条件で手術を受けることに同意しました。・・・・彼女の主治医は約束を守りました。・・・・医師はこう言いました。『ボルトンさん、あなたの神エホバを絶対に見捨ててはいけませんよ。医学のあらゆる歴史や記録からすれば、あなたはとっくに死んでいるはずです。あれほど多量の血液を失って、しかも生きた人はいまだかつていませんからね』。わたしは答えました。『デイビス先生、わたしはエホバを捨てるつもりは毛頭ありません。でも、エホバの証人は今日信仰治療を教えてはいないのです。わたしたちは良い医師と看護婦の方々に感謝しています。それに、みなさんはわたしの命を助けるために一生懸命努力してくださいました。でも、血に関するエホバのご命令に従ったので、わたしたちすべては祝福されてきました』。(「1976年エホバの証人の年鑑」p.224)
ものみの塔協会は、このような経験談を豊富に取り上げ、神の律法を破ってまで自分の命を救おうとするなら、むしろ、永遠の命を失う結果になるということを強調している(マタイ16:25)。
この規則が命を賭けてまで守らねばならない戒律として定められていることは、絶対に間違いがない。
川崎で起きた輸血拒否事件の際、日本支部はマスコミに対して次のようなコメントを発表している。昭和60年6月7日付の朝日新聞には「本人の意思を尊重」という見出しのもとにこう記されている。
「聖書は「創世記」「レビ記」(以上旧約)「使徒行伝」(新約)の中で動物などの血を食べることを禁じている。肉を食べるのはかまわないが、血は「命」を表しており、地面に注いで神に返す、という考え方からだ。輸血も「血を食べる」と同じに解釈している。戒律として課しているのではなく、あくまでも本人の意思を尊重している。」(下線は発行者)
これを聞いて驚いたエホバの証人は多かったのではなかろうか。私たちは、あのコメントは絶対におかしいと思った。
組織の取り決めによると、輸血をした場合には、審理委員会が開かれることになっているからである。長老、監督たち用のテキストである「王国宣教学校の教科書」59ページには、排斥に値する罪として、「『血を避け』ようとしないこと(ほとんどは輸血)」がはっきりと記されている。事実、輸血をして排斥された人もいるし、長老の場合は自分の家族(妻や成人した子供が信者)が輸血を受けると、その職を解かれる確率はきわめて高いのである。
したがって、輸血拒否は組織的なレベルで求められている「戒律」であって、本人の意思に任せられているような規則ではない。本当にそうであれば、大勢のエホバの証人が死なずにすんだはずである。エホバの証人はみな輸血を絶対的な戒律として受け止めている。だからこそ、彼らは自分の、あるいは子供の命を犠牲にしてまでも輸血を拒もうとするのである。
輸血そのものの論議からは離れるが、支部のコメントについてもう一言触れておくことにする。このコメントは、日本支部の偽善的な体質を如実に物語っている。「輸血禁止」の教理を規則化したのは神に対する忠誠を第一に考えているからであると宣伝しておきながら、都合が悪くなると、戒律として課しているのではないなどと責任回避をするのである。確かにどんな規則も最後には、守るかどうかは本人の意思次第ということになるが、それを持ち出すのは詭弁である。はっきりいえばこのコメントは公のウソである。そう感じた人は少なくなかったはずである。
おそらく、これはまずいと、言った本人も内心では思ったのではなかろうか。常識で考えれば誰でもわかることである。戒律として課されていないものを、成員が命をかけてまで守ろうとすることは、通常ありえないからである。
事件の直後に日本支部から送られてきた内部向けの手紙では、すべてはマスコミを用いたサタンのワナ、エホバの証人の拡大をねたんだサタンの悪質な攻撃ということになっていた。これは、創価学会などでよく使う「大作先生の法難」式の手である。大なり小なり組織宗教であれば、だいたいどこでも使っている手段である。
あのときは一種異様な雰囲気があったので、日本支部も特殊心理状態に陥って、一時的な責任逃れに詭弁を使ってしまったのではなかろうかと思っていたのであるが。ところが、最近もまた同じことを発言したという。クリスチャンの普通の感覚では考えられないくらいに、偽善のレベルが上がっているのかもしれない。
命をかけてまで守らなければならないのか、それとも、そこまでする必要はないのか、この問題を決するカギはやはり聖書である。聖書に本当に根拠があれば、クリスチャンは輸血を拒否すべきだということになるが、しかし、もし根拠がないのであれば、実にばかばかしいことになる。ものみの塔協会のために死んでも、神の誉れになるわけではないからである。しかも、日本支部のコメントのようなものが出てくるのであれば、なおさらそう言える。
血を食べてはならないという命令はあっても、輸血という言葉は直接聖書の中には出てこない。したがって、問題は聖句の適用一点に絞られることになる。「血を避けなさい」という神の戒めを、はたして輸血に適用できるのか否か、それが分岐点になる。
聖書は輸血を禁止しているのか・・・・そんなことは絶対にない。愛の神がそのような理不尽なことを要求するはずはない。ものみの塔協会の解釈は間違っている。輸血禁止の教理は聖書の曲解、独善的なこじつけに基づくものである、諸教会は主張している。
輸血拒否の根拠とされている「血を食べてはならない」、「血を避けなさい」の解釈についての反論は、以下のようなものである。
「聖書が禁じているのは根本的には流血の罪である。生命尊重の教えが聖書の教えだ。輸血と流血は全く別である。輸血は生命尊重に基づくが、流血(殺害)は逆である。」(「エホバの証人はキリスト教か」千代崎秀雄著p.18)
これは「血を避けよ」の規定の背後にある「精神」を問題にした論議である。輸血は生命尊重の精神、流血は人命軽視の精神・・・全く違うではないか。それをいっしょにするのはとんでもない暴論であるという主張である。
流血行為も輸血もともに、体外に血を出すという点では同じであるが、しかし、上記の指摘の通り、その目的や主旨はまったく異なっている。したがって、「血は神聖なものなので、神の取り決め以外のことにはいっさい用いてはならない。それ以外はみな流血行為である」というものみの塔協会の主張は、「血を出す」という点だけに目を止めた論議といえる。規定の背後にある精神を無視しないと、そういう主張は出てこない。精神を基準にして考えれば、輸血は流血行為ではない、血に対する不敬な行為ではないという結論になる。
では、どちらに注目するのがクリスチャンとして正しいことなのかといえば、それは明らかに規定ではなく背後にある精神の方である。律法の規定そのものにこだわる方式は、パリサイ人的な体質を反映するものであって、キリストによって断固として退けられた宗教モードである。
やはり、次のように考えるのが妥当であろう。
血の禁止は人のためにあるので、人が血の禁止のためにあるのではない。
戒律とかきまりとか言う法律に題する定文化されたものは、状況の変化や当事者の個性や能力を無視する。そしてその適用を誤れば、その存在目的に反するものになる場合すら出てくる。だから決して万能ではない。だからイエスは言われる。
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ福音書22:36より39)
このように一番大切なものは愛である。だからパウロも言う。「愛は律法を完成するものである(ローマ人への手紙13章10節)」と。間違えてはいけない。律法(戒めなど)の下に愛があるのではない。愛の下に律法があるのである。イエスの戦いはまさにここにある。(「エホバの証人」内藤正俊著p.17〜18)
さらに、エルサレム会議で出された禁令は、主に「血を飲む、血を食べる」という当時の習慣を対象にしたものであるとする論議がある。厳密には、輸血は血を食べることや飲むことには当たらないというわけである。
「問題は血を避けるすなわち、間違っても食べてはいけないというわけだが、輸血は果たして、食べるあるいは飲む行為なのだろうか。
食べるといえば普通、口からはいり、胃に入り胃液や酵素によって分解され、腸で栄養分として吸収され、不要物は便として出る。
ところが輸血された血液は、分解されず、そのまま血管内でもとの血液のまま生き続ける。そしてそれは元のものから変質してはいけない。だが口から入れたものは、その形も、その物の要素も、働きも、全く別の物質として体内に入る。これからしても、輸血と食べる事とは全く別のものである。」(「エホバの証人」内藤正俊著p.20〜21)
輸血はダメなのか、それともかまわないのか、結局これは、論点の絞り方、論議の組み立て方によるといえよう。今まで検討してきたように、聖書からは解釈しだいでどちらの結論も導き出すことができる。ただ、キリスト教の精神からすると、ものみの塔協会の方が圧倒的に不利だとは思うが。
結論として言えることは、この教義には絶対的な根拠はないということである。神の是認を得るためには輸血を拒否しなければならないというようなことはない。「血を避けよ」だけでは聖書的には断定できないのである。
輸血禁止は、単にものみの塔協会の権威で絶対化されている教義にすぎない。この教義は1945年ころに導入されたようであるが、ちょうどこれは「統治体」の教義が確立された時期と重なっている。おそらく、この教義も純粋に聖書的な理由というよりは、組織のポリシー優先で制定されたものであろう。
唯一の神の組織の証のため、殉教の記録を打ち立てるため、諸教会との対比を鮮明にするため、流血の罪を他宗教に負わせるため・・・デメリットよりもメリットの方が大きいと判断したのであろう。純粋に信じて被害にあった人こそいい迷惑である。
ものみの塔協会や統治体の是認を得るためには、輸血は拒否しなければならないかもしれないが、神の是認を得るには必ずしも必要ではない。もし神が本当にものみの塔協会の言う通りに、輸血は絶対ダメだと判断しているのであれば、輸血をしているクリスチャンには神の霊的な呪いか糾弾が臨んでいてもよさそうなものである。しかし、現実を見るかぎりでは、そのような徴候は全くない。神も輸血にはそれほどこだわっていないということであろう。
ただし、私たちも基本的には、輸血をしないほうがよいのではないかと考えている。しかし、これは主として宗教上の理由に基づくものではない。そういう意味もまったくないというわけではないが、健康上の理由による方がはるかに大きい。
輸血は一般に考えられているほど安全な治療法ではない。エイズ、血清肝炎その他の血液感染症の問題はあるし、血液不適合の危険性もある。特に輸入血液の場合は危険性が高い。血友病患者にエイズ感染者が増えていることはそれを物語っている。赤十字が保証するほど輸血は安全ではない。しないですむならば、それに越したことはない。
しかし、緊急時は全く別である。輸血しか方法がないというのであれば仕方がないであろう。可能性があるかぎりは、生きることに全力をあげるべきだと思う。その方が命を与えてくださった神の主旨にもかなうはずである。何も、ものみの塔協会ごときに命を捧げる必要はない。彼らは神ではないのだから。
エホバの証人の社会的なトラブルで、輸血に次いで多いのが武道拒否に伴う問題である。輸血のように直接命に関わるというわけではないが、この教義の被害者になるのは学齢期にある子供たちなので、その子の一生に重大な影響をもたらしかねない。親にとっては何とも心を痛める教義の一つであろう。
たいがいの場合は、学校側が妥協して融通をきかせてくれる(レポート提出、見学参加を許すなど)ので、それほど深刻な事態には至らずにすんでいる。しかしそうでないときは、進級できないとかスムーズに卒業ができないといったやっかいな問題が起きてくる。時には退学になってしまうような最悪のケースも生じている。
去年の春先にも、神戸のある商業高校で起きた問題が報道され反響を呼んだ。「二年生の男子生徒10人が、格技(柔道)の授業を宗教上の理由で受けることができないとして拒否し、学校側の説得にも応じず、大半が進級をあきらめ、退学して定時制高校などへの転校しかないとの意思を固めている」という報道であった。
こうした武道拒否による学校側とのトラブルは、他のキリスト教会には見られず、ほとんどエホバの証人特有の問題になっている。もちろん、この教えもそれなりの聖書解釈に基づいて作られてはいるが、ものみの塔協会独特の教義の一つといえる。この教義にも、いかにもものみの塔協会らしい独善的な感性が反映されている。
問題点はだいたい次の二点に集約される。
これらの質問に対する答えが“イエス”であれば、格闘技は避けるべきであるという結論になるが、しかし、“ノー”であれば、やるかやらないかは単に個人的な問題にすぎないということになる。
一般に行なわれている格闘技には多くの種類がある。生命の危険を伴うようなものもあれば、護身術として役立つものもある。中にはクリスチャンにとってふさわしくないようなものも確かにあると思う。ただ、問題になっているのは格闘技すべてではなく主に学校で行なわれている武道なので、その点に絞って考えてみることにしたい。
ものみの塔協会が格闘技を禁じている最大の聖書的根拠は「平和の原則」である。ほかにも、格闘技の起源とか悪霊崇拝につながる危険性などを問題点としてあげてはいるが、学校で行なわれている格闘技に関していえばとうてい通用する論理ではない。
基本になっているのはあくまでも、格闘技と聖書の説く平和の精神とはあわないという論議である。
その点について「学校とエホバの証人」という小冊子(p.29)には、次のように説明されている。
エホバの証人は聖書が次のように述べる人々の一人でありたいと思っています。「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」−イザヤ2:4.
聖書はまた、こう述べています。「できるなら、あなた方に関するかぎり、すべての人に対して平和を求めなさい」。(ローマ12:18)これらの原則を生活に当てはめると、格技に対する私たちの態度にも影響が及びます。それにはボクシングやレスリングはもとより、柔道、剣道および相撲などの武道が含まれます。これらの武道は今日スポーツとみなされています。エホバの証人は、広くスポーツと呼ばれているものを学校が教育の一環として取り入れていることに異議を唱えたいとは思いません。しかし前述の聖書の原則を考慮するとき、ほとんどのエホバの証人は格技を練習することは良心的にできないと感じています。なぜなら、そのような技術は、実際に人と争うときに用いられることがあり、そうした技能に心得のある人は問題の解決法として腕力に訴える場合のあることが観察されているからです。ですから、エホバの証人はそのような格技には加わりません。証人の若者たちはそのような競技に参加することを免除していただくよう願い出ますが、授業時間内に行われる他の体育教育の教科課程には喜んで、できる限り協力いたします。
格闘技は今日スポーツの一種と見なされるようになってはいるが、ものみの塔協会から見るとそうではない。したがって、格闘技をすることは聖書の教える「平和の原則」、その精神に反している、平和を求める人は格闘技をすべきではない、戦いの方法を学ぶのは非クリスチャン的だというわけである。
説明を読むとわかるように、この教義の規準になっているものは、ものみの塔協会の幹部、統治体の武道に対する感覚である。絶対的な根拠は何もない、私たちはこう感じるのでそのようにすべきだという論法である。まず最初に、武道はダメという一義的な感性があって、それを成立させるために他の人が納得しやすい平和の原則を持ち出してきているにすぎない。
それは、この見解の前提になっている非常に重要な論点について、何の説明もしていないことからわかる。格闘技禁止の正当性を主張するのであれば、次の二つの質問に明確に答えて然るべきである。
もしこれらの点について納得のゆく説明ができるのであれば、この格闘技拒否の教義もそれなりに成立するかもしれない。しかしそうでなければ、「どうしてもそう感じる人はそうすればよいであろう。何も自分の感性を他の人にまで押しつけることはない」という程度の教理にすぎなくなる。
この格闘技拒否の教理に伴う問題点を明らかにするのは少しも難しいことではない。ポイントは実に単純で、スポーツかそれともそうでないかという点だけである。聖書的にどちらかに断定することができるのか、それとも単に感性の問題に過ぎないのかということが、判断の分岐点になる。
平和の精神そのものに反対の人はいないであろう。互いに平和を求めることに異論のありようはずがない。イザヤ2章4節の「剣をすきの刃に、槍を刈り込みばさみに打ち変える。国民は国民に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ばない」という聖句は、国連の目標、標語にもなっている。また平和を願う人であれば、学校で子供たちに人殺しの訓練をさせることに賛成するような人はいないはずである。
したがって、トラブルの原因は聖書の述べる平和の精神そのものにあるのではない。そうではなく、それを格闘技に当てはめるものみの塔協会の適用の仕方、その一点にあるといえる。
ものみの塔協会は、武道は単なるスポーツではない、それは戦いの方法を学ぶことである、極端に言えば人殺しの訓練にも通じる、武道を習うと闘争本能が刺激されて有害である、と主張している。ものみの塔の幹部、特に教義を作っている統治体のメンバーはそのように感じるらしい。
しかし繰り返すが、今日武道をそのように考える人はほとんどいない。軍隊の訓練ならいざ知らず、一般にはもはやスポーツとみなすのが普通である。柔道はオリンピックの種目になって、はや20年以上になる。
この感性の違い、ものみの塔協会と、一般社会の見方の食い違いがトラブルの最大の原因になっている。それでも、もう少しものみの塔協会も一般の感性を踏まえたうえで説明をしているなら、もっと理解もされようが、自分たちの見解を主張し、ただそれを押し付けるだけでは反発されても当然であろう。
スポーツだと思う人には格闘技はスポーツにすぎない。そうでないと感じる人には単なるスポーツではない。これは感性の違いだからどうしようもない。
このような場合、立証の責務は異なった意見を主張する側にある。どちらかに一本化するのであれば、異なった感性の人々をも納得させるだけの証拠が必要になる。それを提出できないのであれば、ものみの塔協会も絶対的な教義として人に課すべきではない。自分の感性を信者に押し付けるというのは、キリスト教の崇拝の原則に真っ向から反することである。
他のキリスト教会は格闘技をどのように考えているのであろうか。私たちの調べた範囲では、ものみの塔協会以外に、格闘技を禁止している組織はほかになかった。総じて、問題意識すら持っていないというのが諸教会の状況である。
あるクリスチャンは護身術のためにと、子供に剣道を習わせているそうである。比較的戒律が厳しいといわれるモルモン教でも、身体を鍛えるのは好ましいことだから、武道は差し支えないということであった。
戦時下ならいざ知らず、現在の武道に対する社会的な意識では、もはや「平和の原則」と抵触することはないというのが、他の一般的なキリスト教会の判断のようである。
今日多くの国々で格闘技はすでに、スポーツや護身術の一種と考えられるようになっている。これは否定のできない事実である。学校の授業に武道を導入することに反対した人々は、軍事化の動きを危惧したのであって、別に武道そのものに反対したのではない。剣道が本当に人殺しの訓練の意味を持つのであれば、日教組やPTAも決して黙ってはいまい。
もちろん、行う人の動機や目的、あるいは状況によって格闘技の持つ意味も変わりうるとは思う。身体を鍛えるため、精神修養のためという人もいるだろうし、あるいはケンカに強くなるためという人もいるかもしれない。ものみの塔協会が格闘技を非とする原則として上げているイザヤ2章4節の「戦いを学ばない」に、反する人もそうでない人もいるはずである。これは、表面だけでは単純に決めることのできない問題である。
したがって、格闘技が単なるスポーツ以上の意味を持つか否かは、格闘技を行う人の動機と、それが行われる状況によって決まるといえる。あくまでもスポーツだと思っている人にはスポーツ以上の意味はない。特殊な状況を持ち出したり、自分たちの感性を根拠にして良いの悪いのというのは、大いに間違っている。
いかなる人も信仰の主人になってはならない。コリント第二1章24節の述べる通りである。
「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。」(新共同訳)
格闘技に対する感じ方、受け止め方は決して一様ではない。その意味は人の感性や様々な状況によって異なってくる。同じことは闘争精神についても当てはまる。武道は有害な闘争精神のみを育むわけではない。事実は決してそうではないことを物語っている。すべてを一律に考えることはできないのである。
紛争や戦争、争いを生み出すような闘争精神であれば確かに有害なものといえる。クリスチャンがそのような精神を育むのは間違ったことであろう。しかし闘争精神をすべて一括して悪いと決めつけることはできない。なかには必要な闘争精神もある。
例えば、使徒パウロはクリスチャンに邪悪な霊の勢力と「闘う」ように勧めている。(エフェソス6:12)内面の戦いを止めることは、邪悪な精神に犯されてゆく結果を招く。それはクリスチャンにとって真に致命的なことである。これこそ、格闘技拒否などで平和を愛しているというポーズをとるよりも、はるかに重要な問題である。またテモテ第二4章7節では「わたしは戦いを立派に戦い、走路を最後まで走り、信仰を守り通しました」と述べて、信仰の戦いを続けるよう励ましている。このように、聖書は私たちにすべての戦いを禁じているわけではない。闘うことが良いか悪いかは闘う相手、対象、目的、動機、状況によって異なってくる。
セネカは「生きることは戦うことである」と語ったと伝えられている。確かに人はいろいろな意味で毎日戦って生きている。人体には病原菌を含め、様々な異物が侵入してくる。もし免疫機構がそれらの外敵と戦うことをやめてしまったら、人間はたちまち死んでしまうに違いない。意識外のこうした戦いの他にも、ストレス、事故、災害など人生における戦いには様々なものがある。
このような生命の敵と戦う上で武道はどのような意味を持つであろうか。ほとんど関係ないという人もいれば、大いに役立ったという人もいるはずである。おそらく状況は人様々であろう。すべてを禁止しなければならない必然性はまったくない。
ものみの塔協会は「ほとんどのエホバの証人は格技を練習することは良心的にできないと感じています。なぜなら、そのような技術は、実際に人と争うときに用いられることがあり、そうした技能に心得のある人は問題の解決法として腕力に訴える場合のあることが観察されているからです」と述べているが、これは真摯な態度で武道に取り組んでいる人にとってはとうてい承服できない発言であろう。
むしろ「武道の道はまったく逆である。そういうさもしいあさはかな根性の人に礼を教えるのが武道である」という反論が、当然出てくるものと思う。
武道を習うと暴力的な傾向が強まるとか、格闘技を行わない人の方がより平和を求めるようになるなどと、単純に言えるものではない。現に格闘技を身に着けていても平和を愛する人もいれば、格闘技には全く無関心でも、暴力的な人や争いを起こす人は大勢いる。平和的か暴力的かは、一概に格闘技を行う、行わないで、決めつけることはできないのである。
それに、平和を乱すものは必ずしも実際の暴力行為や争いだけとは限らない。言葉による暴力もあれば、権力の濫用という暴力もある。心の中の暴力は非常に陰湿で質が悪い。しかもすべての暴力行為の根になる。
学生のエホバの証人が皆、平和を求める点でものみの塔協会の宣伝通り模範的であるなら、この教義に対する反発もかなり少なくなるものと思う。それほど徹底して平和を愛するというのであれば、周囲の人もそれなりに「なるほどそういう主旨であれば」と納得するかもしれない。
しかし、平和の精神により武道を拒否するという人々が、他人の迷惑も顧みず利己的な態度をとったり、ときに陰で不良グループの仲間だったり、いじめに加わっていたなどということがあると、反発はより大きなものとなっても仕方がないであろう。武道拒否などと騒ぐ前にもっとやることがあるのではないか、といわれるのも当然である。形だけの平和では意味がないのだから。
武道にこだわるよりもクリスチャンとしての精神態度を重視する方が、はるかに大切なことだと思う。ヤコブも指摘しているように、非産出的な争いは何といっても利己的な渇望から生じるわけだから(ヤコブ4:1,2)。
争いの根に取り組むことは、武道禁止などとは異質の問題である。真のクリスチャンならば、むしろ、そちらの方に取り組むべきであろう。神が求めておられるのも真に平和的な精神のはずである。
この章で取り上げるのは、行事、祝日、習慣、冠婚葬祭、学校生活などにおいて、ものみの塔協会が公的にあるいは暗黙のうちに禁止している事柄である。
かつてのユダヤ教ほど膨大な戒律があるわけではないが、ものみの塔協会の規則もかなりの数に上る。どうも最近は、次第にその数が増えてきているようである。1985年に出された「学校とエホバの証人」というブロシュアーには、その傾向が顕著に現れてきている。おそらくものみの塔協会のすべての戒律を守ろうとすると、通常の社会生活および学校生活は不可能になるだろう。これは、特に子供たちには大変な精神的負担になっている。
その土地によってかなり異なる面もあるが、禁止されているのは以下のようなものである。
主な祝日を月ごとに並べてみたが、もちろんこのほかにも祝祭日はまだたくさんある。基本的にはそれらの祝日はすべてふさわしくないとされている。クリスチャンが祝うべき唯一の記念日は、キリストの死の日、主の記念式ということになっている。
祭りや記念日の多い地方に住んでいるエホバの証人ほど、家族の他の成員や地域社会とのトラブルが多くなる。
これらは、表向きは「勧められていないこと」になっているが、組織の是認を得るという点では、ほとんど禁止されているようなものである。この勧めを受け入れない人は、特権コースからは外されることになる。
「学校とエホバの証人」の25ページには、
「証人の若者たちやその親が考慮したい重要な質問は次のとおりです。クラブ活動は学校の授業時間内に限られていますか。クラブ活動は学校の注意深い監督を受けていますか。クラブに入ると、家族あるいは会衆の活動でより良く過ごせる放課後の時間が取られるようになりますか。結局、何かのクラブ、あるいは学校の組織に子供たちが加わるのを許すかどうかを決めるのは、証人である親の責任です。」
と記されているが、巡回大会や地域大会で行う実演には、もう少し組織の本心が表れている。
子供たちがクラブに入ろうか、何かのスポーツをしたいがどうしようかと親に相談する。すると、親はものみの塔協会のいろいろな出版物を持ってきて、子供と特に否定的な面を話し合う。結局、最後は集会や奉仕に差し障りがあるのでやめるということにする。ほとんどがこのパターンで終わるものばかりである。
規則としてはっきり制定されていなくとも、良くないとされているものはまだ他にもたくさんある。そうした数々の点については、ものみの塔誌や目ざめよ誌、王国宣教(成員向けの会報)などで、随時扱われることになる。それらの指示に精通するのは大変なことである。その資料は実に膨大な量に達するからである。右へ行ったり、左へ行ったり、ときどき組織も方針が変わるので、長老たちや親にはなおさら負担となっている。
組織としてのポリシーは別にあると思うが、聖書的な理由としてあげられているのは主に次の二つである。
世から離れている(ヨハネ17:16)
「かれらもこの世のものではありません。」とイエス・キリストが語ったので、弟子たちは世から離れていなければならないというわけである。クリスチャンが世俗的すぎるのは確かにふさわしいことではないにしても、この適用の範囲がどこまでなのか、誰がそれを制定するのかということは大いに問題になる。
ものみの塔協会は、一般の行事や習慣、慣行にそのまま当てはめている。したがって、厳密に適用しようとすれば、それだけ禁止事項が増えてゆくことになる。
- 20 いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。
- 21 主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。 (コリント第一10:20,21)
- 14 あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。
- 15 キリストとべリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか。
- 16 神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
- 17 だから、あの者どもの中から出て行き、遠ざかるように』と主は仰せになる。『そして、汚れたものに触れるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
- 18 父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。』 (コリント第二6:14〜18 新共同訳)
ものみの塔協会は、自分たち以外はみな大いなるバビロン、すなわち悪霊的な宗教と決めつけているので、他の宗教に関係のある行事、祝日はすべてダメということになる。そういう行事に参加することは、悪霊崇拝に連なることであり、神の不興を招くとされている。極端に字義的に解釈すれば、触れることすら汚らわしいということになってしまう。「疑わしきはすべて避けよ」である。
これが、起源にこだわるゆえんとなっている。「学校とエホバの証人」の20、21ページを見るとわかるが、そこでとり上げられている正月、節分、母の日などはみな、起源が問題であるということになっている。古くから伝えられている行事や習慣は、ほとんどが宗教的ないわれや起源を持っている。地方に残っている行事には、素朴な土俗信仰と結び付いたものが多い。起源を問題にしてゆくと、良いものはほとんどなくなってしまう。
しかし、ものみの塔協会もずっと前から起源を主な禁止の理由にしていたのではない。かつては全く逆のことを言っていたときもあったのである。
ゆえにクリスチャンにとって気にする必要があるのはおもにどんな事ですか。ある象徴またはデザインが何千年も前におそらく何を意味したか、あるいは遠い他の国でそれがどのように見られているかではなく、自分の住む土地で、大抵の人にとってそれが現在何を意味しているかということです。・・・・
偽りの崇拝に使われてきたデザインは様々のものが数多くあるため、もし人が手間と時間をかけるならば、身の回りにあるほとんどすべてのデザインには好ましくない結びつきのあることに気づくでしょう。しかしなぜそんな事をするのですか。それは不必要に心を悩ますことではありませんか。しかもそれは頭と時間を最善に使う方法ですか。(目ざめよ!1977年4/8号p.14,15)
起源ではない、現在それがどう見られているかということが重要なのであるという考え方である。ものみの塔協会としては、珍しくものわかりの良い記事であった。
今は、起源などはクイズ番組の問題になるような時代である。一般の人で起源を知っている人はほとんどいない。何も時代錯誤的な論議を蒸し返す必要などないはずなのに、どうして再び起源の論議を持ち出してきたのであろうか。おそらくこれは、R・V・フランズ兄弟の指摘するように、組織のポリシーのなせる業に違いない。ものみの塔協会は、戒律強化の方針を取り始めたということであろう。
主な理由は霊的な清さのため、この世の業や悪霊的な習慣で神の会衆を汚染させてはならないということであった。しかし、どうもこれは表面的な理由にすぎないように思われる。
ものみの塔協会の組織としての最大の動機は何か−それは間違いなく組織の拡大である。拡大はエホバの祝福、是認の印ということになっているので、拡大が続いているかぎりは苦しい言い訳を考えずにすむ。そして何よりも拡大は、幹部の特権の向上をもたらすのである。これは別にものみの塔協会に限ったことではなく、組織宗教というのはみなそういう形態になっている。
この点から言えば、戒律が多くて信者に負担をかけるというのは、マイナス要因になるはずである。楽園と地上での永遠の命の希望に心ひかれても、戒律の大変さでつまずいてしまう人は決して少なくないからである。しかし、それでもあえて戒律を増やそうというのはなぜであろうか。
この背後には組織としてというよりも、組織の幹部としての動機が働いているように思える。統治体の目が内部に向くとき、どこに焦点が当てられているかが問題になるわけである。
R・V・フランズ兄弟の内部告発によると、統治体が組織内の様々な問題を討議するとき最も腐心していたのは、「組織をどう支配するか、いかに組織の支配体制を強化するか」ということであったという。そうであれば、戒律主義強化の背景には統治体の組織支配の願望があると見て、まず間違いはないであろう。そして、組織としての動機よりは、幹部としての動機、すなわち権力志向の方がより勝っているということでもあろう。戒律を多くすれば、組織の権力は強化されるからである。
もう一つは伝道である。これも結局は組織支配の一貫になるが、余計なことには携わらずにひたすら伝道に打ち込んで欲しい、あるいはそうさせたいという組織の欲求が背後にあると考えられる。伝道、集会に追い立てられるような生活を可能にするには、戒律を多くして成員を縛るのが手っ取り早い方法になるからである。
霊的な清さ、クリスチャンとしての清さは、戒律を守ることによって達成されるわけではない。もちろん、すべての戒律が必要ないということではないが、清さの規準を戒律に置くのはキリスト教の進展からすれば、時代錯誤的な行き方になる。
ものみの塔協会は、自分たちは戒律主義ではないというかもしれないが、実質はそうなっている。彼らは動機や姿勢、精神態度よりも、組織への盲従、組織の戒律への従順を重視している。その態度や考え方はパリサイ人的な行き方に非常によく似ている。
戒律主義は霊的な清さをもたらすよりも、むしろ、人間性の欠如や内面のゆがんだ醜さを助長してきたという皮肉な側面を持っている。「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。例えば、律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったのである」(ローマ7:7)というようなことが、戒律主義には多く生じうるのである。
こうしたことは何もユダヤ教やキリスト教に限ったことではない。宗教全般に広く見られる現象である。清貧と厳格な戒律を謳い上げた僧院や修道院、禅寺で、いったい何が行われてきたかを考えてみればよい。もちろん、清さの完成や悟りをめざして誠実に努力した人も大勢いた。しかし、多くの場合、裏では醜くゆがんだ欲望によるアブノーマルな世界が繰り広げられてきたのである。そこには歴史の豊富な証言がある。これは、いまさら試してみる必要のないくらい、繰り返し繰り返し実証されてきたことである。
神を愛するとは神の戒めを守ることです(ヨハネ第一5:3)、と使徒ヨハネは述べているが、戒律を強調するのと愛を強調するのとは全く姿勢が異なってくる。「本当に神を愛している人はその戒めを守るはずです、つまり、本当に神を愛しているのかいないのか」を問題にするのと、「神を愛するとはイコール神の戒めを守ることです、戒めを守っていれば良いのです」というのは、主旨がぜんぜん違う。
イエス・キリストが強調したのは内面の状態、心のあり方のほうであった。次の聖句は、弟子たちが伝統を守らないとパリサイ人に非難されたことに対するキリストの反論である。
- 17 口の中に入るものはみな腸に進んで行き、下水に排出されることに気づいていないのですか。
- 18 しかし、口から出るものは心から出て来るのであり、それが人を汚します。
- 19 たとえば、心から、邪悪な推論、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒とくが出て来ます。
- 20 これらは人を汚すものです。しかし、洗ってない手で食事を取ることは人を汚しません。 (マタイ15:17〜20 新世界訳)
キリストは決して手を洗わないで食事をすることを勧めたのではない。問題にしているのはパリサイ人の姿勢である。彼らは手を洗う洗わないというようなことに目くじらを立てながら、それよりもはるかに重要な内面の清さをないがしろにしていたのである。
人を本当に汚すのは内面の醜さである。戒律主義というのは、心の醜悪さのカモフラージュに使われることが多い。
- 23 偽善者なる書士とパリサイ人たち、あなた方は災いです!あなた方は、はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら、律法のより重大な事柄、すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行うべきことだったのです。もっとも、それら他方の事柄も無視すべきではありません。
- 24 盲目の案内人、ぶよは濾し取りながら、らくだを呑み込む者たちよ!
- 25 偽善者なる書士とパリサイ人たち、あなた方は災いです!あなた方は杯と皿の外側は清めますが、その内側は強奪と節度のなさとに満ちているからです。
- 26 盲目のパリサイ人よ、杯と皿の内側をまず清め、それによって外側も清くなるようにしなさい。
- 27 偽善者なる書士とパリサイ人たち、あなた方は災いです!あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは、外面はなるほど美しく見えますが、内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。
- 28 そのように、あなた方もまた、確かに外面では義にかなった者と人に映りますが、内側は偽善と不法でいっぱいです。 (マタイ23:23〜28 新世界訳)
この指摘の通りであろう。何よりもまずは、杯と皿の内側を清めよ!である。そういうことを脇に置いといて、祝日、慣習、冠婚葬祭等にこだわるのは無意味である。ものみの塔協会はパリサイ人と同じように順序が逆になっている。真っ先にすべきことは内面を清くする努力であろう。
だいたいが戒律主義というのは偽善者を生み出しやすいのである。ポーズを決めてかかる宗教家にろくなのはいない。すべての人がそうだとはいわないが、外を飾る度合いと内面の醜さはほぼ比例関係にあると考えてよい。
キリスト教の理想は愛の律法のみである。最終的には愛の律法だけで細かい戒律はすべて不要になるのが、キリスト教の完成された姿である。(ローマ13:8〜10)。戒律は減っていく方が望ましい。そうであれば、その組織は健全な発展を遂げているといえる。
ものみの塔協会はそれとは正反対である。成長しているのではなく後退していっている。組織の権威で戒律を増やそうとするのは、時代錯誤的な行き方である。戒律の強化で本当に問題を解決することはできない。組織としてはそういう方法を採用する方が楽なことかもしれないが、それは真のキリスト教をめざす者のすることではない。
思い切って戒律を捨て、クリスチャンとしての内面を強化する方向に向かうほうがはるかに勝っている。キリストが勧めたのはそういう道なのだから、こちらがそれに徹して天に問うてゆくならば、必ず神も答えてくれるはずである。
絶対的な根拠がない、そう言えるだけの聖書的な裏付けがないというときには、無理して組織の権威で答えようとするのではなく、素直に天の権威に道を譲ればよいと思う。神が本当に主権者であって、キリストが羊を導いているというのであれば、天は霊的な裁きを通して答えを出してくれるはずである。もし、何の答えもないのであれば、それは答えを出さねばならないほどの問題ではない。キリストはそのように判断したに違いないくらいに考えておけば、それでよいのではなかろうか。
誕生日を祝ったら偶像崇拝になるのか、応援歌一つ歌うくらいで世の精神に汚れてしまうのか、祭りを楽しんだら悪霊崇拝に加わったことになるのか、これは組織が判定すべきことではない。是認するかしないかを決めるのは天なのだから、先走って越権行為などせずに黙って神とキリストに委ねればそれでよいのである。組織は余計なことなどせずに、天に委ねることを教えるべきであろう。
もしその行為が本当に神からみて間違ったことであり、正確な知識に基づかないものであれば、それなりの結果が出てくるはずである。そういうことを行ない続ける人々は、次第に次の聖句のようになってゆくはずである。
- 28 そして、ちょうど彼らが正確な知識をもって神を奉ずることをよしとはしなかったように、神も彼らを非とされた精神状態に渡して、不適当な事柄を行うにまかされました。
- 29 彼らがあらゆる不義・邪悪・強欲・悪に満たされ、ねたみ・殺人・闘争・欺まん・悪念に満ち、ささやく者、
- 30 陰口をきく者、神を憎む者で、不遜、ごう慢、またうぬぼれが強く、有害な事柄を考え出す者、親に不従順な者であり、
- 31 理解力がなく、合意したことに不誠実で、自然の情愛を持たず、憐れみのない者であったからです。
- 32 こうした事を習わしにする者は死に価するという、神の義なる定めを十分に知りながら、彼らはそれを行ないつづけるだけでなく、それを習わしにする者たちに同意を与えてもいるのです。 (ローマ1:28−32 新世界訳)
神が間違っている、ふさわしくない、是認することはできないと判定したのであれば、その人は聖霊を取り去られる。そうするとだんだん非とされた精神状態が現われるようになる。ねたみ、そねみ、憎しみ、激発的な怒りなどを制御することができなくなってしまうのである。そういう徴候が出てきたら、間違っていたのだと思えば良い。致命的にならない前に悔い改めれば、神に捨てられてしまうことはないだろう。天の恵みも戻ってくるはずである。
判断を神に委ねることができないという人は、理解力に欠陥があるのではない。問題なのは心の方である。動機にやましいところがなければ、答えを天に問うことができるはずである。そうすることができないとすれば、もっと別の動機に支配されている証拠になる。ものみの塔協会の場合は組織支配という強力な動機があるので、宣伝や公約とは裏腹に、裁きを天に委ねることができないのである。
ここ数年、私たちの実験してみたことからすると、祝日、冠婚葬祭等の分野におけるものみの塔協会の戒律は、全部とは言い切れないかもしれないが、そのほとんどは不要であることがわかった。ほぼそう断言しても差し支えないと思う。
神は天地の創造者である。これほど変化に富んだ世界を創造した神が、あれほど物分りが悪く堅苦しいということは、神性から考えてもありえないはずである。狭苦しくしているのは、神ではなくて、統治体の精神の方であろう。
ものみの塔の終焉
昭和63年4月25日 印刷
昭和63年4月28日 発行