『事件簿』・その後

●掲載の経緯と「その後」

 「事件簿」は末端の会衆に対する協会の扱いを克明に描いた稀有なドキュメントです。埋もれる前に公にし、多くの方々に読んでいただきたいと願ってきました。全文を公開したいと考え、編者の金沢さんの許可を取るべく、消息を尋ねていたところ、あるご親切な方から、ご実家の電話番号を教えていただき、まず金沢さんのお父様とお話しする機会を持つことになりました。

 最初お父様は、誰も金沢さんに取り次ぐことはしないという厳しい姿勢で臨まれました。しかし、話し合いの中で趣旨をよくご理解くださり、幸いにも例外的に「息子がどのように判断するか、お返事を書くかどうかもわかりませんが、手紙を送って下されば転送します。」とおっしゃていただくことができました。

 99年の春、ご実家にお手紙を差し上げた後、金沢さんご本人からお葉書をいただきました。その中で金沢さんは手短かに二つのことを述べられています。一つは、すべての著作は私の好きなようにさせていただけるということ、今一つは「すべての出来事はもう遠い昔のことのよう」という現在の心境でした。

 公開後、メーリングリスト上で感謝の声が多数あがりましたので、これを短くまとめてお送りしています。私の方から金沢さんをメーリングリストにお誘いしたり、「その後」についてお尋ねしたりしたことは一度もありません。以上が金沢司さんと私との接触のすべてです。

 そのようなわけで、広島会衆の「その後」について私からは何もお答えできることがありません。1985〜87年と言えば、組織の拡大にもっとも拍車のかかっていた時期で、排斥者に対する眼は冷たく厳しいものがありました。どのような経過を考えるとしても、「その後」の広島会衆の皆さんのご苦労は察するに余りあります。今はどの方も普通の社会に戻られ、それぞれの生活を守っていらっしゃるのでしょう。

●「事件簿」の意味するもの

 しかし、誰も「その後」を語らないとしても、彼らはすでに十分良い仕事を残しました。日本でおそらく最初の大量排斥を、冷静な眼で記した先駆的な働きは賞賛に値します。私はこれを読む方々に、「広島会衆の出来事は例外的なことだった」と受け取って欲しくありません。記録に残された、支部が物事を進める方法や反映された精神などは広島会衆に対する扱いにとどまらない、全日本的、全世界的なものです。これが一会衆で起きた、たんなる突発的な出来事だとすれば、ウェブ上に掲載する意味はそれほど大きくはないでしょう。

 この見方を支持する証言はレイモンド・V・フランズの「良心の危機」にも見られます。「良心の危機」と「事件簿」は「ものみの塔」という人工の構造物を、ちょうどその頂上(統治体)と土台(末端の会衆)という異なる地点から観た独立した記録です。その主張と分析が一致していれば、描かれる構造物の輪郭はいっそう信頼に足るものとなります。

 集団排斥は1980年にブルックリンベテル上層部でも起きており、この出来事に対する観察は「事件簿」のそれとよく似ています。

「イエス・キリストの親切さはまるで見られなかった。暖かい友情や、その基礎となる心からの理解もなく、ただ冷たい組織のやり方があるだけに見えた。常に最悪の解釈をし、疑わしきはすべて罰し、・・・・それはまるで巨大な裁きの機械がスイッチを入れられて動き出し、まったく感情も容赦もなく、ただ最終目標に向かって唸りをあげながら回転を続けているようでもあった。これが現実だとは信じ難いほどだった。」(「良心の危機」p347)

 事実日本でも多くの排斥は、権力を握る者が、その「心に念じるだけ」で、あるいはたんなる「思いつき」で行われています。排斥する側は「排斥に至るまでには決められた手続きがある」と反論するでしょう。しかし私から見れば、心で念じた排斥を「正当化し、完了するための手続き」があるだけです。よしんば、排斥という具体的な形を取らないとしても、似たような扱いは個々の会衆の個人レベルにおいて、小規模に、日常的に繰り返されています。組織を覆うこの反友愛的な精神の影響は、個人が形式的にも排斥にまで至るかどうかとは別に、多くの人生に深い傷を負わせるものとなってきました。

 またレイは、一連の集団排斥に引き続いて起きた自らの排斥の経緯を述べるにあたり、それが珍しいやり方ではなかったということにも触れています。

「ここで詳しい話をするのは、別に私の経験したことが特に入り組んでいるからでもないし、特殊だからでもない。他の人も経験したことや、この種のケースで常にエホバの証人の長老たちが行なうことに通じる、実に典型的なものだからである。中央権威から教え込まれた人たちの考え方・やり方をよく示すものだとも言える。」(「良心の危機」p398)

 たいていの人は自分が組織を辞めていく記録を克明に残すようなことはしていません。広島会衆の仕事の価値は、ここ日本における、普通の会衆で起きた「実に典型的な」「中央権威から教え込まれた人たちの考え方・やり方をよく示す」実例を、本の形で記録し、エホバの証人の歴史に残したことです。広島会衆の叫びは一つの象徴なのです。それは広島会衆自身のものであると同時に、辛酸を嘗めた名もない多くの兄弟たちのものです。

 若い時代に自らの経済基盤を築くことと引き換えに、長年組織と人々に仕え、消えてしまった方々の「その後」はいかばかりかと慮らずにはいられません。中高年を過ぎ(また、それほど年を取っていないとしても)、本来の能力に見合った仕事に恵まれず、馬車馬のように働き顧みられることのない、組織が生み出した”広島会衆の成員”は、この日本に決して少なくないと思われるのです。過去に同様の思いをした人たちが孤立させられたまま放置されないよう、また「事件簿」が今後このような人々を生まないための抑制力としても機能するよう希望するものです。

 今後STOPOVERは、「事件簿」「欠陥翻訳 新世界訳」に続く「ものみの塔の終焉」「ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために」などの残りの著作も公開していくことと思います。それはたんなる一つの会衆の事件を超えた、知られざる兄弟たちの、筆舌に尽くしがたい経験の記念碑と言うべきものなのかもしれません。

 組織は彼らを認めませんでした。密かに葬り去ろうとしたのです。しかし、私とSTOPOVERの仲間たちとは、金沢さんと広島会衆の皆さんの勇気と自己犠牲の働きを、心からの感謝とともに、公に讃えます。

Feb.22.'01    孫 濱

# 「事件簿」など著作に記された住所に、該当する関係機関は既になくなっています。電話番号にいたっては、事件とはまったく無関係の方が使用されるようになっていて、今でも時々かかる電話に迷惑されているとのことです。どうぞ、これら原著書に記載されている住所、電話番号宛てに連絡なさらないようお願いいたします。

●「その後」続報

(2007.11.7追記)上記のような経緯により、当サイトは長らく金沢氏の著作をお預かりしてきましたが、その後、氏が執筆活動を再開されたとのご連絡をいただきました。その際、当サイトは今後とも「金沢文庫」を掲載するお許しを改めていただきました。


金沢文庫に戻る