運営係 ~tilde の横顔

JWを辞めるまで

「まさか……。1914年はキリストの臨在の始まりではなかったというのか」

「エホバの証人情報センター」のホームページを読み終えた時、私は心の中で叫び声を上げた。衝撃を受けると共に、事実を今まで確かめてこなかった自分を責める気持ちが湧き上がってきた。悔しさと怒りが込み上げてきた。

同時に、動揺を懸命に吹き消そうとするもう一人の自分がいた。

「確かにこの文章を読む限り、エルサレム陥落の年は西暦前607年ではない(従って1914年はキリストの臨在の開始ではない)という結論を受け入れざるをえない。しかしこの情報がどこまで信頼できるというのか。百歩譲って、この情報が考古学的に見て正しいとしよう。しかしながら、聖書の歴史記述が考古学者たちから疑問視されていたにもかかわらず、最終的には聖書の史実性が明らかとなったという事例が幾つもあるのではないか……早まるな!焦るな!落ち着け!」

やがて冷静になったとき、私は静かに決断した。「事実を確かめよ。納得するまで調べてみよ」と。

あれはまだ高校生の頃だった。非公式の証言をきっかけに聖書研究が始まった。漠然と無神論を受け入れていた私の心に、聖書の珠玉の言葉が強く深く語りかけてきた。愛、公正、知恵、力の属性を持たれる偉大なる神、エホバへの畏敬の念と感謝の念が、徐々に私の中に培われていった。贖いについて学んだとき、キリストの愛が自分に迫ってくるのを感じた。神を信じ、聖書を信じ、クリスチャンとして生きてゆこうと純粋に思った。こうして1988年、18歳の時に私はバプテスマを受けた。……そして、その時から10年が経とうとしていた。

事実を確かめることは、厳しい現実と対峙することでもあった。……自分は真実を十分に知らぬまま、エホバの証人となったのだろうか。証人として歩んできた10年間は、偽りの教理ゆえに狂わされていたのだろうか。……遅すぎた。愚かだった。しかし、悔やんでも嘆いても、決して何も解決できない。たとえ辛い宣告を下すことになろうとも、もはや自分は前に進む以外になかった。

自分を納得させるために、私はこれを行った。新たな人生を歩む決意ができるようになるまで、私はこれを行った。……国会図書館に何度も通って文献を読み漁り、考古学的な見地からは、エルサレル陥落の年が西暦前607年とは言えないことを確信した。しかし聖書的な見地からは、「荒廃の70年」(歴代U36章)の聖書解釈を覆すことができずにいた。考古学上は、エルサレム陥落から約50年後に、ユダの民はエルサレムに帰還したとされているからである。もし、聖書も考古学も正しいのであれば、JWの解釈に誤りがあるはずである。しかし、自分一人の力ではそれを見つけることができなかった……意を決し、私は大野教会の中澤啓介牧師(当時)に連絡を取って助けを求めた。教会の牧師へ連絡を取ることに対する一抹のためらいはあったが、ここで止めるわけにはいかなかった。……この決断は確かに報われた。氏の著作の一つ「ものみの塔のアキレス腱」は、考古学的見地、聖書的見地の双方からこの問題を扱っており、私の必要を満たして余りあるものであった。

こうして私は、「終わりの日」の教理が誤っていることを確信するに至った。そして、ひとたびこの点を確信したなら、その教理を土台とする他の教理をも退けるべきであることは、言うまでもないことだった。その教理の中に、1919年に忠実で思慮深い奴隷がキリストによって任命されたという点も含まれていることは、エホバの証人の方ならば容易に理解して頂けることだろう。(マタイ24:45−47)

しかし、それだけでは終わらなかった。決壊した水門から放たれた水流のごとく、疑問の濁流が勢いよく押し寄せていた。もはや、疑問を抑えることができなかった。いや、そうする必要などなかった。

もはや自分が心から信じていないことを、家から家に伝え歩くことなどできなかった。忠実で思慮深い奴隷級を受け入れることができない以上、集会に参加する意欲など湧くはずがなかった。

力強い良心の声に従い、私は決断を下した。エホバの証人を辞めることを。

しかし私は、断絶を選ばなかった。もはや私にとって、証人のこの方法に従うことさえも、拒絶すべきことに映った。カルト教団の手法に一切束縛されることなく、むしろ仲間に真実を伝える機会を残すことも考慮し、自然消滅の道を選ぶことにした。

これを機に、私は聖書の信憑性に疑問を抱き、現在に至っている。創造者の存在を否定しないが、どこかの教会に通うつもりはない。

社会復帰を目指して

集会に一切行かなくなった後、すぐに私は週5日勤務のいわゆる全時間の仕事に就いた。証人当時から環境問題に関心のあった私は、自然保護活動を行っている某団体のボランティア要員となり、フレックス勤務の合間を見て度々参加した。しかし、業務に追われる日々が続き、中途半端な形で退いていった。大学に進学して環境問題を学び、いずれはその方面で就職するという将来設計を漠然と夢見ていた。しかし、学費捻出などの目処が立たず頓挫した。背負いきれない目標と厳しい現実との狭間で、空回りする日々が続いていた。

今振り返ると、証人を辞めた直後の私を支配していた感情は、喪失感であった。

証人を辞めた後、一体何をしたらよいのか、分からなかった。これまでの私には、「人類が抱える問題の唯一の解決策である神の王国を触れ告げる」という使命があった。「迫り来るハルマゲドンで、エホバがご自分の宇宙主権の正しさを立証なさる時、神の証人として神の側に立つことができる」という映えある喜びを目前に控えていた。自分は真理の道を歩んでいると堅く信じていたのだ。その全てを否定した今、それに変わるものを私は懸命に捜し求めていたのだった。エホバの証人であった方ならば、この思いを理解して頂けると思う。

喪失感が重くのしかかる一方で、自尊心も弱められていた。カルト教団に属していた自分が愚か者に思えてならなかった。「自信」と「誇り」を取り戻したかった。しかし心の奥底では、まだまだやり直せるという思いもあった。目標を掲げて前に進むことが自分に活力を与えてくれた。従って、環境問題という人類的な関心事に身を捧げる姿は、証人の次の歩みを模索していた当時の私にとって、魅力的なものに映っていた。しかし、イメージだけが先行しており、本心からそれをやりたいわけではなかった。今にして思えば、喪失感を何とかして埋め合わせ、自信を取り戻したい一心で、もがき苦しんでいたのだった。そのことに気が付いた私は、背負いきれない高尚な目標という荷を下ろした。もっと気楽に構えると共に、地に足の付いた考え方ができるようになっていった。今でも環境問題に関心はあるが、ゴミの分別など日々の生活の中で心がけるようにしている。

実は証人時代から、私はずっと情報処理の技術職に就いていた。先に触れた全時間の転職先も、ソフトウェア開発業者であった。バプテスマ当初から私は、手に職を付けながら奉仕に励むことが賢明であると判断していた。そして何より、私はこのエンジニアの仕事が好きだった。無論、証人を辞めた後でもその気持ちに変わりはなかった。

この仕事を続けるうちに、私は、自分が今携わっているシステムエンジニア(以下、「SE」)の仕事が、本当に心の底から面白くなってきた。

クライアントの要求を具現化し、仕様書、設計書という形で次第にまとめ上げてゆくこと。やがてシステムが動き出し、お客様に納品し喜んで頂いたこと。……そう、平凡である。普通である。が、ただ素直に楽しいと感じることができた。エンジニアである自分に「自信」を持ち、このSE という仕事に「誇り」を持つことができた。いや正確に言うと、証人時代からすでにそう自覚してはいたのだが、「王国の希望」ゆえに霞んでいた。しかし、荒唐無稽な選民思想を捨て、達成できない目標を追い求めるのをやめ、もっと気楽に現実と向き合うことで、自分のすぐ目の前にあった宝物 ── 楽しくてやり甲斐のある仕事、「自信」と「誇り」をその上に築いてゆくことのできる価値ある事柄 ── を、しっかりと自分の両腕でつかみ取ることができた。今、自分は幸せであると思っている。

この心境の変化は、対人関係の面でも良い影響を与えた。

辞めた当初は、”普通”に振る舞い周囲に同化しようと努めていたのであるが、どこかで演じている自分に嫌気が差し、ぎこちなさを感じていた。証人を辞めた直後の私は大きな喪失感を味わい、自尊心も弱まっていた。しかし、技術職というやり甲斐のあるものを見出してからは、カルト教団に属していたことを卑下する気持ちは薄れていった。”普通”を演じることなど、不要なことに思えた。証人として歩んできた10年間も自己の一部であり、その全てを真っ向から否定する必要などない。そこにさらなる何かを育んでゆけばよいのである。そう思えるようになった。時経つうちに、聖書の道徳基準が、対人関係を円滑にする上で役立つことを実感する場面にしばしば直面した。その一つ一つはささやかな出来事ではあったが、証人時代に培った事柄が全く無駄ではなかったと感じ、素直に嬉しかった。こうした事柄も、自分に「自信」と「誇り」を取り戻すことにつながっていった。私は今、聖書が神の言葉であるとは信じていないが、人生訓の一つとして大切にしてゆきたいと思っている。

社会復帰を目指しているあなたへ

ここまで、私 ~tilde の自己紹介を読んでくださり、有り難うございました。

もしかするとあなたは社会復帰を目指しておられる方ですか。ご覧頂いたように、私もその途上にあり、小さな一歩一歩を進んでおります。

このメーリングリストで私は、回復を目指す大勢の仲間と知り合うことができました。あるメンバーの方が、このメーリングリストの仲間を「戦友」と呼んでいました。私もそう感じています。戦場で共に命をかけて戦ってきた同士……しかし、ある者はその戦争で傷を受け、ある者はその戦争自体が無意味だったことを悟り心に傷を受けました。そして今、それぞれが社会復帰を目指して懸命に努力しておられます。私は、ここに集う大勢の方々から多くの事柄を学んでいます。

劇的な成功物語よりむしろ、小さな一歩一歩の前進を皆で共有する場が、ここにあります。その一歩を踏み出そうとする努力を皆で応援し合う場が、ここにあります。

JWの社会復帰に伴う様々な問題 ── 葛藤、就職、結婚、子育て ── は人それぞれです。時にアドバイスを求める人がいて、皆で悩み、慰め合い、励まし合う……その過程を通じて、何か少しでも回復に結びつくことを共有しませんか。

よろしければ、どうぞ参加なさいませんか。

Sept. 24. '02 ~tilde


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