ランダル・ワッターズ4
重要な点はここです。証人は自分で聖書の解釈を行うことを許されておらず、ニューヨークにいる数人の人間の、常に変わる解釈に頼らなければならないのです。彼らのうち誰一人としてギリシャ語やヘブライ語の学者ではなく、聖書の翻訳を職業にしている訳でもなく、まして何百万人もの人々の人生を支配することを仕事にしている訳ではないにも関わらず、です。

キリスト教は体験的な信仰です。あなたは仲介者としてのキリストの下に来て、罪の許しを求め「新たに生まれる」(ヨハネ3:3-7)のです。キリスト教とは神が人を通して働くのであって、人が神の代わりに働くのではありません。ローマ人とガラテア人への手紙を研究した後に、私がこれを悟ったとき、キリストの内にある命への鍵は「恩寵」であることが間もなく明白になりました。これについては1981年に、主イエスキリストと新約における救いについての、私の感覚を反映した小冊子、『1980年の春、エホバの証人の世界本部で何が起きたか?』の中で書きました。そのころ私は、再び生まれ、まさにすべての信仰者に約束された、内に宿る聖霊の祝福を経験しました。私の人生を変えたと言える偉大な真理は、次のヨハネ8:34-36(New American Standard)の言葉で要約できるでしょう。

イエスは彼らに答えられた。「真実に、真実に、あなた方に言いますが、罪を犯すすべての者は罪の奴隷です。そして、息子はいつまでも家にとどまっていますが、奴隷は永久に家にとどまっているわけではありません。それゆえ、御子があなた方を解放するなら、あなた方は確かに自由にされるのです。」

私の書いた中でもお気に入りの一つ、「クリスチャン生活のルール」と題した記事は、キリスト教の救いを平易に伝えています。もし時間があるようでしたらお読みください。そしてもしそれがあなたの心に触れたなら、私にお知らせください。

敬具 ランディー
2002/1/16更新:ほぼ50歳になるランダル・ワッターズによる

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