証人としての人生-2
エホバの証人の教えで私が承服できなかった最大の点は、大学教育に関してでした。私は大学への進学をあきらめましたが、この競争の激しい世界で生きていく上で、専門的な能力が必要であると強く感じていました。長女が地元のコミュニティーカレッジに進学したとき、彼女と関係を絶つ人が出てきました。当時彼女は二人と研究し、ものみの塔の組織に導いていたのに。息子は大学に進学したとき完全に断絶されました。このような雰囲気は上から、つまり統治体からもたらされるものですが、彼らはそれが一般証人の間からわき上がってくるものであり、自分たちは神が用いておられる不完全な人間にすぎないという印象を私たちに与えようとしていました。

この著しく権威主義的で管理された集団内で、必ずしもすべての人間が傷ついているわけではありません。私や家族の誰かが批判されるようなことがあっても、私は自分自身や家族に「人の言うことなんて気にすることないわ。ただ正しいと思うことをしなさい。みんな不完全なんだから、心配しなくていいのよ」といつも言い聞かせていました。私たちは誠実に他の人も当然しているであろう「正しいこと」をしようと努めていました。振り返ってみて私が今感じるのは、私が融通の利く人間であったのに対し、上に立つ人々はそうではなかったということです。全体としてこの組織は15年前よりもはるかにかたくなで、支配的、そして権威主義的になっています。

私は長老が無慈悲であったり、お粗末な助言を与えたり、柔軟性を欠いた人を傷つけるような規則をつくったりする場面を幾度となく目にしました。ベテルで働いている長老が、自ら同じ問題を抱えているにも関わらず、飲酒に関する問題を抱えている他の人たち、たいていは立場の弱い若い人々を排斥したのを知っています。私はたいへん子供好きなので、彼らともっと心を通わすよう努めるべきだと強く感じています。決して「邪悪」なわけではない、多感で悩みを抱えた若者と交わりを絶ったり、排斥したりするべきではありません。

→証人としての人生-3
トップへ戻る