事件簿1章 広島会衆の歩み-2
「平和と安全」の本の中には次のように述べられている。

「世の霊を表わし、人生に対して世と同じ見方を持つなら、わたしたちは神の友ではなく世の友であることになります。世の霊は「肉の業」、すなわち「淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行ない、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄」を生み出します。聖書は、『そのような事柄を習わしにするものが神の王国を受け継ぐことはない』とはっきり述べています」(p.25) 敵意、闘争心、そねみなどの世の霊は、「王国を受け継ぐことができない」とみなされるほど重大な罪とみなされている。そのため指導の任にあたる監督(長老)には、会衆からその種の悪い精神を締め出し、成員を保護すると言う責務が課されているのである。

ところが札幌に限らずほとんどの会衆で、この種の問題は野放しになっている。ものみの塔協会はひたすら成員を増やすことに熱心で、内部の霊的状態にはそれほど関心はない。それでは指導者層は実態を知らないのかというと、決してそのようなことはない。本当は幹部クラスの監督たちが一番よく知っているのである。だからこそ取り組もうとしないのかも知れないが。

いずれにしても、ものみの塔協会は裏の真実の姿を知っているにもかかわらず、外部には霊的パラダイスは成就していると宣伝しているのである。組織の偽善的な一面はこの部分にもよく現われている。

さて、こうしたことがあってから4年後の1984年3月、支部委員パーシィ・イズラブ兄弟が北海道を訪問した。各国の支部には通常4〜7名からなる支部委員会があり、その国のすべての会衆を監督している。支部委員はときどき各地を訪問して兄弟たちと会合を持ち、必要な組織からの指示を伝える。その時は長老や開拓者の資格が取り上げられ、本当に資格に適うよう調整することが必要であるという点が強調された。

開拓者について、「私たちの奉仕の務めを果たすための組織」の本114頁には次のように述べられている。

「正規開拓者としての任命を受けるために、あなたは現在、一年に1,000時間という野外奉仕の目標を達成できる立場にいなければなりません。これは要求です。…あなたは自分が割り当てられる会衆といつでも密接な協力を保って働かなければなりません。…しっかりした道徳的生活を送り、模範的な伝道者であることを示していなければなりません」

エホバの証人の社会では奉仕者の立場として、伝道者、正規開拓者、特別開拓者、宣教者があり、開拓者以上は長老や監督と同じように一つのステータスシンボルになっている。「開拓者に非ずば人に非ず」という風潮があるくらい、開拓奉仕を促す有形無形の圧力は強い。しかしこれは逆に言えば、資格のない人が大勢開拓者になっているということでもある。組織も建前とは異なって、実際は資格云々よりも開拓者の数が多ければよいという考え方をしている。各会衆には開拓者の数を競争するような傾向があり、組織もそれを歓迎している節がある。
→1章 広島会衆の歩み-3
事件簿トップ