「自由思想の代償」

"The Price of Free Thought" Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/kids/free.htm

(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

親愛なるランディ:

僕はこのカルトに生まれ、エホバの証人の子供のご多分にもれず、学校でいじめられ、毎週土日は奉仕に出かけ、エホバの証人の子供とだけつきあうという少年時代を過ごした。父さんはみんなから尊敬される長老で、母さんは年に3回ほど開拓奉仕をしていて、問題を抱えた新入りの若いエホバの証人からは、まるで母親のように慕われていた。実は僕も一度開拓者になったことがあるんだ。18歳の時、僕は小さな反抗を始めた。僕には「世のガールフレンド」がいて、数カ月間誰にも知られなかった。集会にはまだ出席していたけど、いつもひどい罪悪感にさいなまれていた。組織を出て生きていくなんて僕には考えられなかったんだ。でもランディ、僕はすごくきれいでそして魅力的な、初めての彼女に夢中になっていた。ついには彼女と一夜を共にするようになった。それから集会に出席しなくなった。ただもう「エホバの組織」にいられなかったんだ。

僕は13歳でバプテスマを受けた。理由なんてなかった。ただみんながそうしているからそうしただけだ。僕は4人の親友と一緒に献身した。親からのプレッシャーもすこしはあったけど、少なくとも若いうちに献身することはできた。幸いなことに僕が犯した「重大な罪」を長老に打ち明けるようなこともなかった。もしそうしていたら僕のうちは絶対めちゃくちゃになっていただろうな。僕らの仲間7人のうち、僕だけが真理から離れたことに母さんは毎日泣いていた。父さんは長老を辞任した。すべてはただ僕が集会に出席しなくなったからだ。しばらくは家にいたたまれなかった。彼女が両親に会わせてほしいと言い出したとき(つきあって5カ月もすれば当然だろ)、僕は初めての彼女と別れなくてはならなかった。何かと口実を作ってごまかしていたけど、泣く泣く彼女とは別れることにした。だって、もし親にばれたら家を追い出されてしまうんだ。

ランディ、僕は19年間鎖に繋がれた奴隷だった。4月に僕は新しいモデム内蔵のパソコンを買って、インターネットに接続した。それから毎日のようにインターネットにアクセスして数週間が過ぎた頃、Alta Vistaで「エホバの証人」と入力してみた。そして背教者のサイトに(その時は)ぞっとした。サタンが僕の信仰をさらに弱めようとしているんだと思って、近づこうとはしなかった。その後起こることなど知らずに。

元エホバの証人とネット上で知り合ったのは6月のことだった。僕らはメールでいろんな話をした。ちょうどこのころ、エホバに僕を真理へと戻して下さるよう祈っていた。それまで教義には全く関心を持つことはなかった。だって子供には難しすぎた。だからみんなと同じように明白な真理として受け入れていた。エホバの証人に復帰しようと決心して、すべてが丸く収まるはずだった。初めて背教者のサイトを(ふとしたことから)見てしまったのはちょうどそんな時だった。僕は自分が読んでいることがただ信じられなかった。預言の誤りや歴史について全く知らなかったんだ。僕は父さんの書庫ですべてを2度確かめた(うちには古いものみの塔の出版物が山のようにあった。僕の親は46年間!もエホバの証人だったから)。全部そのとおりだった。彼らは自ら有罪を証明している。過去の出版物が彼らの最悪の敵なんだ!

僕はすべてを理解した。元エホバの証人のすべてのサイトを調べ、膨大な情報を見つけた。僕は何日も子供のように泣いた。具合が悪くなり、吐いた。「僕は何を見つけたんだ?」「真理が実は誤りであるなんてことがあるのか?」

ただ信じられなかった。それから2週間、僕はまだサタンが裏で操っているんだ、だから僕は読んでしまったんだと信じていた。ちょうど復帰しようとしていたときに読んだのは偶然だと自分に言い聞かせていた。だから、いろいろな情報を知ったのにまだ真理にいると信じていたんだ! 父さんも悪いんだ。預言の誤りについて父さんと一緒に調べたとき、1975年の件は間違いなく父さんの神経に障った。僕のことを背教者と呼び、インターネットは悪魔的だといった。しかし僕を座らせると、光は増し加わっているんだ、古代イスラエル人は40年間辛抱した、イエスは背教者について預言しておられるんだ、といった話を始めた。

いろいろと読んでいくうちに、目が覚め、洗脳が解けてきた。Yahoo!の「意見」のセクションにあるモルモン教やアドベンティスト派、キリスト再臨派、といった他の宗教のサイトを調べ、自分が20年間カルトにいたこと、そして欺かれていたのは自分だけではないことに徐々に気づいていった!

真理に戻るために彼女と本当に別れようとしていたなんて。心の底では敬虔なエホバの証人の女の子と結婚しなければ受け入れられないと思っていたせいで、僕の人生で最高の出来事である彼女との出会いを無駄にするところだった。勇気がなくて自分の知ったことをみんなに話すことはできなかった。そのころはまだ友達(熱心なエホバの証人ではなかった)とも連絡を取り合っていて、僕のうちに来たり、一緒に出かけたりもしていた。彼女の前ではエホバの証人のことを話題にすることはなかった(彼ら自身が恥ずかしいというのもあって)。ランディ、彼らとは20年間も親友だった。休日を過ごしたり、パーティーに行ったり、泊まったり、若いエホバの証人がやるようなことはすべて共に体験してきた。数カ月、毎日のようにエホバの証人のサイトを読んだ(自分は知っているけど540万人がまだ知らない情報にショックを受けていた)後、怒りがこみ上げてきた。少年時代を失い、わけもなく学校でいじめられた(ぼこぼこにされたこともある)。腹が立つに決まってるだろ。

僕は会衆の約40名の成員すべてに文書を、お願いだからそれを読み、注意深く調べてほしいと書き添えて送った(もちろん匿名で)。380ドルもかかったよ!

エホバの証人の友人もインターネットにアクセスしていたから、彼らにも自分が知ったことを伝えなければと思った。自分が関わっていたものみの塔に関する多くの真実を知ってひどく悩み、そしてうろたえたことを伝えた。また「ものみの塔の子供たち」のアドレスを伝え、どう思うか尋ねた。

信じられないことが起こった。彼らはあなたのサイトをすべて詳細に調査した。20年来の親友が僕を背教者と呼び、読んだことはおろか、このサイトにアクセスしたことさえ非難した。一人の親友は(最低の野郎だ)長老である自分の父親に話し、二人であなたのサイトを調べ、数週間前に匿名で送られてきた文書(大部分があなたのサイトから引用したもの)と比較した。

僕は審理委員会に呼び出され(記念式以外の集会には3年間も出席していなかったのに)、親に出席させられた。両親は僕のことを本当に恥じていて、僕に唾を吐きかけ、家から追い出さんばかりだった。委員会はひどかった、本当にひどいものだった。20年以上もつきあいのある長老たちが、もし僕が文書を送ったのであれば必ずハルマゲドンで滅ぼされるだろうと言った。そこにいた人すべてが僕を恥じていた。だから僕は全部を強硬に否定せざるを得なかった! しばらくして僕が外出している間に、父さんは僕のパソコンを起動し、Netscape Communicatorのブックマークを調べ、15ほどの元エホバの証人のサイトが登録されているのを見つけた。(長老たちが父さんにそうさせた。もう一度言う、あいつらがそうさせたんだ!)父さんは長老たちに報告した。僕は否定したけど、背教者として排斥されたんだ!

次の日曜日20年間つきあいのあった140人の前で僕の排斥が発表された。そこにはかわいそうに僕の両親もいた。

悪魔的な息子を育ててしまった僕の両親は会衆内でのけ者になっている。母さんはこの件で体調を崩し、ひどい胃潰瘍と狭心症(軽い心臓病)を患っている。先日の夜、母さんは病院に運び込まれた。僕が見舞いに行くと、みんな僕のせいだ、自分の息子が排斥されるなんて信じられないと言った。父さんは僕と話すことはおろか、僕を見ようともしない。以前はごくふつうの家庭だったのに! こんなとき僕がどんな気持ちになると思う? 両親は僕の結婚式にも出席しないと言っている。そんな結婚式じゃ間抜けに見えるだろうな!

会衆内では僕のことをあることないこと噂しているそうだ。友達も僕との関係を絶った。僕と絶対に話すなと言われているのは知っている。でも僕らは20年もの間共に成長してきたんだ!

ランディ、僕の手紙を読んでくれてありがとう。似たような話を読んだことがあるけど、まさか自分も同じ目に遭うとは思いもしなかった! 僕は今、主イエスを自らの救世主として受け入れた実践的なクリスチャンだけど、どこの教会にも行けず、この件で精神的にかなりまいってる。いつかは行く日が来るかもしれない。彼女の両親は英国国教会の敬虔な信者なんだ。どうして僕はカルトに生まれてしまったんだ!

この手紙を書いて少し気分が楽になった。あなたは僕の言い分を聞いてくれた最初の人だ。


  1. ママがついた嘘
  2. 霊的中毒からの立ち直り
  3. 「証人としての人生、そして私が辞めたわけ
  4. 忌避 − 「エホバの証人の信仰の一部
  5. 身体的・感情的虐待による人格障害
  6. 「ものみの塔の子供たち」
  7. 女性がものみの塔で失った年月を取り戻すために
  8. カルトにいたことを子供にどう伝えるか
  9. ランダル・ワッターズの証し (1974〜1980年 ものみの塔本部で奉仕)
  10. 「自由思想の代償」
  11. 排斥:ものみの塔という椅子を支える一本の脚
  12. ものみの塔の歴代会長の時代別概観

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