7章 本部への訪問

(1) 事件の見通し

兄弟たちは事件が長期化することを望んではいなかった。たとえ真実でないことがはっきりしていても、背教者と呼ばれるのはあまり気持ちの良いものではない。そのままの状態が続けば友人、親族などとの関係にも様々な影響が出てくる。何とか短期間で終わらせたいと思っていた。しかしそうした期待とは逆に、事件は長期化の様相を帯び始めた。二度にわたる会衆の嘆願に対して統治体からは何の返答もなかったからである。

義の裁定を尋ねる6月25日付の手紙を本部に送ったとき、兄弟たちはそれに署名をしなかった。通常、組織上の取り決めでは、そういう手紙は支部に返されることになっている。問題はただ返すか、それとも何らかのコメントを付けて返すかであったが。もちろん兄弟たちとしては、統治体の見解が出されることを期待していた。しかし本部はどうやらそのまま返したらしい。支部の裁定から判断するとそういうことになる。

本部は手紙をそのまま返しても、支部委員全体がこの事件を知るようになれば何とかなるのではないかという期待も僅かながらあった。というのも、この事件は支部のなかで権威を持つある特定のグループによって、内々に進められている陰謀のようなものではないかと考えていたからである。そういう徴候は随所に見られた。もし支部全体がこの事件を知るようになれば、それなりの自浄作用はあるはずだから、問題を正すために誰かが立ち上がるのではないかと期待したのである。しかし、そういう人は一人もいなかった。

加えて本部にも動く気配はまったくなかった。どうして真実を擁護し、問題を正してくれないのであろうか。一体どうなっているのだろう。本部の考えが分からないことには、今後の見通しが立たない。「それでは行って確かめてこようか」ということになり、本部への訪問が具体化した。そこで会衆は金沢兄弟と宮坂兄弟の二人を派遣することにした。

(2) ニューヨーク、ブルックリンへ

9月6日、午後17:30分ノースウエスト018便はニューヨークへ向けて成田を飛び立ち、予定より1時間送れてケネディ空港へ到着した。

入国手続きをすませタクシー乗り場を捜しに行こうとしたとき、「トモダチ、トモダチ」と声をかけてきた外人がいた。旅行案内所には、「この手の外人には気を付けろ」と書かれている。暴利タクシーの運転手と相場が決っているからである。それで「No,thank you」と断った。ところが、すぐにその場を立ち去らなかったせいか、「cheap, cheap」(安いよ、安いよ)と叫びながら、勝手にカバンを持って歩き出してしまった。それでも強く断ればよかったのであろうが、何しろ二人は急いでいた。本部の受付の終了してしまう時間が迫っていたのである。もし間に合わないと、ニューヨークの路頭に迷う危険性があった。「まぁ、この際仕方ないか」というわけで、その暴利タクシーに乗ることにした。

ものみの塔協会の宣伝によると、ニューヨークでは“Watchtower”というだけですぐに分かるということであったが、意外なことにそのタクシーの運転手は知らなかった。仲間の運転手や通行人に聞いても分からず、尋ねまわってようやくたどり着いた。バスだと二人で16ドルのところを何と120ドルも請求された。渋るとムードが怪しくなったので、命惜しさに110ドル支払った。

しかしさすがにスピードは速かった。交通渋滞の始まっている道を60マイル(約100Km)の速度で車の間を縫うように走って行った。それで、日は沈んでいたがすっかり暗くなってしまう前に何とか本部に着くことができた。受付を捜しながらタワーズホテルの方へ歩いて行くと、途中で白髪の兄弟が二人の行く手を遮った。彼は腰にさげた鍵の束の中から一つを取り出して、おもむろに錠を開け、「Please」といって中へ入れてくれた。その後、受付の兄弟に何やら話し、奥へ引っ込んでいった。いったい誰だったのだろう。不思議な印象を与える人であった。

ところで、受付の兄弟はすでに日本語のできる姉妹を捜してくれていた。やがて彼女と連絡がつき、電話で話をすることになった。

「お待たせしました。今、シャワーを浴びていたものですから」
「それはすみませんでした」
「兄弟たちの用件はどんなことでしょうか」
「姉妹たちに話してよいのか、どうか…ちょっと判断に迷いますが」
「それではちょっと待って下さい」

…後ろの方から、かすかに声が聞こえる。夫と相談しているらしい。「Maybe apostates」(たぶん背教者)という姉妹の言葉がはっきり聞こえてきた。

「もしもし…」
「姉妹、どうやらご存知のようですね」
「…(5秒ぐらい沈黙)」
「後ろのほうで話している声がたまたま聞こえてきたものですから」

ここで姉妹の語調がガラリと変わる。

「兄弟たちの目的がわかんないのよね。いったい何が目的なの」
「はっ、いいえ、あのう目的といわれましても、特別何かそういうことがあるわけではないんですが。もう私たちだけではどうしようもなくなりましたので、何とか助けていただけないかと。ただそれだけなんですが」
「じゃ結局、責任のある兄弟たちに会いたいということですね」
「はい、そうです」
「今日はもう遅いので、明日また来てください。タワーズホテル知ってる?すぐ向かいなんだけど」
「はっ、すみませんが良く分からないんです。ここの受付にしていただけると助かりますが」
「そう、分かったわ。ところで兄弟たちホテル大丈夫なの。べテルには泊められないのよね。巡回監督やべテル奉仕者じゃないと駄目なことになってるから」
「今晩はルーズベルトホテルに予約してあります。明日からのを手配をしていただけるとありがたいんですが」

明日の朝9時ごろ、受付に来ることを約束して電話は終わった。

タクシーを呼んでくれることになったので、しばらく待っていた。ちょうどタクシーが到着するころ、奥の方から、見事に頭の禿げ上がったかなりの年配の兄弟が出てきた。恐縮して断ったのにカバンをタクシーまで運び、渋る受付の兄弟を伴い、わざわざ見送ってくれた。排斥後、エホバの証人から受けた数少ない親切の一つであった。

(3) 9月7日土曜日本部との交渉

様々なアクシデントがあり、予定より30分くらい遅れて本部へ着いた。その日は年一回の部屋替えということで、辺りは部屋を探して歩く兄弟たちでごった返していた。受付で用件を告げたが要領を得ない。連絡がついていないらしかった。仕方がないので兄弟たちは再び最初からやり直すことにした。

「兄弟たちは何をして欲しいんですか」
「問題を正していただきたいんです」
「問題…どんな問題ですか」
「裁きの問題です」
「OK、ちょっと待ってください」

待っている間にハワイ出身の兄弟たちが声をかけてきた。三世なので日本語はもうほとんど話せないという。「私たちはべテルに入ったばかりで、これから部屋を決めに行くところです。べテル奉仕の年数に応じて、だんだん新しくて良い部屋に移っていけるんですよ」と笑いながら話していた。そうこうしているうちに、日本語のできる日系三世のフルヤ兄弟が見つかった。が、彼も部屋替えで忙しいということで、もう暫く待つことになった。その時フロントの兄弟から再び声がかかった。

「兄弟たちの問題は何だったでしょうか」
「裁きの問題です」
「審理委員会は開かれましたか」
「はい」
「では上訴したらよいのではありませんか」
「上訴委員会はもう終わりました」
「それは本当ですか」
「はい」
「ということは“より高い裁き”を望んでいるということですね」
「その通りです」
「OK、分かりました」

そうするうちフルヤ兄弟が戻ってきた。フロントの兄弟と話したあと監督たちに連絡を取ってくれたが、「会うことはできない」という返事であった。

「それはおかしい。昨日は確かに責任のある兄弟たちに会わせてくれると言ったんです。約束が違うじゃありませんか」
「そう言ったのは誰ですか」
「日本語のできる姉妹です」
「名前は何と言いますか」
「えーと誰だったかな、うーん、そう、確か…アツ子です。アツ子姉妹といいました」
「ああ、分かりました」

姉妹に連絡すると、タワーズホテルのロビーで会ってくれるということになった。

アツ子姉妹は硬い表情でロビーにやって来た。何となく渋々やって来たという感じであった。ソファーに腰を降ろすと次のように切り出した。

「兄弟たち、一年ぐらい頑張ってみたらどぉ」
(一年…それは困る、何とか短期間で終わらせたいと思って本部までやって来たのに)

それで返事をしないで黙っていると

「復帰することもできるしねえ」と復帰を勧めてきた。

(復帰とは排斥された人が悔い改めて組織に戻ること、つまり自分の違反を認めたことになり、日本支部の審理は正当なものであったということになってしまう)

復帰!とんでもない!

「そんなことをしたら罪を認めてしまうことになるでしょう」
「じゃあ兄弟たちは何をして欲しいの」
「とにかくですね。私たちは本当の背教者じゃありませんので、この背教者というのを何とかしてくれませんか」
「日本支部の方からは何も聞いてないのよね。兄弟たちからの情報だけで扱うわけには行かないでしょう」
(どうして?扱う気であれば調べることができるだろうに。本部だからそれくらいの権限はあるでしょう)
「それに兄弟、たとえ真実でも日本人は言い方によっては誤解するでしょう」
(そんなことは分かっている。日本支部が変なことをしなければ、私たちだって何もあそこまで言う必要はなかったのだ。真実だと分かっているなら何とかしてくれてもよさそうなものなのに)
「組織はね、兄弟たちが思っているより大きいのよね」
「ええ、それはこちらに来てみてよく分かりましたが」
(組織が大きいからといって神の律法を曲げてよいということにはならないでしょう)と言いたかったが、これも黙っていた。
「これは難しい問題です。非常に難しい事件です」

この時アツ子姉妹は何事か考え込むような表情をした。しかしこの事件は単に聖書に従おうとしない日本支部のおかしなグループによるものとばかり思っていた私たちは、姉妹のこの言葉を聞いて意外に感じた。

どうして。どこが難しいのだろうか。偽りや偽証を行なっている者を扱えばそれで済むことではないか。そう思ったので次のように切り出してみた。

「ものみの塔誌は『はい、は、はい』の雑誌でしょう」
「そうです」
「ではどうしてその通りに会衆で行なおうとすることが背教になるんですか」
「兄弟、そんなことは言うもんじゃありません」

厳しい声でたしなめられてしまった。それでもひるまずに

「しかしですね。地域監督が確かにそう言ったんですよね」

“私たちはそれで背教者にされたんですから”と言おうとしたが、その前に話を変えられてしまった。

「今ね、統治体は別のことに取り組んでいるのよね。だからそういう問題は直接扱わないのよ。支部にみんな任せてあるから」
「それじゃ統治体はもう何もしないんですか」
「勧告することはできるわね」

ここで宮坂兄弟がいきなり大胆な質問をした。

「支部が問題ならどうするんですか」
「それは地帯訪問で扱います」
(地帯訪問とは本部の代表者が定期的に各国の支部を訪問する取り決め)
「あのヨブの劇はどうなるんですか。劇は作っても実際そのようにはしないんですか」
(1985年の地域大会で行なわれた劇でヨブが貧しいやもめを助けて公正な裁きを行なう場面があった。彼はそのことを指摘したのである)
「……」

アツ子姉妹も返答に困ったようであった。

「支部は大会のプログラムをもう勝手に変えてますよ。そういう権限があるんですか」
「どういうことですか」
「背教のプログラムです」
「それはね、最近アメリカでもかなりの背教があったのでそういうプログラムを組んだんです」
「しかしほとんどのプログラムですよ」
「……」

アツ子姉妹が沈黙してしまったので、ここで会話は一端とぎれてしまった。この辺では、多分もう駄目ではないかと思い始めていた。責任のある兄弟には会えそうにないし、姉妹の話から判断すると、統治体には今すぐこの問題を扱う気はまったくなさそうであったからである。少し間をおいて、アツ子姉妹は宮坂兄弟の質問には答えず、次のように勧めた。

「それじゃね、兄弟たち、手紙を書き続けたらどぉ」
「……」
「とにかく手紙を書き続けることね。日本支部にも分かってくれる人がいるかもしれないじゃない。きっといるはずよ。それに兄弟たちが手紙を書き続けたら何か問題が明らかになるかもしれないしね」

日本支部には他に何か問題があるのだろうか。少なくとも統治体はそのように考えているらしい。しかしまだ扱えるだけの証拠を得ていないのであろう。残念だがそれなら今は仕方がないか。そう思うことにした。

「それから、こういう問題はサービス・デパートメント(奉仕部門)で扱っています。外人ははっきり書かないと何をして欲しいのか分からないからはっきり書くことね。自分たちが正しいと思うなら一年くらい手紙を書き続けて頑張ってみたらいいでしょう」
「雑誌は来なくなりますしね…」
「それは予約すればいいでしょう」
「文書も来なくなりますしね…」
「注文したらいいでしょう」
「王国宣教も来なくなるし…」
「それは仕方ないでしょう」

結論は出てしまった。要するに、手紙を書き続けて一年くらい頑張るしかないということである。しかも、本当に扱ってくれるのかどうかの保証もまったく無く。しかしどうにも諦め切れずに最後の抵抗を試みた。

「姉妹、法廷には天の法廷と地上の法廷があるでしょう」

“どうして統治体は天の法廷の権威を認めないのですか。いったい天の法廷の権威をどう考えているんですか”と聞こうとしたが、姉妹は話を遮ってしまった。

「兄弟たちは正しいと思う」

こう言われてはもう尋ねても無意味である。正しいと思っても扱えない事情があると判断せざるを得ない。

「残念ですね。会衆は真っ二つになったままですし」
「そうですよ。王国会館だって建つところまでいってたのに」
「……」
「では大会の主題しかありませんね」
「……」
「Integrity Keeper」(忠誠を保つ人)

話し合いは終わった。瞬く間に一時間半が過ぎ、時刻は12時半になった。アツ子姉妹は夫との約束の時間だといって席を立った。エレベーターの近くまで送って行くと最後に、「兄弟たち頑張ってね」といって去って行った。

フルヤ兄弟は話し合いを聞いていて、何とかしてあげたいと思ったらしい。それで何度か責任のある兄弟たちに連絡を取ってくれていたようである。時々席をはずしては電話をかけていた。ところが最後の電話が終わると彼の表情は一変してしまった。

「僕言われました。『これ以上関わりを持つと兄弟の組織に対する忠誠が試されます』と。何度来ても同じだと思います。恐らく駄目でしょう」。彼は震えていた。まさに恐怖に脅えているといった表現がピッタリする様子で、ニューヨーク訪問の中でも一際、強烈な印象として残った。フルヤ兄弟は本当に誠実な良い人であった。“助けになりたい”という誠意にあふれていた。それがあのたった一言で、あれ程変わってしまうとは。組織という言葉は何と強力な力を持っているのだろう。“すごい”と思った。

おそらくこの時の強烈な印象が“組織バアル”を思い付くきっかけになったものと思われる。

本部の結論が出てしまった以上、もうニューヨークにいる必要はない。飛行機の予約を変更して早目に日本に帰ろうと思い、その交渉をフルヤ兄弟にお願いした。彼は非常に困ったという様子であったが、それでも予約変更の交渉、タクシー、ホテルの手配などの親切を示してくれた。結局、予約の変更は駄目であった。

「本当にこれで終わりだろうか、これで終わってしまうんだろうか」という思いに駆られながらタワーズホテルを後にした。あれこれ考えているうちについたのはモーターホテルというところであった。チェック・インを済ませ、部屋に落ち着くと無性に日本に帰りたくなった。今考えると何ともおかしくなるが、この時はまともに日本に帰れるだろうかと本気で心配した。何しろニューヨークのどこにいるのかまったく分からなかったし、一日で500ドル(12万円)も使ってしまったからである。

ともかく昼食を取ろうと外に出た。場所を確認してみると42番街のウエストサイドであった。日本食店を探して通りを4つくらい歩いて行くと、「焼天」という店が見つかった。そこでケネディ空港に行く方法を尋ね、ホテルの近くにバスセンターがあるというのを聞いて一安心した。

(4) 国際連合、メトロポリタン・ミュージアム

結局予約の変更はできず、兄弟たちはニューヨーク見学を楽しむことにした。最初に尋ねたのは国際連合であった。

国連は近い将来、宗教との関連で極めて重要な役割を果たすことが、聖書預言の中に記されている。わずかでもそうした徴候があるかどうかを兄弟たちは見たいと思った。

月曜日の午後に見学したが、偶然月二回しかない日本語の案内が始まる15分前に国連ビルに入ることができた。見学コースを回りながら、聖書預言との関連から常任理事国について詳しく尋ねた。

「常任理事会は決められたときにしか開かれないのでしょうか。」
「いいえ、そんなことはありません。常任理事の一人が招集すれば、いつでも開くことができます」
「最近、そのようなことはありましたか」
「ええ、ありましたよ」
「常任理事会の決議はどの程度の拘束力を持つのでしょうか」
「常任理事会と国連総会の関係はどうなっているのでしょうか」

などとしつこく聞いたせいであろうか、ガイド嬢は「資料を差し上げましょうか」と言って、資料室へ案内してくれた。様々な資料(一年間の決議事項、主要機関名簿等)を入手し、国連を後にした。

二人で国連のビルを眺めながら

「兄弟、いまだ時至らずだねぇ」
「う〜ん、これは当分ないよ」

次の日、メトロポリタン・ミュージアムに出かけた。建物は非常に大きいもので、エジプトのカルナック神殿、各国のガラス細工、絵画、中世ヨーロッパの武具の展示など、陳列物の多さとその規模に圧倒され、全部を見るには疲れ果てるくらいであった。

とりわけ印象に残ったのは宗教画の数の多いことであった。いかに宗教が人々の思想に深く関ってきたかを感じさせられた。アメリカ、ヨーロッパで育った人々には、伝統的なキリスト教のイメージから離れて、反対するにしても賛成するにしても、白紙でキリスト教を考えるということは難しいだろうなと痛感した。

思わず立ち止まってしまったのは、メリバの泉でのモーセを描いた絵の前であった。激怒して岩を叩くモーセ、快楽にふけるイスラエル人、それを上から冷ややかに見詰めるみ使いたち。

「いやぁ、モーセも大変だったんだね」
「うん、そうだね。それにしても現代の民もたいして変わらんねぇ」

9月13日、午前8時、バスステーションからケネディ空港へ向かう。午前11時10分ノースウエスト017便にて帰国。

9月14日、午後19時40分千歳空港到着。