元運営係 孫 濱 の横顔

高校時代に初めてエホバの証人に会い、ほどなくして全ての集会に出席し、非公式に証言するようになりました。高校を卒業した年に、大学には行かず、合衆国のある州で伝道者になりました。帰国後、雪の積もる必要の大きい地方で開拓者として3つの冬を過ごしました。

私は、10年間に百数十人の方々の研究を司会し、少なくとも5人の方を伝道者まで、そのうち3人の方をバプテスマまで導き、さらに数人の方々の、バプテスマに至るまでの途中の研究を司会しました。組織を離れたとき私は奉仕の僕で、地元の会衆に加え、出張して他の会衆でも講演を行う「資格ある兄弟」であり、私が司会し、バプテスマまで導いた者が奉仕の僕として、すでに群れの書籍研究を司会していました。

10年の間、誰に対しても経済的な援助をお願いしたり、期待したりしたことは一度としてありませんでした。むしろ奉仕の傍ら、自分で会社を起こし、会衆の開拓者たちや研究生のために職をつくり出し、両親に仕送りを行いました。

私は、すでに任命されている会衆の長老たちと共に「長老」と並び称されることは「人間としてもっとも恥ずかしいこと」と思い、熟慮のうえ、エホバの証人をやめました。

私はこの組織を離れる前の年から、王国会館に招待することによって「この世の人たち」を会衆内のごたごたに巻き込むことにうんざりしており、良心的に伝道することが難しくなっていました。出版物を通して示される協会の見解に多くの矛盾があることには、それ以前から悩ませられていました。しかし、私が組織を離れることを真剣に考えたのはこの頃が最初ではありません。組織を離れた方が良いのではないかと考えさせられることは、常にたくさん起きていました。それは最初から最後まで、10年間絶え間なく続いたと言っても決して過言ではありません。

組織を離れた後は、ご多分に漏れず、排斥者同様の扱いを受け、悪意のあるうわさが近隣の諸会衆に広まりました。私は寝たきりになっていた父を持つ家庭で母と共に働き、父が亡くなった後、仕事の傍ら受験勉強を始め、以来幾つかの大学に正規の学生として学びました。学費は全て自分の働きと大学からの奨学金で賄いました。私が学んだ大学の中には神学校も含まれています。

私が組織を離れたことをもっとも喜んでくれた母も、一年の闘病の末、この2月にホスピスに入り、人生の終わりを迎えようとしています。青春時代に心配ばかりをかけ、十分な親孝行もできないまま送らなければならないことは、私の一生の後悔です。現在は母との時間を大切にしています。

私はこのMLを通して、どんなエホバの証人にもこの組織を離れるよう勧めているわけではありません。むしろ、この組織の中で私と同じように苦しみ、出てくることを希望する人たちにMLを活用して欲しいと願っています。

Feb. 28. '01 孫 濱


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